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BL小説・風のゆくえには~グレーテ10

2018年05月11日 07時21分00秒 | BL小説・風のゆくえには~ グレーテ

【真木視点】


 渋谷慶、という名の天使の特筆すべき美点は、素で人が良い、というところかもしれない。あの顔で、あの体で、あのオーラを持っているのにも関わらず、とても人懐こくて謙虚。あれが演技だとしたら相当の食わせ者だけれども、どうやら、本当にあれが彼の素、なのだ。あの真っ直ぐさ、よほど恵まれた家庭環境に育ったのだろう。

(いや……恵まれた、という点では俺も同じか)

 裕福で愛情に満ちた俺の家族。
 でも、その愛情が、針のように俺を突き刺す。この幸せな家族の中で、俺だけが異端だという罪悪感で、体中に穴があく……


「慶君は、ご家族にカミングアウトしてるの?」

 慶にコッソリたずねてみたところ、慶は「はい」とアッサリ肯いた。

「高校の時に浩介とのことがバレて……、で、父は容認、母は黙認って感じで。姉は応援してくれて、妹にいたってはメチャメチャ喜んで」
「喜ぶ?」
「はい。それはもう、狂喜乱舞」

 慶は苦笑しながら、言葉を継いだ。

「あいつ、昔からそういう……男同士の恋愛物とか大好きで。今はそれ職業にしてるくらいで」
「職業?」
「あのー、小説とか、雑誌のレポみたいなのとか書いてるらしくて……、おれはコワくて読んだことないんですけど、浩介はよく読んでて………、あ、それでこないだ……」

 くくく、と笑う慶。慶は恋人の浩介の話をするとき、いつも幸せそうだ。

「どう考えてもそれはおかしいってのがあって、それを浩介が妹に言ったら、『それは女の子の中のファンタジーだから見逃して』って言われたって。ファンタジーってなんすかねファンタジーって。こっちは現実だっていうのに」
「ファンタジー、ね……」

 空想世界。夢の世界。

 そうだな……。こちらが夢の世界で、現実は、異性と結婚して「世間一般の幸せ」を得ることで……

「真木さんはご家族には?」
「…………。言ってないよ。言うつもりもない。面倒くさいからね」

 肩をすくめて言うと、慶は「分かる分かる」とコクコクうなずいた。

「おれもバレた時には色々あったので……」
「ああ、そうなんだ……」

 その『色々』を乗り越えて、君達は一緒にいるんだな……

(ああ、悔しいなあ……)
 慶と浩介。二人の間に漂う特別感を思い出してため息をつきたくなったところ、

「あ!そうそう!ありがとうございます!」
「………っ」

 いきなり、キラキラオーラ全開で詰め寄られて、思わず後退りしてしまった。本人無自覚のそのオーラはほとんど凶器だ。

「……何がありがとう?」
「真木さん、おれに恋人がいるってみんなに言ってくださったじゃないですか?」
「……ああ」

 先日、慶が職場の女性陣に合コンに誘われている現場に遭遇したのだ。やたらボディタッチの多い看護師もいて、こんな奴らに俺の天使が囲まれていることにも、合コンに連れていかれることにも我慢ができず、思わず、

「渋谷先生は恋人がいるんだから誘ったりしたらだめだよ」

と、言ってしまったのだ。慶はずっと恋人の存在を隠していたので、当然、女性陣は大騒ぎとなったわけだけれども……

「あそこで真木先生がビシッと、そうやって騒がれるのが嫌で今まで隠してたんじゃないの?とか言ってくださったおかげで、みんな納得してくれたというか……、あ、いまだに嘘つき呼ばわりはされてるんですけど」

 アハハと笑った慶。

「でも、変に隠さなくてよくなったから、浩介の弁当もみんなの前で食べられるようになって、嬉しいっていうかなんていうか」
「…………」

 自慢の愛妻弁当、か。

「なんか、みんなに認められてるって感じがして良いなって。本当のことは言えないですけど……」
「…………」

 慶の目元がふっと和らいだ。

「だから、こうして真木さんに話せるの、すっごく嬉しくて。本当のこと知ってるの、家族含めてほんの数人なので……」
「…………」
「ああやってみんなに言ってくれたことにも、感謝してます。ありがとうございます」
「………慶君」

 ペコリ、と頭を下げてきた慶に、若干の後ろめたさはある。理解ある先輩のふりをして、あわよくば、と思っているのだから。

(この子、本当にすっかり騙されてるんだな……)

 ああ、かわいそうに………

(でも……)

 俺の中に芽生えてきている思いが、胸の中に広がっていく。

(このまま、彼の『頼りになる先輩』でいたい)

 このまま、一心に尊敬の目を向けられていたい。感謝されて、頼られたい。

(何より、彼の好意を失いたくない)


 ああ……俺らしくないな。欲しいものは何でも手に入れてきたのに、こんな形で満足しようとするなんて。


 そんな俺の葛藤なんて知るわけもない慶が、ニコニコと言ってくる。

「真木さんが大阪帰っちゃう前に、何かお礼させてください」
「………そう?」

 じゃあ、別れのキスを。……なんて言えるわけがない。

「そうだな……、じゃ、またスカッシュやりにいきたいな」
「はい!喜んで!」
「…………」

 君のそのキラキラは本当に凶器だよ。俺の中の欲望ですら溶かしてしまう。



***



 考えてみたら、大阪の研修会の夜以来、男の子を抱いていない。俺にしてはものすごく珍しい。でも、どうもやる気にならない。また、あの虚しさに襲われそうな気がして……

 だから、東京に戻ってきてからは、毎晩チヒロを抱き枕にしている。
 俺が大阪に帰るまでの期間、毎日ここに泊まることを誘ったら、チヒロはあっさりとうなずいた。日中は、家に帰ったり、仕事に行ったりしているようだけれども、俺が帰るときには必ず部屋にいて、ひっそりと窓から外を見ていたり、大人しく本を読んでいたりする。まるでペットだな、と思う。


