金刀比羅宮・本宮への参拝中、

新緑と風の気配に誘われて、脇道にはいってゆきました。

表参道から右手に逸れた場所に 気持ちのよい丘があり

そこは「掃海殉職者」の慰霊の場所だったのですね。

 

「掃海」とは この時はじめて知った言葉で

今ひとつ意味がよくわからないまま

だけど、こんにちの日本の海があるのは、

「掃海」をしてくださった方々のおかげなのね、ということは心に沁み

顕彰碑に手を合わせ、亡くなった方々の魂と海の平安を祈ったのです。

 

参拝から帰宅したその日の夜、

おそらくここの慰霊碑からやってきたと思われる

ユーレイさんからコンタクトがありました。

 

就寝時に

額の裏全体にファンタジックな風景が

うっすらと透けながら映画のように流れていて

(でも映像自体は実写か実写に近いCG映像のようにリアル)

その美しさを楽しんでいたのですが

 

急に私の右後方のあたりに

地(といっても背景は何もないので無地の空間?)を這うような感じでズズ、ズズ、

と伏せながら私のほうへ移動してきている

白い上下の服を着た 男の人の後頭部と背中が見えたのです。

 

見下ろしている視点なので、顔は見えません。

粗い粒子と、まぶしくない光の残像でできているような、どこか輪郭がぼやっとして

はっきりしない見え方です。

 

私の場合こういう見え方をするときは、

何か自分と波動の違う霊的なものを見ている可能性があるように思っています(^_^;)

 

ぼーっとそれを見ていたんですが

その男の人がうつ伏せた状態から

緩慢な動きでよつばいの膝立ちになり

うつむいた後頭部に視点がズームしたとき

(あ、顔をみるのはいやだ)

と感じ、ぱっと目を開けました。

 

何もない真っ暗な天井が見えるだけなのですが

右側で何度か、肉眼でもわかる白い光がぱしん!ぱしん!と走りました。

 

仕切り直して寝よ。

と思ってまた瞳を閉じましたが右側に影が差すというか

何か、あるいは誰かに見られているような感じがしていて「??」と思っていました。

 

それきり何事もなくふつうに眠ったのですが…。

 

詳細ははしょりますが

その後の経緯で、いろいろと気づくことがあり

登場の仕方はちょっとビビったものの

胸が痛くなったり、気持ちが沈んだりすることもなく

特に怖いユーレイさんではないと感じていました。

 

そのユーレイさんは

少しでも多くの人に

 

「『掃海』のことを 知ってほしい」

「平和を大切にしてほしい。平和な未来を祈ってほしい」

 

そういう気持ちを伝えたくて、

一生けんめい、空間を這いずるようにして

私のところにやってきてくれたようなのです。

 

こんな風にブログに書くことしかできませんが

ぜひ、「掃海」という命がけの作業を行ってくださった方々がいたことを知り

その方たちへの感謝と魂の平安、

その方たちが守ってきた「海の安全」を「海の平和」を

共に祈っていただけたら… と思います。

 

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「掃海」とは、

戦争で海中に設置された「機雷」を除去することなんです。

「掃海殉職者」とは、戦後に海中の機雷を除去中に

亡くなられた 79名の方々です。

 

万を超える海中の機雷を

敗戦直後の、設備のままならない木造の掃海艇(老朽艦や漁船)で

ひとつひとつ機雷を見つけては

人力を基本に慎重に除去していく作業は、

気の遠くなるような 厳しく命がけの作業だったのですね。

 

私、「掃海」の話を知ったとき

ふだん「神様」や「仏様」に感謝していても

「人」に対して 感謝の心を持っていただろうか?

と我が身を振り返りました。

 

「今」をつくってきた歴史の流れの中に 膨大な人々の命と想いと

その所業があります。

言葉にしがたい、壮大で深い感謝を感じました。

 

未熟な部分もたくさんある世界かもしれないけれど

今、私がこの日本に存在して

生きて、家族とともに生活していることが嬉しいのです。

だから、今につながるたくさんの時を重ねてきてくださった人たちが

作ってきてくれたものが、とてつもなくありがたいのです。

 

毎年 5月27日に金刀比羅宮で慰霊祭が行われているようですが

 

今回、なぜわざわざユーレイさんが

やってきて 伝えてきたのかというと

きっと、現在の世界情勢があってのことだと思います。

もしかしたら、何か「分岐点」にたたされているのかなって。

 

私たち一般庶民は

物理的には、だいそれたことなんてできないのが現実なのですが

「想いの力」でその現実に重なり合う「可能性の世界」に

影響を与えることができるっていうのが

知られざる真実なんですよね。
 

「今」の一瞬、一瞬の意識が「未来」の原型を形づくるなら

日々の中で、「平和」を意識することが 肝要なのだと思うんですよ。

 

だれにでも真っ先にできるのは、自分の心を「平和」にすること。

平和な気持ちって、

いつも「今を生きている」ことに対するありがたみや

心地よさと隣り合わせにあります。

次に、身近な人々との関係を「平和」にすること。

一番身近な人々というと、家族ですよね。

 

平和がすき。

平和がいい。

 

たくさんの方の心の泉から、陽だまりのような気持ちが

こんこんと湧きあがりますように。

眠る幼な子の顔を そっと見つめるときの

静かでやすらかな気持ち。

ただ命をいとおしむ気持ちが。

 

大難は小難に、小難は無難に。

 

祈り方はよくわからないので

私が愛する歌、「島唄」の歌詞の一節を

ずっと歌っていますよ^^

 

海よ 宇宙よ 神よ いのちよ

このまま 永久(とわ)に 夕凪を…

 


あと 今日は「kokia」をずっと聴いていました。

 

 

 

 

 

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