相次ぐ非道徳不祥事/TPP論争で橋下氏が小林氏に完敗 | 高澤 一成 「真の哲学者とは」

高澤 一成 「真の哲学者とは」

■哲学・社会学・社会思想に基づく「社会衰退の克服論」
■成人道徳教育(啓蒙)の必要性と、道徳と自由の両立

相次ぐ非道徳不祥事/TPP論争で橋下氏が小林氏に完敗

 
 
■孤独な哲学者
 
 先日のブログは私自身、感情的になっていて、投稿後にだいぶ書き直した。
 それと言うのも投稿してから、緑の美しい小峰公園に自転車で行き、寒空の下でスピノザを読んでいたのであるが、そのときに読んでいたところが、ちょうど今の私を厳しく戒めるような内容だったので、ハッと我に返って文章を大幅に修正した次第である。
 
 また、スピノザとその影響を受けたヘーゲルの哲学、それに道徳と、老子のそれらは非常によく似ていて、つまり道徳的に奥が深く、反語的であり、目に見えないものを捉えようとする道徳や哲学の楽しさが詰まっている。だが私にはキリスト教やイスラム教のような原罪意識や神への感謝(Shukr)、それに日本の世俗の非道徳さに対する厳しさが根強く、それら預言者に対する畏敬や、行動規範を律する宗教的な道徳の側面も色濃い。

 また人間とは、若いうちは自分のためだけに生きていたのが、年を取ればなぜか人のために生きたくなる。それは道徳的にいいことであると同時に、昔ほど女性を好きにはならなくなるなど、人(分裂した個)として覇気がなくなってしまったことを象徴することでもあり、半ば以上は悲しく感じている。
 道徳には理性だけではなく、自分自身の生命力の減衰(それが至誠の一つなのかもしれない)と、ルソーの言うような人に対する哀れみ、つまり人間に対する悲壮が必ず付き物である。
 また私が現実的に考えていることは、ゲームであり、欧州サッカーであり、女性であるが、道徳的な関心やメッセージや知識が無意識的に集まってくるという性質があって、私の中から現れ出たメッセージが、後から確認したら、古典の哲学に書かれていたりするので、自分でもどうしていいかわからなくなっている。
 
 無論、感情に先走ってあやまちを犯すこともしょっちゅうであるが、必然として、私を戒める言葉が無意識的に飛び込んできたり、いろんなことが起きているというのが現状である。
 だが道徳家としては、かなりのムラのあるタイプであるに違いない。
 「哲学や道徳に全く関心がない」と言っても信じてもらえないが、無意識的に手に入れた知識が頭の中にこびりついていて、かつ新しい発想、着想がひっきりなしに出てくるので自分でもそれを書きとめ損ねることの方がはるかに多い。
 
 でもそれは、私が人として幸せな生き方を全くできなかったことへの反動、つまりここで語るべきではない個人的な憤りや不満によるものであるというくらいに考えている。
 また、スピノザもヘーゲルも「必然」の哲学であり、すべては運命であって自由はない。
 そして最近見つかった三島由紀夫のテープでも三島が全く同じようなことを言っていて「我々はパペット・プレー(人形劇)を演じている」言っている。
 また彼は「死が私の中に入り込んでいる」と言っていたが、私も彼の心境が痛いほどよくわかる。
 だが、私は三島と正反対であり、この齢(よわい)になっても何事も為せておらず、つまり誰からも注目されていないので、三島のようにまったき無(死)に飛び込む舞台が全く整っていないので、吉良邸討ち入り前の、「昼行灯(ひるあんどん)」と呼ばれた大石内蔵助(くらのすけ)のような、ぼんやりとした日々が続いているのである―。



