小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

プレミアム・フライデー狂想曲 働かなくてほんとにいいの?

2017年05月14日 19時50分57秒 | 社会評論
      





*以下に掲げるのは、『正論』2017年5月号に寄稿した記事にほんの少し訂正を施して転載したものです。


◆「早く帰った」は3・7%


 去る2月24日、私はある用事があって都心に赴きました。終わったのが四時半くらい。ラッシュアワーにはまだ早いのに、郊外に向かう帰りの電車が勤め人風の人でけっこう混んでいました。みなさん、何の日だったか憶えていますか。
 そう、初めてのプレミアム・フライデー(プレ金)だったんですね。なるほどと思ったものの、ぎゅうぎゅう詰めというほどではない。まあ、こんなものだろうという程度です。
「働き方改革」と消費の伸び悩み改善の一石二鳥という触れ込みのこのアイデア、いったい誰が言い出したのか、セコイというか、白けるというか、見当外れというか、まあ政府の考えることは、何ともバカバカしいとしか形容のしようがありません。
 後日の記事によると、首都圏在住の働く男女を対象にした民間調査では、実際に早く帰った人は、たったの3.7%だったそうです(産経ニュース・2017年3月3日付)。当たり前でしょう。
 このアイデアのどこがバカらしいか。いくつもありますが、一つ一つ行きましょう。
 まず前から言われていたことですが、早帰りできるのは、経営状態が良好で余裕のある大企業の正規社員だけだということ。
 日本の中小企業は99.7%を占めますが、このデフレ不況下で四苦八苦しているところがほとんどですから、そんなことが許されるはずがありません。ただでさえ残業、残業、休日出勤と、過酷な労働条件を強いられているのです。事前の聞き取りでも「プレ金? ウチは関係ねえよ」とほとんどの人が答えていたようです。
 後に紹介する「働き方改革」についての資料の中に、「厚労省が、所定外労働時間の削減や年次有給休暇の取得促進を諮る中小企業事業主に対して、その実施に要した費用の一部を助成する助成金制度を導入した」とありますが、そもそも現在のデフレ状況下で、そういうことが中小事業主に可能なのか、きちんと調査・検討した事実を寡聞にして知りません。
 いくら助成してくれるのか知らないけれど、おそらくは雀の涙。これは事業主の道徳心に期待したもので、そういう政治手法は効果薄弱なことが初めから見えています。
 プレ金についての前期記事によれば、余裕のある大企業でも以下のような有様です。

《実施・推奨している職場でも「早く帰るつもりだったが帰れなかった」という人が16.3%。理由には「仕事が終わらなかった」「後日仕事のしわ寄せが来る気がした」「職場の周囲の目が気になった」などがあがった。》

 初めの二つの理由は当然といえば当然ですね。でも最後の理由が、「働き方改革」全体の趣旨にとって意外にも大きな壁となっています。しかしそもそもこの趣旨自体がおかしいのですから、「壁」はじつは壁ではなく、配慮しなくてはならない重要なポイントなのです。これについては後述します。
 また、この種のアイデアが百害あって一利なしなのは、政府がデフレ脱却のために適切な対策を打っていないことから人々の目をそらす作用を持つからです。適切な対策とは、言うまでもなく、プライマリーバランス(基礎的財政収支)黒字化目標を破棄し、大胆な積極財政に打って出ることです(ちなみに積極財政の障害となっている「国の借金1000兆円。このままだと財政破綻する」という財務省発のウソは、いい加減に引っ込めてほしいし、国民もこのウソから目覚めてほしいものです)。

