扇子と手拭い

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せいぜい続いて3、4回!それは下手だから!

2017-12-09 00:58:16 | 落語
 仲見世通りには、早くも「賀正」の文字を大書した凧が師走の空に舞ったー。東京・浅草のど真ん中で7日、落語会を開いた。今回で26回目。落語通が言った。「シロウト落語会はせいぜい続いて3、4回」―。なぜかと言うと、下手くそだから、と落語通が簡単明朗に解説した。コワい。

 確かにそうだ。寄席や独演会は、志の輔や一之輔のご贔屓がいて木戸銭3000円、5000円払って喜んで聴きに行く。しかし、シロウト落語会はそうではない。家族で食事に行こうか、友人とカラオケに行く、などと考えている人たちに無理を言って足を運んでもらう。

 一度や二度は義理で来てくれる。が、三度目はない。下手なシロウト落語会をわざわざ何度も、聴きに行くモノ好きはめったにいない。だからシロウト落語会は長続きしないのだ。

 そんなことは百も承知のあたしは、だから出演者を吟味する。「出たいから一度、出してくれ」と言われても、「ハイ、どうぞ」とOKを出さない。客が恐いからだ。

 シロウト落語家には自己陶酔型が多い。特に落研上がりにこれが目立つ。一般に名馴染みの薄い笑いの少ない、玄人受けする「凝った噺」をやりたがる。「オレはこんなのが出来るんだぞ」と自慢したいのだ。

 本人だけが悦に入っている。これでは客が逃げて行く。あたしは、こう言う“セミプロ”を招いて、過去に何度も失敗、苦い経験をした。ひどい時は中入り後、客席の半分が席に戻ってこなかった。

 そんな山、谷を経て7年間、続いた落語会である。「浅草」で落語会を開くというのは特別の意味がある。新宿や池袋でやるのとはわけが違う。

 浅草は、歌舞伎をはじめ古典芸能と極めて縁が深い場所だ。「明烏」「粗忽長屋」など多くの江戸落語の題材になっている原点である。浅草でシロウト集団が落語会を開くというのは容易なことではない。そんな浅草で「定期公演」をやっているというのが私の誇り、自慢でもある。

 これまで続けてこられたのは、「次はいつやるんだい」と次回の落語会を楽しみにしてくださるご贔屓さまがいるからだ。こうした大勢のご贔屓さまに支えられて26回目を迎えることが出来た。

 ご贔屓さまは、あたしにとっての「宝物」だ。この「宝物」をガッカリさせないために、日夜、歩きながら稽古に励むである。

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