■社会を変えられるのは私ではなく、私以外の人

 新著を出版して一ヶ月半が過ぎようとしているが、先日も激励のコメントを頂いた。
「(高澤の新著は)知識と教養に裏付けられており、大反響が起きてもおかしくなく、広く世に出るはずの作品が正当な扱いを受けないことは日本社会の損失であり希有の才能の埋没は非常に悔しく思います」
 また、女性からも私を高く評価して下さるメッセージを頂き、恐れ入っているところである。
 だが私が惜しいと思うのは、それを私だけに言われても、全く社会は変わっていかない。
 デュルケムは次のように言っている。
「なるほど、ときには、いだいている観念や願望が同時代の人びとのそれを凌駕しているような者が出現してくることもある。しかし、国民の精神の構造をつくり変えるのは、そのような孤立した個人ではないのだ。」(『自殺論』デュルケム著 宮島喬訳 中央公論新社)
 私はデュルケムのこの言葉に抗(あらが)おうと、2004年に埼玉県宛てに道徳指導要綱を提言して以来、必死に頑張ったが、省庁、自治体、政治家、政党、学会、新聞・テレビ・出版のメディアから全く相手にされず、20代、30代の人生を完全に棒に振った…。
 それほどまでに統計に基づく、優れた洞察力を持つデュルケムの社会学は後の文化人類学者レヴィ=ストロースも多大な影響を受けたほどであり、偉大であり、客観普遍だという証明でもある。
 つまり自薦では全くどうすることもできなかったのである。
 分からず屋の新聞社や出版社なら攻撃的にキレられる。
 また、真相は分からないが、講談社を始めとするほとんどの出版社が左寄りと言われており、事実、道徳は全く受け付けないのである(講談社の韓国人の編集次長は逮捕されたが)。
 また先日、新潮社に献本してダメだったが、つまり私ではなく、皆さんが新潮社にメールをした方が100倍も、1000倍も効果があるということである。
 私が八方手を尽くして社会を変えようとしても、全く何もできなかった。
 デュルケムの言うように、明らかに、社会を変えられるのは私ではなく、このブログを読んで下さっている皆さまであり、私以外のすべての人である。それは大げさでも何でもない。
 幸い私は本を一冊出せているので、それが一つの資料というか助けとなってくれるかもしれない(もっと精進したい)。


■相次ぐ非道徳不祥事
 
「神奈川県警の警察を逮捕 スカートの中にスマホを…」
AABニュース 2017/01/31 より  
 日本の犯罪者予備軍である成人男性が続々と犯罪者となって、社会から退場している。警察官の道徳教育など、私にとっては造作もないことであるが…。だが、道徳教育の指揮を執る文部科学省の官僚までもが国家公務員法を犯していたので、今の日本には道徳がなく、何ら驚きではない。
 
「殺害予告の仮面女子が涙で『不安』」
(日刊スポーツ 2017年2月7日)
 女子アイドルに対する脅迫やストーカー犯罪については自著でも書かせていただいたが、まさに自著で書いた懸念がそのまま現実となっている。そもそも「女」という「社会的稀少価値」を取り払った後に残る「アイドル」の価値とは何なのか。アイドルのファンがまったき道徳者であることは少なく、社会がアイドルを重宝する限り、アイドルをモノとみなす人は絶えない。
 
 
 
「NHK山形酒田支局も家宅捜索」
(日刊スポーツ 2017年2月8日)
 女性宅に押し入り強姦をするなど、NHK記者の仮面を被った鬼畜の所業である。社会保険庁のように、非道徳極まりない文部科学省もNHKも解体すべきだと私は思う。だが朝日新聞もNHKも文部科学省もこういった不祥事が絶えないので、互いに互いを批判し合って、どこも全く責任を取らないどころかヘーゲル哲学で重視されている道徳の必要性にすら言及しないのが、バカマルクスの全共闘世代、バカ団塊世代が生み出した、見下げ果てたこの国のメディア権力と教育の府の現状だ。
 
 
 
「市の秘書課長、トイレで盗撮」「市団体職員児童ポルノ」
(日刊スポーツ 2017年2月9日)
 公職者による盗撮、児童ポルノはもはや完全に日常の出来事、日常茶飯事となっている。私もアキバ歴が長いので、このようなジャンルがあるのはわかるが、マニュアルな公職者が増えて、うつ病が増加し、同時にヘーゲル哲学で言われる社会的な背景を考えられない人が多くなった。無論、スマホや小型カメラのない時代にはこのような犯罪は起こりえなかった。だからこそなおさら今の時代には盗撮の欲求を抑えるために道徳が必要なのであるが…(本読んでね)。
 