◆日本の休日はかなり多い

 こういう弊害もあります。日本の休日数(年次有給休暇日数)はいま世界の中でもかなり多い方に属するので、これ以上増やす必要はありません。しかし実際には休める人と休めない人との間には大きなギャップがあります。すると、賃金が低くきつい労働に耐えている人々の間にルサンチマンが貯めこまれます。公務員を削減しろなどというのがその典型ですね。
 また「早く帰宅させると消費が伸びる」などという論理は「風が吹けば桶屋が儲かる」と同じで、まったく論理が成り立ちません。というのは、時間当たりの労働生産性が変わらないと仮定すれば、長く労働した方がマクロレベルでは生産高が増え、それに応ずる需要がありさえすれば、その方が消費が増えるはずだからです。バブル期の時はみんな猛烈に働いていましたよ。仕事があったのです。つまり需要があったのです。
おまけに金曜日ですから、一週間精一杯仕事をした気分で夜の街に繰り出せば、それだけお店も繁盛するでしょう。その方が需要創出につながると思うんだけどな。先の記事では、退社した人で最も多かったのが「家で過ごした」(41.8%)だったそうです。あ~あ。

◆休日に働いている人は多い

 ここまでは、いわゆる「サラリーマン」をイメージして論じてきましたが、ここからは、人々があまり気づいていない事実を指摘して「プレ金」の無意味さを述べましょう。この視点は、言われてみれば当たり前なのですが、私たちの先入観を取り払うという意味で、意外に重要だと思います。
 その事実とは、休日というと、オフィスに勤務するホワイトカラーにとっての休日をつい思い浮かべがちですが、じつは休日やオフの時間帯こそ稼ぎ時だという人や、平日が休日になっていたり不定期に休みを取っていたりする人がたくさんいるということです。
「NAVERまとめ」の「職業別・男女別就業者人口の割合」という統計資料(https://matome.naver.jp/odai/2146752095773010701)によって、一般事務、会計事務、営業職業その他、平日オフィスに勤務しているだろうと思われる人の割合を推定してみると(厳密に仕分けすることは困難ですが)、わずか二七%から多くても三二%程度にとどまるのです。
 政府の「働き方改革」なるものも、こうした職業の人が「働く人」のすべてであるかのような錯覚にもとづいて構想されており、仕事に従事する人の正しい実態をとらえていません。レストラン、ホテルなどのサービス業関係者、医療福祉関係者、教育関係者、交通機関関係者、各種小売商、不動産業者、土木建設作業員、出版、テレビなどメディア関係者、農業従事者、漁業従事者、各種自由業者等々、政府はこういう人たちのことを考慮に入れているでしょうか。

◆働く人は減っているが…

 さて問題の「働き方改革」ですが、ニッセイ基礎研究所の金明中氏によると、政府がこの政策を進めている理由は次の三つです。
(1)日本の人口、特に労働力人口が継続して減少していること
(2)日本の長時間労働がなかなか改善されていないこと
(3)政府が奨励しているダイバーシティー(多様性)マネジメントや生産性向上が働き方改革と直接的に繋がっていること
http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=53852&pno=3?site=nli
(1)は、正しくは、少子高齢化によって、人口減少カーブと労働力人口減少カーブとの間にはなはだしいギャップがあると捉えるべきです。この現象は、各分野での人手不足を生んでいます。人手不足は、長い目で見れば供給が需要に追い付かない事態を意味しますから、賃金上昇をもたらすはずです。超低金利と相まって、デフレ脱却の絶好のチャンスと言ってもよいのです。
 ただし経済評論家の三橋貴明氏が常々指摘しているように、人手不足解消の応急措置のために外国人移民を受け入れるのではなく、政府が技術開発投資やインフラ投資を率先して行うことで生産性を高めるのでなくてはなりません。しかるに安倍政権は、移民政策を推し進めようとしています。移民政策がどんな結果をもたらしつつあるかは、ヨーロッパの現状を見れば明らかでしょう。

