小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

大岡 信 編訳『小倉百人一首』をテキストに語り合う(その3)

2017年08月12日 00時00分53秒 | 文学
        






【概説その2】

 以上のように、百人一首の恋歌には、相手への思いがそのまま自分の命や死に対する自意識と折り重なって表現されるという特徴が強く見られます。恋の情熱に燃え尽きんとすること、秘めたる恋をそのまま墓場まで持ち越すこと、こうしたリズムと振幅の激しさのうちに、宮廷歌人たちの心のあり方をうかがうことができます。平安時代の詩歌を少しでも理解しようと思ったら、まずはその異常なまでの心拍数に寄り添ってみなくてはならないということがこれでわかると思います。「雅(みやび)」というようなのんびりした枠組みだけでは、そこに近づくことはできないでしょう。

 自由恋愛が横行するようになった近代以降では、相手と心や身体を通わせるためのバリアーが低くなっているので、なかなかこうした思いの高まりを経験することが難しくなったようです。
 私は大学の講義で恋愛について語る機会があるのですが、その折、人間の恋愛感情の特徴をいくつか挙げます。その一つに、「壁があるほど盛り上がる」というのがあります。例としては、身分の違い、婚姻関係を決める親の権威、傾城という特殊な世界での恋、片思いの自意識と妄想など。そして、逢瀬の叶わぬこうした事情が少なくなった現代では、濃密な恋愛感情が育ちにくいと説きます。
 現に、契りを結んでもその持続期間がずいぶん短くなっているようですね。いささか寂しい情景ではあります。
 とはいえ、現代でも、不倫、三角関係のもつれ、遠距離恋愛など、恋の情熱や悩み苦しみをかき立てる要素がいくつかないわけではありません。その点では古代と現代で、そんなに変わっていないのかもしれません。
 たとえば俵万智さんの歌では、恋心を詠ったものや不倫の苦しみを詠ったものだけが抜群に優れていて、あとはちっとも面白くない(と私は評価を下しているのですが)のなどは、そういうことの表れとも言えます。「恋は神代の昔から」

 閑話休題、話を平安時代の歌の世界に戻しましょう。
 この世界では、それらの表現が必ずしも真情の素朴な吐露ではなく、あくまでもあるフィクション性を含んだ「言葉」であるということが大切です。歌会の題詠で技を競い合うという形式、当時常套句として共有されていた文句(多くは地名や景物に託されている)がもつ隠語的な含み、気のあるところを飾り立ててみせる相手に対してこちらも気の利いた返歌を返さなくてはならないという一種の約束事――これらは、かなり当時の歌の様式を決定的といってもよいほどに「拘束」するものだったと思われます。
 たとえば、「逢坂山のさねかづら」といえば、「あふ」を「会う」に懸け、「さね」を「寝る」に懸け、それによって、恋人に会って寝るという意味を暗示する(二十五番)というように、また、「高師の浜のあだ波」といえば、言い寄ろうとするプレイボーイの浮気心をうまくかわすための喩の効果を持ち(七十二番)、さらに「陸奥のしのぶもぢずり」といえば、その草の様子がおどろに乱れた恋心を表し(十四番)、「末の松山」を「波が超す」といえば、絶対ありえないことの喩えを意味した(四十二番)というように。

 これらの言葉群は、単なる「枕詞」ではなく、当時の宮廷社会における「教養の共有」の意味を持ちましたし、同時に、そういう自然物に特殊な情趣を託すためのきわめて限定された言葉の運びのスタイルだったということができます。
「袖が濡れる」「名こそ惜しけれ」「物おもふ」「有明の月」「名にし負はば」などの定型的な言い回しも、みな同じような「拘束」を表しています。
 要するにこれらの「拘束」を自ら嵌めて、それらの組み合わせの妙によって、いかに同胞たちを感心させるか、そこにこの時代の言語芸術の目指すところがあったと言えましょう。
 これを、一種の言葉遊び=言語ゲームだったと評しても、けっして歌詠みたちの「いい加減さ」を示すことにはなりません。むしろ、知性を駆使して感情交流の場面を必死で虚構しようとする真剣勝負の場だったのだと思います。
 こうしたところにいやでも宮廷歌人たちの表現意識の位相は置かれていた。そう考えると、逆説的ですが、そのような高度なフィクションであればあるほど、後世にまで訴える力を持ったのだということができます。
 言葉は磨かれた拘束性においてこそ、普遍性を獲得する……。


