もうひとつの回想 | アダルトチルドレンから、「以前より相当まとも」に回復しています

アダルトチルドレンから、「以前より相当まとも」に回復しています

社会と人と自分に不安を抱える「とかくこの世は生きにくい」 アダルトチルドレンが 回復へのきっかけを見つけ

「以前より相当まとも」に変わりながら一進一退、もう一歩踏み出そうとしている

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『心の秘密とは、その人が誰にも言えぬ、そして自分では支えきれないようなものであろう』
[出典:「狐狸庵人生論」 遠藤周作著 P188 河出文庫 ]


今回は、もうひとつの回想のことについて書きたいと思います。


この頃、子どもっぽさの無くなりつつある私の娘。

 

ときに無作為さを残しながら、時に大人びた表情をみせます。

かつての怒りの多良君の所業を述べ、振り返る場面を前回お話させて頂きました。

 

その続きにあたる、と思われる場面がありました。

 

 

それから数日後の夜のことです。

 

やはりテレビをつけ、蒸留酒の水割りを前にふたり、並んでいた時、です。

娘の口が動きだしました。

 

○○くん、怒ってたよね、のことばに

音量を下げ、耳をすまします。

 

繰り返し述べられるのは、以前の私の行いでした。

それは間違いのないよう、確かめるかに同じことを云っていました。

 

両の手をひざに置き、謝罪します。

何度でも頭を下げる、そんな気持ちでした。

 

やがて、私の好きな映画の主人公のせりふを言ってくれました。

 

「ふりかえれば、はずかしきことのかずかず」

 

緩んだ頬に皺を寄せ、そう、そう、と応えます。

口調を真似、ひらに、ひらにおゆるしください、と続けました。

 

傍らの画面では賑やかな声が控えめにリビングの空気を震わせ、

妻が先に入った浴室からは湯を流す音が聞こえています。

 

幼稚園に入る前からの記憶をいま、幾度となく辿り、巡る。

娘のなかの小さな娘はわかってくれるだろうか、などと考えていた時です。

 

いつもの、静かな声でした。

 

「明日は怒るかな、とか、トイレで考えてたよ」

 

すぐには頭に入ってこず、横顔をみました。

 

「明日が来なければいいのに、とか」

 

やや置いて続いたことばに、ガン、と撲られたようになりました。

え、とも言えずにいたと思います。

 

ふたつの言葉をなぞり、受け取ろうとしても胸で押し返され、

思考の混沌は去らず固まったままでした。

 

画面に目を据え娘も、黙っていました。

 

すみません、でした

 

辛うじて口にしたのだろう、と思います。

そして娘は呼ばれ、浴室へ向かった記憶があるように感じます。

 

かすかに響く嗤い声に気づき、急ぎ電源を切りました。

 

そこでぐっと息を吸い込んだのを憶えています。

 

 

いまは、その言葉の様を胸に浮かべることもできます。

 

広くなどない住まい、唯一ひとりになれる場所。

 

そこで物思う、小さなこども。

 

想像だに出来なかった、ふだんの振る舞いとうらはらの世界、です。

 

そしてまだ、分からずにいます。

 

どのように向き合い、どうしたときに、彼女の時間は流れてくれるのか。

 

 

見たこともない面立ちをした横顔を思い出しては

 

 

娘の宿題に取り組んでいくのです。

 

 

 

私の場合、のお話です。




「アダルトチルドレンは希望の言葉」
それでいいんです。大丈夫です。大丈夫じゃなくてもいいです。





「ぼくは治そうとなんかせず、ただ偶然を待っている」(河合隼雄さん)
「人格は変わる。それは世界の認知の仕方による」(齋藤学さん)



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