 
 
「男子児童ポルノ収集グループ」
(日本テレビ「ZERO」 2017年2月9日)
 たった今述べたようなことであるが、児童ポルノで捕まった開発(かいこつ)被告の母親がテレビで困惑した様子だった。日本には、ショタ、ショタコンなどと言われる児童ポルノの市場があって、勝手に趣味に突っ走るのはいいが、ヘーゲルの言う社会背景を考えられず、つまり道徳を考慮できず、開発(かいこつ)被告は母親に塗炭の苦しみを味わわせている。巨万の富を築き上げた「キング・オブ・ポップ」であるマイケル・ジャクソンですら、小児性愛、児童ポルノの疑いの払拭には多大な代償を支払ったのである。
 私も遊園地で働いていたので子どもが大好きである。
 ただ、子どもに対する愛とは、子どもをモノとみなして欲望をぶつけることでは断じてなく、子どもたち自身が喜ぶようなことをしてあげることである。
 


■橋下氏、TPPの議論で小林よしのり氏に完全敗北。
(テレビ朝日「橋下羽鳥の番組」 2017年2月6日)

 橋もっちゃんがおかしいと思うのは、ブレグジット(イギリスのEU離脱)やトランプを熱烈に支持しているにも関わらず(ブレグジットの時は「橋もっちゃん、やるな!」と思って見ていたが)、なぜかグローバリズムやTPPに賛成していることである。
 この点は、「グローバリズム」、「反グローバリズム」以前の問題であり、公党の名誉顧問的存在としては、あまりにも見識がなく、明らかに矛盾していて支離滅裂としか言いようがない。
 無論、法や地方行政のスペシャリストだから、詮無きことである。
 が、これだけ無学な人が全国ネットで、小林氏が指摘するように、あまりにも評論家をバカにし過ぎてはいないか?
 
 毎度毎度、「行政の首長を経験していないあなたには何もわからない」という姿勢で、相手を全否定して完全に見下して話を終わらせてしまうという論法だが、仮に民放キー局の人気番組に、誰も知らないような、地味な首長経験者ばかり呼んでも視聴率は取れないのだから、この点で橋もっちゃんが完全に矛盾している。
 少なくともこの日の橋もっちゃんは、小林よしのり氏にTPPやグローバリズムの恐ろしさを問われても、「最後は国民が決める」というバカの一つ覚えの誰もが知っている「民主主義的手続き」の一点張りで、「バカ丸出し」であり、ボクシングの判定では「10対0」の完敗だった。
 