◆単に目的は人手不足解消と低賃金なら…

 そもそも常識的に考えて労働力人口の減少がなぜ、働き「方」の改革に、それも長時間労働の削減を良しとする発想に結びつくのか理解できません。これはおそらく、電通若手女性社員の過労自殺やブラック企業問題などが世間を騒がせたので、あわてて木で鼻を括るように問題項目だけをそろえてみせたのでしょう。
 もっとも、長時間労働を減らしてワーク・ライフ・バランスを回復させると、かえって生産性が上がるという一応の理屈が付いてはいます。先のニッセイ基礎研究所の資料によれば、OECD諸国の統計で、一人当たりの平均年間労働時間と、労働生産性との間には逆相関が認められるというのです。つまり労働時間が長い国ほど労働生産性が低いというのですね。たしかにこの資料にはそれを示すグラフが付されていて、それらしき傾向が読み取れます。
 しかし相関関係は、因果関係ではありません。各国には各国の労働事情があり、安易に比較することはできないのです。労働生産性は、国によって産業構造がどう違うか、どんな社会環境下に置かれているか、設備や技術の普及度はどうか、労働の組織形態はどうか、働くことについての国民の意識はどうかなど、さまざまな条件に左右されますから、逆相関がみられるからといって、労働時間を減らせばいいなどという単純な結論は得られません。
 次です。先に挙げた「働き方改革」を進める理由の(3)に出てくる聞きなれない言葉「ダイバーシティー・マネジメント」ですが、これはいったい何でしょう。政府は、本音を見透かされないようにごまかすときは、たいていこういう聞きなれないカタカナ語を使います。最近聞かなくなったけどホワイトカラーエグゼンプションとかね。
ダイバーシティ・マネージメントとは、多様性を許す経営ということらしいですが、ちょっと聞くと、働き方の多様化、たとえば在宅勤務を条件付きで容認するとか、勤務時間の自由化(フレックスタイム)とか、ワークシェアリングを充実させるとかいったことをイメージさせます。ところが、読んでみるとそうではなく、女性、高齢者、外国人といった「多様な」人材を対象にするというだけのことなんですね。何のことはない、単なる人手不足解消策と、低賃金での人材確保策という財界の要望を反映させたものにすぎません。これでは企業のブラック化は少しも変わらないでしょう。

◆デフレで働かなければ貧しくなる

 現在のブラック企業問題や過労死問題の解決策を模索するには、労働行政の枠内にだけ視線を集中していたのではダメなのです。まず何よりも、なぜそういうことが発生する風潮が当たり前になっているのか、その根本原因はどこにあるのかを考えるのでなくてはなりません。
 根本原因は、誰でもわかることで、デフレ不況がもたらした経営困難や生活困難であり、それを作り出している政府の誤った経済政策(無策)です。電通の女性社員は生活困難ではなかったでしょうし、自殺の直接原因が過労であったとは必ずしも特定できませんが、長く続くデフレ下で醸成された企業のヒステリックな空気を毎日呼吸していたとは言えるでしょう。
 日銀の金融緩和だけではまったくデフレから脱却できないことが判明した現在、取るべき政策は国債(赤字国債と建設国債)の発行による大胆な財政出動以外にないのです。これは先ごろ来日したノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツ教授も言っています。ここでは、なぜかを詳しく論じませんが、この方向性が財政危機・財政破綻を招くなどということは百パーセントあり得ません。
 要するに、まずデフレを解消して一般国民が豊かさとゆとりを回復するにはどうしたらよいかに言及せずに、働き「方」の問題だけ抽象して「長時間労働を減らしてワーク・ライフ・バランスを」などとのんきなことを言っているのは大いなる欺瞞なのです。中小企業主やその従業員の人たちがこれをまともに聞いたら怒りだすのではないでしょうか。「そんなお節介しなくていいから、そういうことが自分たちでできるように、まず働いた分に見合うだけの報酬が払える(得られる)ような景気対策を早く打ち出してくれよ」と。
 政府がデフレ対策を打ち、積極的にインフラ投資や技術開発投資をし、企業が設備投資をしたくなるような空気を作り出さなければ、単なる働き「方」の改革を抽象的に論じても、労働者にゆとりなど生まれるはずがないのです。
縦割り行政の弊害でしょうが、この改革理念の中に、物理的に労働者にゆとりを与えるためのAI技術(ロボットなど)の導入の話などがまったく入ってこないのも不思議です。デフレ期にただ長時間労働を減らせなどというのは、貧しい生活に甘んじろと言うのと同じではないですか。
 いま進められている「働き方改革」なる政策は、非現実的な観念の遊びの枠組みの中に、人件費を削れという経済界のいつもながらの陳腐な要求を忍びこませた「まがいもの」にほかなりません。

