つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

遥か天竺より来る。

2015年06月21日 08時48分24秒 | 日記
2015年の梅雨入り宣言が出て間もないきのう、
「太白(おおしろ)祭」が催された。
その起源は、地区の鎮守「太白神社」の歩みに沿っていると考えられる。
(興味のある方は、拙ブログの2012年6月23日の投稿を参照下さい)

さて、祭りの当日、獅子舞がお宮に舞いを奉納した後に家々をまわる。

 

@複数人が、大きな胴幕(カヤ)の中で本体を支え、
 獅子頭が上下左右に大きく動く。
@棒や薙刀、刀などを使い、武道系の演目を舞いながらの獅子退治。
これが、いわゆる「加賀獅子」の特徴なのだが、
この大がかりなやり方は、全国的にも珍しい形態なのだそうだ。

日本の獅子舞のルーツは、古代のインド。
彼の地で、神秘の獣として偶像化された「ライオン」が、仮面舞踊となり、
ヒマラヤ山脈~ゴビ砂漠を経て中国~朝鮮半島へ渡り、日本へ。
仏教をはじめ多くの思想・文化が辿った道を通り、
7世紀頃伝来したと考えられる。

幸い、日本は「神様百貨店精神」の風土があった。
山の神、田んぼの神、トイレの神、台所の神、熊も兎も猪も、神の使い。
そこに、海外から「お獅子」が入ってきても、八百万の神々の範囲内。
容認する抵抗感は薄かったのではないだろうか。
やがて、郷土色豊かな独自のアレンジを加え、成熟~定着した。

津幡町のHPによれば、町内には24の獅子頭が伝えられている。
遥かなる時空を超えて。

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