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【空想小説】決行の時 ~朝鮮民族の英雄~

2017-01-21 12:29:13 | 短編小説
20xx年。

彼はべラルーシに仲間4人と一緒に居た。

彼の目的はロシアと北朝鮮の首脳会談であった。

ベラルーシには北朝鮮の大使館がある。

その北朝鮮の国家指導者とロシアの大統領による首脳会談がベラルーシで開催されるのだ。

国際情勢も考えて、とりあえずベラルーシでの開催なのだろう。

彼は在日朝鮮人であり、朝鮮高等学校を主席で卒業し、京都大学に進学した。

大学卒業後、彼は朝鮮総連の職員を志望していたが、家業を継いでほしいという父親の懇願により、しがない老舗の焼肉屋を継ぐことになったらしい。

齢50歳になるが、北朝鮮の独裁体制を強烈に支持していた。

彼は一貫して「拉致問題は解決済み」と主張し、ときおり、拉致被害者救出運動を見かけては支離滅裂な問答で議論を挑み、署名運動の邪魔をしていた。

当時、私は拉致被害者救出運動のボランティアに参加していたので、彼とは署名運動の現場で度々出くわしていた。

彼は「拉致は解決済み。」じゃないのかと話しかけてきた。

私は、「いや、解決はしていません。」と淡々と答えた。

つづけて、彼は「日本政府が制裁を解除しなければ、北朝鮮は対話に応じない。」と言ってきた。

私は面倒だったので「トイレに行きますんで、また。」と返答し彼をはぐらかした。

ある日、その彼と偶然バッタリと路上で出会った。

プライベートの私に気がつくわけもないと思い、そそくさと歩いた。

しかし、彼は意外にもプライベートの私に話しかけてきたのだ。

彼は「貴方は拉致問題の署名を集めて居た人だね」と私に尋ねてきた。

「今はプライベートなので、その話はやめておきましょう。」と私は返答をした。

しかし、次の瞬間、彼が発した言葉に私は驚いてしまった。

【早く日本人と在日の悩みのタネが消えたほうが良いよね。】

彼は寂しそうな顔で私に言った。

私は何も言わず、その場を無言で立ち去った。

私はブルーリボン運動(拉致被害者救出運動)関係者とネットで情報交換をしながらベラルーシの首脳会談に関する報道をチェックしていた。

テレビの報道番組で「偉大なる指導者云々・・・。」と書かれているであろう横断幕が掲げれている広場が中継されていた。

その横断幕を5人の男が掲げている。

その中に、あの男が居た。

中継されている広場に北朝鮮の国家指導者が訪問するらしい。

彼らは日本から【お祝い】の為に駆けつけた使節団のような立場であるらしい。

数分後、ものものしい護衛に囲まれた北朝鮮の国家指導者が現れた。

彼らは北朝鮮のテレビ番組にでてくる、朝鮮人民ように涙を流し国家指導者に手を降って絶叫した。

次の瞬間。

北朝鮮の国家指導者は悶絶して転倒した。

テレビ中継は何故か停止した。

私とブルーリボン運動関係者に戦慄がはしった。

数時間後、テレビからニュース速報が報じられた。

北朝鮮指導者死亡。

ベラルーシやロシアの報道も慌ただしく混乱している様子だった。

死因はスリングショット・・・日本でいうパチンコと称される二股の棒にゴムや弾力性のある紐をつけて石や鉄球を弾き撃つ狩猟用の道具による暗殺であると報じられた。

日本の報道機関は一瞬で規制されたが、その瞬間をとらえた映像を少数であるが住民が携帯電話で撮影していたのだ。

その住民が撮影した動画を、海外メディアが買収し、公開したので、隠蔽ができなくなったようだ。

その映像には、ロングコートを着ているあの男がスリングショットを構え、横断幕の後方に立っていた。

目は怒りと復讐に燃えていた。

数日後、日本政府より犯人グループの素性が報じられた。

彼の名前と出自や経歴がだんだん明らかになってきた。

彼らの共通点が祖父、祖母、親戚が北朝鮮帰還事業で帰国しているということだった。

彼らの両親は帰還事業による帰国を断念したものの、彼らの祖父、祖母、親戚は帰還事業で北朝鮮に帰国した。

祖父、祖母、親戚だけではなく、当時、子供だった同級生も北朝鮮に帰国したらしい。

私やブルーリボン運動関係者にとって、この状況を理解するのに時間はかからなかった。

北朝鮮帰国者の多くは、日本語が話せるという理由でスパイ容疑をかけられ、強制収容所で恐ろしい虐待(強制労働、囚人扱い、拷問)を受けているという事が脱北者の証言で伝えてられている。

北朝鮮の権力側や人民にとって、朝鮮半島にルーツを持ちながらも欧米や日本に文化的影響を受けている帰国者は差別の対象だったのだ。

北朝鮮に帰国した家族と突然連絡がとれなくなったと、在日朝鮮人からも不安の声があがっていた。

在日朝鮮人は北朝鮮に帰国した家族に仕送りをしていたという。

帰国者たちは日本からの仕送りを闇市で売って生活をつないでいたのだ。

その仕送りを催促する手紙さえも届かなくなったのである。

北朝鮮の国家指導者を暗殺した男たちは、帰国者の境遇を憂いて実力行使に及んだと言えるだろう。

彼らは完全に朝鮮人民になりきり、千載一遇のチャンスをベラルーシで掴んだのだ。

そして、一年後。

北朝鮮と呼ばれた国は国家存亡レベルの食糧難によって、内戦も起きないほど疲弊し、軍も機能せず、朝鮮労働党や人民軍も武装解除し、韓国国境に助けを求め、38度線を解放し、韓国との併合を望んだ。

ここまで、あからさまに悲惨な状況では、中国やロシアも南北統一に賛成せざるを得なかった。

一方、5名の犯人グループの犯行動機が明らかにされることはなかった。

ヨーロッパで唯一死刑制度があるベラルーシで、南北統一から数カ月後、犯人グループ5名は全員死刑判決となった。

罪状は来賓に対する殺害及びテロ行為である。

しかし、国際社会は5名に情状酌量の余地があると異議申し立てをベラルーシ司法に訴え恩赦を嘆願した。

現在も係争中である。

統一された韓国で、彼らは【朝鮮民族の英雄】と呼ばれている。

そして、統一韓国の調査により、生存が確認された日本人拉致被害者(非認定の特定失踪者、無名の拉致被害者を含む)、北朝鮮帰国者及び日本人妻、北朝鮮残留邦人が日本に帰国することになった。

拉致被害者と帰国者を迎えに行くために、私達は東京に向かった。





この作品はフィクションであり、実在の人物、団体、国家とは関係ありません。


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