何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

僕にだって出来ることはきっと見つかる

2016年04月30日 18時30分39秒 | Weblog
つつじの花が咲き始めた。
各棟の南側に植えられた植垣のつぼみは今にも爆発しそうに膨らんでいる。
つつじが満開になってすべての棟の植垣が淡い赤に染まった後、伸びた枝の剪定が始まる。
草刈も含めて11月まで美観部の仕事が続く。
自治会の役員もそうだが成り手が居ない。
昨年は美観部員として剪定はできなかったが、剪定されて落ちた枝葉の掃除は手伝えた。
今年度も人はいるが美観部員になってくれる人は居ない。
だからこんな僕だが仲間に入れてもらう事になった。

一日植え込みの剪定掃除をしてもお昼ご飯の定食代ぐらいしか手当ては貰えない、これから暑くなって汗をかいて蚊に血を吸われまくって月に8日ぐらい作業に出なければならない。
それでアパートはこの地域一番と誇れるぐらい美しい。
そして111世帯しかなくて、予算の無い自治会の費用を稼ぎ出している重要な部門が美観部だ。

歩行器でしか歩けないので、選定され飛び散った枝葉をしゃがみ込んでかき集めることも、ほうきで枝葉を掃き集めることも出来ない、集めた枝葉は大きなビニール袋に詰め込んで集積所に持っていくのだが僕はバランスが取れないので運ぶことも出来ず手の自由が利かなくなっているのでビニール袋を結ぶ事も出来ない。
何にも出来ない…だろうか。
いや、そんな事は無い、出来ないんじゃなくてやろうとしない人の逃げ口上が…出来ない…だ。
健康な人と同じ事は出来ないだろうし、素早くも出来ない。
でもゆっくりなら出来ることもあるだろうし、探せば僕にも出来る事がきっと見つかるはずだ。

よく前例が無いから出来ないと言う職場の人が居るようだが、言葉を変えればやった事が無いから知らない事はやらないと言うことだ。
その言葉を聞くたび…それは無いだろう…と思う。
自然界においても人間関係においても、同じようなこと良く似たことがあったとしても、同じ出来事は起こらないし、似ていても一緒では無い。
それは仕事でも同じ、いつも新しい直面と遭遇し、出会いはいつも新鮮だ、だからそこに想定外という言葉は存在しない。
その言葉を都合よく使われている公の職場の人がいるようだが、想定できないのが自然の生業だしその自然の一部の人類は数千年も前から、恋と愛に悩み続け未だにその過程から結論まで導き出す方程式を作れていない。
人と人の出会いだけ恋の道は在り、その結果も様々で、出会いの数だけある。

話は横道にそれたみたいだが、僕が病気になったように一寸先は何が起こるかは分からない。
人より運動機能が衰えているからって言っても、今生きているんだから、生きていられるんだから出来る事が有る筈。
人と同じ事をしようとするんじゃなくて、のろまで愚図な自分でも出来ることを探して。

足手まといになっても、出来ないやらないじゃなくて、その日自分が出来ることを精一杯やればいい。
そうやって今年も美観部員として身体が動かなくなるまで頑張ります。
みなさんに迷惑かけそうだなー!。



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