 性的欲求ではなく「抱きしめたい」と思うなんて、記憶の限り、チヒロが初めての存在だ。
 常に無表情なチヒロ。母親と姉に付けられたその傷痕を、与えられたものだけで生きているその瞳を、「抱きしめたい」と思う。
 この心の動きに名前をつけるなら……共感。シンパシー。俺達は、同じお菓子の家の住人だ。



 東京最後の夜……

「真木さん、眠れないですか? そしたら僕……」
「待って」

 チヒロの頭や肩や細い腰を延々と撫でまわしていたら、チヒロが気にしてベッドから出ようとしたので、力ずくで引っ張り抱き寄せた。

「チヒロ君は、もう寝たい?」
「そんなことはないんですけど真木さんは明日もお仕事だから」
「うん、そうなんだけどね……」

 頭を優しく撫でる。

「なんだか眠るのがもったいない気がしてね……」
「?」

 ハテナ?という顔をした額に唇を落とすと、ますますハテナ?になるチヒロが面白い。

「チヒロ君、何か話して」
「何かって何を?」
「そうだなあ……」

 こういうときは、共通の知っていることの話をするのが定跡だ。と、なると……

「お姉さんの話」
「姉……、あ、今日会った時に、真木さんが紹介してくださった方がお店に何人もきてくれてて忙しいって言ってました」
「そう。それは良かった」

 以前、俺と連絡が取れなくなった際、チヒロの姉アユミは、チヒロに俺の代わりを連れてくるよう命令していた。だから、またそうならないように、友人や同僚や先輩を片っ端から連れて行って紹介してやったのだ。何人かは引っかかってくれたということだな……

「君のお姉さん、顔もスタイルも良いんだから、あとは性格が良くなるといいんだけど」
「姉は性格も良いです。とても優しいです」
「………そう?」

 同伴を条件に弟を差し出したり、弟の足に痕が残るまで爪を立てたりする女のどこが優しいんだ?という言葉は飲み込む。

「君はお姉さんのこと大好きだね」
「はい」

 コクリとうなずくチヒロ。

「姉は僕のことをいつも助けてくれます」
「そう……」

 そういえば、アユミが「子供の頃はいつも宿題見せてやってた」とか言ってたな……

「あとは誰が好き? コータ君?」
「はい。コータもいつも僕を助けてくれます」

 またうなずくチヒロ。何となく、頬をつねってやりたくなる。

「あとは?」

 頬に手を当てて聞くと、チヒロは透明な目でアッサリと言った。

「真木さん」

 淡々としたチヒロの声がベッドルームに小さく響く。

「真木さんが好きです」
「………………」
「………………」
「………………そう」

 好きと言われているのに嬉しくないのは、アユミとコータと同列に言われたからだろうか。

「俺のことはどこが好き?」
「どこ………」

 チヒロはジッと俺を見上げると、意外なことを言った。

「真木さんの匂いが好きです」
「匂い?」
「はい。大好きです」

 またコクリとうなずいたチヒロ。

「それから……」
と、それを合図に言葉の羅列がはじまった。

「王子様みたいな顔も大好きだしよく響く声も大好きだし力強い腕も大好きだし艶々してる背中も大好きで温かい胸も……、?」

 思わずキュッと抱きしめる。と、チヒロはキョトンとした感じに言葉を止めた。

「真木さん?」
「…………」

 この子、淡々と言ってるけど、気がついてるのかな……

 アユミとコータは「助けてくれる」から好き。
 でも、俺のことは、俺が何かをしてくれるから、ではなく、俺自身のことだ。

 なぜか胸の中が温かく、温かくなっていく。

「あの………」
「チヒロ君」

 コン、とオデコを合わせる。

「もし、大阪においでって言ったら、どうする?」
「行きます」

 あっさりと肯いたチヒロ。でも意味が違いそうだ。

「遊びに行く、じゃないよ? 住むんだよ?」
「住む?引っ越し?」

 チヒロの眉が珍しく寄せられた。そして、

「それは無理です」

 また、あっさりと今度は首を横に振った。

「僕はあの家で姉と一緒に母を待たないといけないしそれにこちらでお仕事もあるし」
「そう……」

 やっぱりそうだよな……。君もお菓子の家の住人だもんな?
 でも、俺は君のグレーテルになって、君を連れ出すことはできない。俺自身もお菓子の家から出て行くことはできないから。


「じゃあ……もう、寝ようか」
「?」

 また、キョトン、としたチヒロの額に再び唇を落とす。

「明日は最後の朝だから、ちょっと贅沢しよう」
「贅沢?」
「おいしいお店に連れて行ってあげる」
「………」

 チヒロの返事を聞く前に、ぎゅっと抱きしめる。初めて抱きしめたときから少しも太ってないな……。

「おやすみ」
「おやすみ……なさい」

 まだハテナ?の顔をしているだろうチヒロの頭を撫でる。

(この抱き枕とも今日でお別れだな……)

 この感触をよく覚えておこう……


***



 大阪に戻ってきてからは、チヒロとは連絡を取らなかった。
 あの東京の夜景の中でチヒロと過ごした夜は、まるで「ファンタジー」。空想世界。夢の世界であったかのようだ。このまま記憶の彼方に追いやられて忘れていく……

 と、思っていたのだけれども。

『助けて、ください』

 チヒロから電話があったのは、クリスマスイブ前々日のことだった。


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