 ところで私は自著「いま僕らに必要な道徳」で橋下氏はもちろん小林氏も徹底的に批判している。何も知らない小林氏は、「道徳は内心だー」と朝日新聞や共産党と全く同じ誤ったことを言っていて、その論争にアイドルまで利用して、観念的に「憲法に道徳を盛り込むな」と主張していることに対して私は自著で反論しているが、私と哲学に疎い小林氏が議論しても残念ながらこれくらいの差はついてしまう
 小林氏はハイデガーだけの哲学を勉強されているが、ハイデガーは私も「存在と時間」を全部読んだがさほど重要な哲学ではなく、大ヘーゲルを始めとする諸哲が頭に入っている私から見れば、小林氏もまだまだ橋もっちゃんに近く、つまりロベスピエールのように観念的で、社会的背景(道徳)を考慮できておらず、勘違いしている点もたくさんある。
 小林氏の世代は左翼がまだまだものすごい強かった時代だが、そんなさ中にあった小林氏は、保守というよりも、頭のいい、進化した左翼であり、個人的には天皇退位などで共感すべき点も多々あり、テレビによく出る論客の中では一番頭がいいと思う。ただまだまだ哲学が全然足りなすぎる。
 それでも小林氏のTPPに対する考え方は三橋貴明に近く、増上慢の橋もっちゃんの鼻っぱしらを叩き折った小林氏の議論は見ていて痛快だった。
 だが、私は橋もっちゃんが嫌いというわけでは全くない。
 これで自分の無知ぶり、バカさ加減が明らかとなって、むしろ人間として共感を持つし、総理大臣は無理としても、法務大臣や行政改革担当大臣には一番適している人物だと今でも思う。
 ただホント謙虚さがないのは、キリストの「悔い改めよ」ではないが、ヘーゲル哲学的にも、必ず「思い上がった個が社会によって襲撃されて没落する」一番の要因になると思う。
 いつまでも森永さんや太蔵さんといった弱い論客を全国ネットでイジめて、おごり高ぶっているから、初めて本格的な論客に真っ向勝負を挑んで、けちょんけちょんにやられてこうなったのは自明の理である。
 毎度、「政治家には道徳はいらない」と余計なことを言っているが、ネット全体でも「橋もっちゃん大敗」という感想が圧倒的であり、ようやく私の言っていることが橋下寄りだった人たちにも理解できてきたと思うが、橋もっちゃんは経済も道徳も全くバカである。
 「政治家に道徳はいらない」なら、なぜ福岡県の麻雀市長はあれだけ有権者から叩かれているのか?
 舛添さんが政治資金私的流用であれだけ叩かれて都知事を強引に辞めさせられて、週刊誌からママチャリで逃げ回っているのか?
 また、アメリカの海兵隊に対して「風俗を利用しろ」などという勧誘は公人失格であり、そもそも性犯罪とは突発的に起こるものであって、お金を払って風俗に行っている時点でその男性は理性的であるし、ましてや殺害目的である男性には全く無意味であるし、聞かれてもいないのに政治家が個人の性生活にまでいちいち口出しすべきではない。
 それにしても一漫画家に過ぎない小林よしのり氏、チャーリー小林は度胸がある。
 


■日本にとってのグローバリズムとは何か。
 橋もっちゃんが何も知らない、日本にもたらすグローバリズムの影響とは何か?
 アメリカではすでに1%の金持ちがアメリカ中のパイを奪いつくしており、残りの99%を支配している。
 その上アメリカ人には日本のような戸籍がなく、かつ総資産5兆円以上と言われるコーク兄弟の反対によって、国民皆保険すら持てないので薬すら満足に買えない。
 かつほとんどの人の貯金額が極端に少なく、ほとんどの人が銃を持つ銃社会なので犯罪が絶えないのは言うまでもない。
 しかも政治まで完全に金に支配されており、大富豪や大企業がいくらでもネガティブキャンペーンを打つことができる(それに打ち勝った、これまた大富豪のトランプはかなりの異端児だが)。
 しかし実体経済も行き詰まり、金融経済もリーマンショックで行き詰まり、利潤追求の当てがなくなったアメリカの大、大、大富豪たちは、さらにもう何兆円も稼ぐために、われわれ日本の中産階級の資産に目を付けた!
 かくして実質的にアメリカの植民地である日本は、「親米ポチ」である、皆さんの大好きな日本の世襲政治家たちによって、たとえば郵政は民営化され、郵便事業の赤字を補填するためのお金、つまり郵貯や簡保の黒字は外国人投資家へと流れ、郵便事業の赤字は我々の税金で補填されるというシナリオである(三橋貴明氏)。
 これでアメリカ人がしつこくつけ狙っていた、圧倒的な規模を誇るギガバンク、郵貯のお金は間接的にソロスのようなアメリカの外国人投資家へと流れる?
 また、安倍ちゃんが先進国の政治家たちに対して、皆さんの年金を、まるで自分のお金をふるまうかのように社交界で鼻高々だったが、老後に不可欠な皆さんの貴重な年金とは、安全な日本国債に100%運用されて然るべきだが、GPIFでギャンブル的な「投機」である海外の株式市場にみすみす流す羽目となった。
 そして全農もまた、小泉・息子によって解体が進められ、ゆくゆくは全農が株式会社化されて、アメリカのカーギルに乗っ取られ、JA共済と農林中金の黒字が日本の農業、農家には行かなくなって、日本の食料自給率は低下し、かつ地方からガソリンスタンドやスーパーのインフラもなくなって、物理的に地方に人が住めなくなり、地方が過疎化していくというシナリオである(いずれも三橋貴明氏によると)。
 TPPもこれらの動きに激しく追い討ちをかけて、日本を貧しくして滅ぼすものだったし、岩上安身氏によれば、新潟知事選も反原発ではなく、反TPP票によって、自民党がまさかの大敗を喫したのである。
 つまり原爆を落とされるくらいのこと、搾取や略奪を、ぬらっとしたやりかたでされようとしているのである。
 そして自民党の世襲政治家とは、日本のために動いているのではなくて、アメリカの企業や投資家のためだけに動いており、「日本人の顔をした、宗主国アメリカからの税金徴集人」と言って差し支えない。フリーメーソンのような国際的な政治家、大富豪のつながりを連想してもらえればいい(我々は皆奴隷である)。
 そしてこのまま行けば、日本もアメリカや中国のように巨大格差が進んでいって、世襲政治家や経団連の大企業など一部の層だけに富が集中し、かつ彼らはアメリカの覚えめでたく、アメリカの大富豪とだけ仲良くしていれば、自分たちもまた損をしないのである。
 無論、朝日新聞や沖縄で活動している県外の過激派のような露骨な「反日」ではないが、経済面だけ見れば、「売国」という表現が適切かどうかは皆さんの捉え方次第であるとしても、極度の「親米」であることは疑いようがない。
 また、日本は強靭な中産階級を誇る「内需の国」であり、つまり外国に依存するような貿易国では全くなく、ほとんどがド貧民で輸出(外需)なしには生きていけない中国のような巨大格差の国とは全くワケ違うわけであるし…。
  