◆周りを気にして帰らない…は日本人の長所では?

 先に、プレ金を推奨している職場でも帰れなかった人がかなりおり、その理由の一つに「職場の周囲の目が気になった」というのがあったことを紹介しました。ニッセイ基礎研究所の資料にも、年次有給休暇の取得にためらいを感じると答えた人が68.3%に上るというデータが載っており、その内訳の上位一位と三位を見ると、複数回答で「みんなに迷惑がかかると感じる」74.2%、「職場の雰囲気で取得しづらい」30.7%となっています。
 この資料ではこういう結果を「働き方改革」を阻む障壁と見ていますが(この種の政策関係資料はだいたいそうですが)、私は無視してはならない尊重すべき点だと思います。ここに多くの人は日本的組織の特徴を見出すでしょう。私も日本人らしいとは思いますが、それを組織にとって必ずしも悪いこととは思いません。
 この周りを気にする意識は、「仕事」というものに対する日本人のとらえ方をよく表しています。つまり日本人にとって仕事とは一人でやるものではなく、仲間と一緒にやるものなのです。近代個人主義の立場からは、これは克服すべきだということになるでしょう。しかしよく考えてみると、初めから終わりまでたった一人で完成させる仕事というものは存在しません。周囲の人とのかかわりを大切にする日本人は、そのことを本能的にわきまえていて、いつも配慮を忘れないのです。
 このいわゆる「集団主義」的な精神、優れたチームワークが、かつて高度成長を生み、世界から驚嘆され、称賛を浴びたのではなかったでしょうか。
 もちろん長所は同時に欠点でもあり、過度な集団主義は個性をつぶします。それが独創的なアイデアの産出を阻んだり、間違った既定路線をいつまでもずるずると続けさせたりします(財務官僚の緊縮財政路線のように)。またお節介な上司との粘着的な関係が私生活の自由を阻害することもあるでしょう。
 しかし、どんな時にも「はい、五時になりました。帰らせていただきます」とさっさと席を立つようなドライな人は、関係を大切にせず、その結果、仕事を自分たちのものとして大切にしない人でしょう。責任を負わない人だと評価され、本当に結束しなければならない時に仲間から信用されないでしょう。
「働き方改革」を口にして、その中に「長時間労働一般の弊害の克服」や「年次有給休暇の取得促進」を絶対条件として繰り入れる人は、現実の「仕事」というものが初めから孕んでいる共同性感覚、情緒の共有の大切さを軽視しているのだと私は思います。
 しかし共同性感覚とか情緒の共有といった人間論的なテーマは、もともと抽象的な網によって問題を整理しようとする政策課題になじまないところがあるのは確かです。またもちろん、劣悪な処遇に対する法的な措置や緻密な管理・監督は大切です。しかしことが悪化するのも現場、悪化を正確にチェックできるのも現場ですから、「働き方改革」を真剣に考えるなら、個々の現場レベルでの数値化できない問題を、あえて問題として可視化する姿勢が問われるでしょう。ほんとにやる気があるなら、膨大な現場事例を集めて問題点を多角的に検討するところから始めてはどうでしょうか。
 プレ金はそれ自身のうちに、労働に関して一般化できないことを一般化しようとする無理解を含んでいます。早いうちに消えるでしょう。


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