扇子と手拭い

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もう一度、初心に帰って

2015-07-08 00:24:53 | 落語
▼一生懸命だが硬かった
 落語会にお越しいただいたご贔屓さまには後日、必ずお礼の電話を入れる。多忙な時間を割いて、しかも今回は雨の降る中、足を運んでくれた。その方々への感謝の気持ちである。ついでに感想も聞かせてもらった。お客さまの声は大事にしたい。

 私の高座について。「一生懸命さは伝わったが前回と比べて硬かった。それと役がはっきりしなかったので、もっと(役柄を)出した方がよかったのでは」と言った。ご贔屓さまはよく聴き、よく見ている。

▼歩きながら落語の稽古
 本番前日の稽古会で厳しい指摘を受けたので、「高座では笑いを取らないと」、との思いが強かった。それで朝4時に起きて稽古をした。「藪医者」を繰り返し何度もやった。道を歩きながらも口に出して稽古した。

 自分ではいつも通り話したつもりだが、どこか硬くなっていたのだろう。役柄ウンヌンは誤解があるようだ。ものマネは声色を使って登場人物の違いを表現する。ところが、落語は声色を使わない。

▼落語は「八人芸」を嫌う
 極端に声を変えて演じるのを、落語では「八人芸」と言って最も嫌う。そんなことをすれば反ってバカにされる。この点については以前、当ブログで細かく説明した。落語で登場人物の使い分けは、声の大小や話しの間、スピードで表現するのだ。

 これは簡単なようで難しい。「熊さん八っつあん、大家さんの会話だ」と分かるのが落語である。座布団の上に一人で座って話していて複数の「会話」だと客に分からせるのが腕だ。初心者がやると、本を読んでいるようにしか聞こえない。

▼独特のリズム落語口調
 「会話」と分かってもらうには、稽古しかない。私が教わった師匠は「稽古100回。落語が腹に収まるまで繰り返し稽古するだけだ」と言った。上手くなるには稽古しかない。稽古を重ねると、「落語独特のリズム」がつかめてくるから不思議だ。落語口調と言うそれである。

 だが、ある人は私にこんなことを言った。「あまり技巧に凝り過ぎると上手くはなるが、落語本来の面白味がなくなる。あんたは確かに上達したが最近、細かなことにこだわり過ぎて落語が楽しくない。以前の方が面白かった」と指摘された。

▼もう一度、初心に帰って
 厳しい指摘だが胸に響いた。技巧に走り過ぎて大事なことを失いかけた。「楽しくない」、と思われるようでは論外だ。落語は笑ってナンボの世界である。もう一度、初心に帰って稽古する。

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