いわゆる「仲よし○人組」という方たちがいますね。ああいうのを見てるとイラッとくるんですわ。
いつも同じ面子で固まり、なかには他者を寄せつけようとしない壁みたいなものをガッチリ作る者までいる。酷いのになると、メンバーが部外者(?)と楽しそうにしゃべってるのを目撃したら機嫌が悪くなったりね。
なんですかね、アレは。そういうのが「絆」のつもりなんですかね? 「絆アピール」なんですかね?
そのくせ、聞こえてくる彼ら彼女らの話の内容が、じつにしょうもない。しょうもない好きの私から見ても、悪い意味でしょうもないのでありますよ。
やたら相手の意見に同調したり、ただ慰め合ってるだけにしか聞こえない会話が多い。自分の居場所を失いたくないがための言葉であったり、あるいは「優しいこと」を言ってあげる自分に酔っていたい――といった打算のようなものが透けて窺えるのでありまする。
互いのことを大事に想ってるのではなく、本当は自分を護るための手段としてその関係を利用してるといいますか・・・。
イタいですな。 (>_<)
それでも・・・とくに彼ら彼女らが未成年だった場合、その様子を見た周りのオトナたちは安心するんですよ。「ひとりぼっちはつまらない~♪」とか「ひとりじゃないってー すてきなことねー♪」とかいう歌を流行らせたりして、まるでぼっちがいけないことのように洗脳しようとするのです。
よけいなお世話なんですけどね。
ぼっちはぜんぜん悪いことじゃないんです。好きでぼっちをやってる人だって少なくないんですよ。むしろ誰かと一緒なのが苦痛で仕方ない人もいますからね。
なのに、ぼっちがいけないことのような風潮にして、ぼっちしてることに罪悪感を抱かせようとしなくてもいいでしょ。本当はぼっちが好きで、べつにぼっちを苦にもしてないのに、周りの空気にやられちゃってる人が多いんじゃないかと思うんですよね。
それで無理してどこかのグループに入らなきゃと思っちゃう、と。それほど価値のない組織のなかで、しなくてもいい人間関係に気を遣わなきゃならないハメに・・・。なんて不幸なことなんでしょう。 (^_^;)
まぁいいですよ。そんな関係でも、本当に「ぼっちが絶え難い」って思ってるんなら勝手にやっておくんなさい。私はゴメンですけど。
ですが、どうしてもカンベンしてほしいケースがあります。
「私たち、友だちだよね?」
言葉で友好関係を確認してくるタイプ。あれだけはダメ。苦手。こういうタイプの人に上記のような優しい言葉(?)をかけられようものなら、感謝どころか嫌悪感しかないです。
私の場合ですと、少々遅刻をしましただとか、仕事ができないだとか、そういうのにはわりと寛大なほうなんですが、こと軽々しく「友」を口にする行為にはものすごく厳しい。まだ冗談で言ってるのがわかるぶんにはいいですよ。でも真顔で言われますとね、その場はヘラヘラしてやり過ごすかもしれませんけど、その後は確実に距離を置くことにしてます。
むかし、ありました。「友だちだよね?」って言われたことが。何度もどこぞへ連れていこうと誘う人だったのですが、どうも乗り気じゃない私に向けて最終的に放った言葉でした。
その人とは二度と会うことはなかったです。
べつにその人が何か悪だくみをしてるとは思わなかったんですけどね。要するに、友だちが欲しかっただけなんだと思うんです。
でもしかし! 自分がただ寂しいからそういうカタチを求める、という人にはヒきます。「重い」というのとは違いますね。カタチだけが欲しいんだから、やっぱり「軽々しい」んですわ。
それよりは「暇だから裸で近所のポスト動かしにいこうぜ」のほうが気ラクでいいですし、あるいは「でっかいウンコが出たから見にこいや」とか「いいことあるから、このツボ買いなよ」とか、そういうこと言ってこられるほうがマシだったりしますんで。
彼女は凄く良い子ですが、絵を売ってきます。
— 来世使える!クソみたいな英文 (@yuumeijinbot) 2017年5月17日
英文:She is very fine,but sells pictures for me.
