サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

介護離職を考える

2016年06月30日 22時32分12秒 | 介護日記
介護離職について考える機会があった

私は、なぜ介護離職しなかったのか、介護離職を思いとどまることができたのか。
答えはすごく単純明快である。

離職したら生活できない

からである。サキさんとの共働きで何とか家計をやりくりし(もちろんサキさんが)ギリギリの生活を送ってきたのです。でもサキさんが働けなくなり収入がガクッと減り、おまけに子供たちの学費などで一番お金のかかる時、住宅ローンもまだ残っていた。
サキさんの介護に専念したくても、収入ゼロでは暮らしていけない。よっぽど高額な退縮金がもらえるなら話は別だけど。中途採用の下働きには、とてもそんな金額はもらえない。否応なしに

働かなくては生活できない

働いても働いても、残業はできないのでその分収入は減り、もちろんサキさんの収入もゼロ。数年の間、年におよそ100万円ずつ預金が定期が減っていった。今は、サキさんの障害年金があるのでそんなに目減りはしていないが。

だから私は、介護離職を真剣に考えたことは正直なかった。
離職という言葉が頭の片隅に入り込む余地はなかった。
どうにかして、働きながらサキさんの介護を行っていた。
ケアマネさん、デイサービスさんの力を借りながら、何とか頑張っていた。

だから、デイサービスさんにギブアップされた時は、本当にショックだった
一番頼りにし、力になってもらい、送迎の時間も最大限に譲歩してくれていた。だから、昼間サキさんをお願いし働き続けることができた。でも「無理です」と手を挙げられた。

仕事を辞めることは、生活を辞めることに直結するので、渋々、サキさんの再入院となった。

あの時、仕事を辞めたらどうなっていたのだろう。
今さら考えても仕方ないが。きっと、仕事を辞めていたら悪い方向に進んでいた気がする。

今は、子供たちも社会人になり、住宅ローンも終わった。
サキさんは障害年金をもらっている(特養の費用には足りないが)
そのうち、何かを考える時期が来るかもしれない。
その時まで、もう少し、頑張って働こう


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