 もう一つ指摘しておきたいのは、短歌(和歌)とは、もともと個人の芸術表現ではなく、古代の歌垣をその発生の起源とすることからわかるように、集団のお祭りのようなものから生まれてきたということです。
 一年に何度か(ふつう春秋二回)、農民たちが豊饒を祈念して集まり、酒を酌み交わしながら無礼講に興じる。カーニバルのように、さぞかし性の自由な交流もあったことでしょう。
 そういう交流の場で、誰かが上の句を唱える。これはそれ自体としては、さほど意味のない、しかし日常生活で皆が親しんでいるさまざまな自然物、地名、機織りや漁撈の道具、仕事のさまなどを提示したものと思われます。
 すでに数百年を経て、洗練された宮廷歌人たちが歌った歌を多く集めた百人一首でも、その痕跡を示す歌がいくつか見つかります。

 筑波嶺の みねより落つる みなの川(十三番)

 名にし負はば 逢坂山の さねかづら(二十五番)
 
 みかの原 わきて流るるいづみ川(二十七番)

 有馬山 猪名のささ原 風吹けば(五十八番) 

 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の(七十七番)

など。
 これらの上の句に、どんな下の句をつけるかで、そこにえもいわれぬ感興が生まれ、「うまい、うまい!」という集団的興奮に沸いたのではないか。
 それが多く、性愛・恋愛・噂話などを喚起させる文句であったことは想像に難くありません。相聞的なやりとりの場合だったら、虚構と現実が交錯して、その興奮は絶頂に達したことと思われます。返歌を投げる女性の言葉の技量は、こうして上達していったのでしょう。
 また下層身分の間では、さぞかし卑猥で露骨なやりとりがもてはやされたことでしょう。囃し立てる周囲の情景が目に浮かぶようです。

 こういう出自とまだ完全に無縁にはなっていない百人一首の世界、つまりほとんどの歌が平安から鎌倉初期までの八代集から採られている世界では、この「集団性」ということをある程度前提に味わう必要があります。個人の芸術作品というよりは、多分に昂揚した「雰囲気」から思わずこぼれ出た、と言った方が近いかもしれない。
 それらの歌が作られた背景、シチュエーション、返歌である場合には、贈歌との関係、歌合の題詠における場の雰囲気、などから切り離して味わおうとすると、鑑賞態度として邪道に迷い込む危険や、勘違いの感動の仕方をしてしまう恐れもなしとしません。その点によく注意を払ってこそ、この平安貴族社会という独特な文化風土に近づけるのではないかと思います。
 事実、この歌には、かくかくの詞書がついているとか、かくかくの歌の返歌であるなどの事情を知ると、まったく理解と趣が変わってくるのを経験します。
 また大岡さんの訳詞と解説を読むと、えっ、そんな意味が隠されていたのかとか、思いもかけぬ惻々とした哀しみが詠いこまれているのだなあとか、そこまでひねりを効かせるか、などの驚きを禁じ得ません(六番、十一番、三十八番、五十七番、六十八番、七十五番など)。
 
 しかし、新古今時代(十三世紀初)のスーパースターであり、百人一首の編纂者とも伝えられる藤原定家は、勅撰を命じた当の後鳥羽院が隠岐に流されて後書いたと言われる「後鳥羽院御口伝」では、「総じてかの卿(定家)が歌存知の趣、いささかも事により折によるといふことなし」と揶揄的に批評されています。
 つまり、定家に至ってはじめて、短歌という形式は、その背景や時や所と関係のない一個独立の完成品として自立したと言えます。つまり、定家は教条主義的なまでに、個人の芸術としての短歌という理念にこだわり、また事実、彼以降、この詩形式は、本当にそのように扱われるようになりました。
 この事情は、松尾芭蕉が連歌の世界から出発しながら、発句だけを独立させて「俳句」の世界を切り開いたのとよく似ています。

 話は飛躍しますが、クラシック音楽の歴史で、ベートーヴェンの登場によって、パトロン付きの「芸」であったそれまでの宮廷音楽の世界から初めて「個人の内面の表現」としての芸術が成立した事情とも。
 さらに美術の世界でも、弟子たちを集めた工房から個人のアトリエへと変化しています。絵画、彫刻などの造型芸術は、元は建築の装飾でした。

 このように、芸術の歴史というものは、おおよそどの世界でも、集団的協業の世界から次第に独創的な「個人」の作品という色合いを濃くしていくような流れになっています。このことはどうやら不可避的、不可逆的のように思われます(もっとも映画芸術、アニメなどは、その反動と言えるかもしれません)。
 どちらを好むかは、鑑賞者次第、作品次第ということができますし、もともとこんな問いには意味がないのかもしれません。
 しかし私個人の現在の考えを言えば、「個性、個性」と騒ぎ立てるのはあまり好きではありません。そんなことを言わなくても、現に感動的で立派な作品はいくらでも生まれているのですから。
 このように考えるなら、平安貴族たちの作り出した言葉の世界は、人間の情緒の世界を極めたものとして、まさにその全体が「集団芸術」の粋であると言えるのではないでしょうか。


*この記事はこれで終わります。


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