翼くんはボールを友だちだと思っていますが、ボールが翼くんを友だちだとは思ってないですからね。
正月に「かるた」した人はいますか?#キャプテン翼#ボールはともだち#石崎了#補欠 pic.twitter.com/O169dMMd2j
— 二本全酷鮭蚤温度チアー✬920701 (@_30776506271) January 4, 2018
ところで。
以前、関西の読売テレビでやってた長寿番組に『鶴瓶・上岡パペポTV』というのがあった。いまでは全国区の知名度を誇る笑福亭鶴瓶氏と、惜しまれつつタレント活動を引退してしまった上岡龍太郎氏が打ち合わせナシで1時間トークするだけという内容の番組でした。
二人は正反対な芸風でありましたが、ゆえに抜群に相性がよく、両者の持ち味がフルに発揮されたと感じる番組は後にも先にもこの番組以外に見たことがない。
とくに私は上岡氏が大好きだった。正論を言うときは他の人があまり語らないような角度から突き、ときに暴論とも思える爆弾発言を投下して笑わせ・・・いや、笑わせるだけならまだしも、場を凍りつかせることもしばしば。そういうのを計算ずくでやってしまうという、現代なら毎日が炎上騒ぎであろう危険な芸風でありました。
とりわけ『探偵!ナイトスクープ』で局長を務めていたとき、収録中に激怒して帰ってしまった事件はいまでも語り草でありますね。
オカルトを安易に取り上げたスタッフにキレる上岡... 投稿者 matsuden
もうひとり、私が好きな芸人さん(?)にターザン山本氏もいるが、あの方と上岡氏の共通点は「他の人があまり語らないような鋭い見解」と「暴論とも思える爆弾発言」を多用するところでありますが・・・あと、両者とも予定調和を嫌う傾向にありますね。
しかしターザン氏が「おまえの好きなように生きろ」と、あまり他人には関心がないタイプなのに対し、上岡氏の場合はスイッチが入ると食らいついて離さない怖ろしさがある。なので私からみても上岡氏は、あこがれてはいるんだがお近づきにはなりたくない芸人さんではあるのです(笑)。
ちょっと話を戻しましょう。
そんな上岡氏が、先ほど挙げました『パペポ』で放った数々の名語録・迷語録のなかでも、とくに私の心をとらえて離さないものがある。
上岡氏が漫才をやっていた時代、いつも楽屋で花札をやっている芸人の一団があったという。
ある日のこと。そのメンバーのひとりが「犬のブリーダーになれば儲かる」という詐欺話に引っかかり大損の末、自殺する事件があった。それを聞いた芸人たちは面子をひとり欠いたものの、いつもどおり花札に励み、あまつさえ「これがホンマの犬死にやな」と、仲間の死をネタに笑い合ったのだとか。
それを見て上岡氏は「自分は大変な世界に入ってしまった」と実感。と同時に「ああ、なんて優しいところなんだろう!」「ここ(芸人の世界)にいたらラクだろうなー」と感激したんだそうな。 。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚
フツーの感覚の人が聞いたら「何を言うとるんじゃ、このオッサンは?」と、理解不能モードに突入することでしょう。むしろ不謹慎である、とお怒りモードになるだろうか?
フツーはね、関係が壊れるのを真っ先に避けて無難な方向へ走ろうとするんですよ。それはそれで間違いじゃないと思いますよ。
上岡氏はその後も、親が死んで落ち込む仲間にわざと追い打ちをかけていた芸人のエピソードを例に出し、心の弱ってる人のさらに弱い部分を突いて泣かすことの優しさを説いていた。
私はこれを聞いて、そのレベルまでいって初めて本当の関係といえるのかもしれないなーと思ったものだ。もちろんフツーの人には到底できることではありません。ぜったいにマネはしないように。
常識でものを言う人にはまず理解不能な世界。手の届かない世界。さーあ考えようー! どういうことかなあー! \(゜□゜)/
たぶん、常識にとらわれてる人にはわかんないんでしょうな。傷つくのを避けようとする人にも、関係を壊すことを怖れる人にも無理ですな。また、そうなろうと思ってなれるものでもないんでしょうな。
【関連記事】「ぼっち」最強。人はなぜ知性と金と人生を失ってまで群れたがるのか?
※ブログ作成中に、たまたま見かけた記事。言おうとしてることのほぼ半分くらいが書かれてたので、こちらへ丸投げしたいと思います。
繰り返しますが、私は「友」を口にすることは嫌いです。震災直後に流行った「絆」って言葉も嫌いです。上っ面だけのキレイな言葉を繋げただけのJ-POPの歌詞は大っ嫌いです!
・・・たぶんブログでこんなことを書くのは3度目くらいですね。
「友」を口にするのなら、最低でも互いの魂を殴り合える関係になってからにしてください。
ではここで『パペポ』の動画をお楽しみいただきましょう。
――この記事は私の勝手な解釈で書いたものなので、もし上岡氏がご覧になったら「ボクはそんなこと言いたかったんじゃありません!」ってお怒りになるかもしれませんね。
まぁこの程度ですよ、私が書けるのは。 (;^_^A
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