■TPPについて (三橋貴明氏によると)
 小林氏はTPPについて端的に橋下氏を攻めたが、まだまだあの議論では到底不十分であり、TPPの本当の恐ろしさを国民は知らなさ過ぎる(橋もっちゃんはどうしようもないね)。
 TPPとは、三橋氏によれば「国家を協定で縛っての、特定のグローバル企業のための利益誘導」であり、自由貿易の協定は貿易のメリットが過大評価されるが、「日本もアメリカも元々関税が低いのでメリットがない」という。
 また三橋氏によれば、スティグリッツ教授は「TPPの効果はほとんどなく、投資の部分の条項が新しい差別をもたらし、より強い成長や環境保護のための経済規制手段を制限する」と言っている。要は社会を守る国家主権の制限になるという。
 三橋氏が指摘するTPPの問題とは、ISD条項もあるが、ネガティブ・リスト方式が問題であり、禁止分野以外の投資は全部OKということになっているので、これから新しい分野が出てきた時に新しい投資に制限をかけることができないという。
 さらに三橋氏によれば、規制緩和してほしい企業はTPPに委員会ができて、そこに訴えて各国の政府を変えさせる(ISD条項)など、グローバル企業やグローバル投資家にとって有利だが、アメリカの主権を越えたところで勝手にやられるのは間違いないから、「なんでこんなことやるの」と学者も政治家も反対しているという。
 また三橋氏によれば、アメリカの製薬業界は「TPPだと日本の国民皆保険が残る」ので、まだまだTPPでは足りなすぎるので、逆に反対しているという。

 先日の日米首脳会談で安倍首相は「エイブ(Abe)と呼ばれて光栄」と言うようなことを言われていたが、安倍首相は言うまでもなくTPP推進、つまりグローバル企業の手先であり、それとは対照的に、本当の「エイブ」と言われるアブラハム・リンカーンは次のようなことを言い残している。
「企業は自ら王になった。これからは高貴なものが打ち砕かれる時代になる。カネがひとびとを誤った方向に導き、企業の王政を長引かせようとする。(中略)それはごく一部の人間に富が集中するまで続き、(中略)そして共和制は崩壊するだろう。」(「さよなら消費社会」カレ・ラースン著 加藤あきら訳 大月書店より)
 
 
 もし日本にリンカーンがいるとするなら、それは三橋貴明しかいない。