ネットジャーナリストという名称を目にする時代になりました。

 

ネット上で情報を収集し、それを、(主としてSNS上に)拡散することにより成り立つ職業のようです。

 

ただ拡散するだけではたいした収入にはなりそうに思えません、

 

組織化しての会費収入やイベント、講演会収入等が多いのでしょうかね。

 

 

いわゆる大マスゴミ(大新聞や大放送局)が発信する情報にはウソが多かったり、

肝心なところは報道しない事が知れ渡ってきたのが背景にはありそうに思えます。

 

そして、

満たされない知的欲求を補完するための道具としてのSNSの発達が可能にしたことを忘れてはいけませんね。

 

 

この傾向はますます強まっていくでしょう。

 

 

どんなタイプの人がネットジャーナリストになれるのか?

 

少しばかり感性が研ぎすまされていて、

 

少しばかり好奇心が強く、

 

少しばかり正義感が強く、

 

SNSを自由時代に操れる技術があれば、

 

可能となるはずです。

 

 

 

 

 

語学と表現力も必要でしょうかね・・。

 

 

既存の情報産業の枠にとらわれない生き方がしたい人・・。

 

彼らの活躍する時代が到来したものと思えます。

 

 

「大組織に対抗する個人」

 

といった位置づけになっています。

 

 

とても敵わなかった大組織に対して、個人であっても戦いを挑める時代が到来した、ということでしょうかね。

 

 

このような形で世の中が変って行くのもありかな、とも思います。

 

そういえば、渡部昇一先生が、ペン一本で大朝日新聞と戦った時代がありましたね・・、

 

隔世の感がありますね・・。

 

 

 

            ・

 

 

しかしながら、いくらか心配事もありますね。

 

ネタ元がSNSだけというのでは、もうひとつ信用が持てないようにも思えます。

 

当事者と面会し、顔を見て、反応を見ながらの取材が必要だと思いますが・・。

 

机に向かってPCを操作するだけで情報が取れるので、実際に取材するのがアホらしくなってくるのでしょうかね?

 

 

SNSの世界は、現状、玉石混交状態であることは明らかです。

 

まともな情報もあれば、フェイクニュースも溢れています。

 

 

 

 

 

どのニュースが真実であって、どれがウソなのか、なかなかわかりません。

 

 

最初からウソとわかって垂れ流しているプロ(工作員?)も混在しています。

 

公的な審判員がいるわけでもありません。

 

正邪の判定は、個人に任されています。

 

 

これが本当の自由なのかもしれませんが、なんらかの客観的な判定基準がほしいところですね。

 

 

ところで、

 

私の記事、ニュースは、

 

どのような判定をしていただけるのでしょうかね?

 

 

私自身は、客観的な立場に立っている(つもり)ですが、さて、どのように受け止められているのか?

 

 

これも心配事のひとつ・・・?