沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩626 偽物横行の世界的現象と沖縄の闘い 14 慰霊

2017年06月23日 16時49分01秒 | 政治論

 6月23日沖縄県慰霊の日。沖縄戦全戦没者追悼と平和を祈念する日。

 今日6月23日は1945年沖縄戦で指揮を執った司令官牛島満中将他司令部が自決した日とされ、この故にこの日を以って沖縄における組織的戦闘が終結したことになり、所謂「沖縄戦」は終わり、のちこの日を記念日としたということらしい。実際は、沖縄における戦争状態は、この日でも8月15日でもなく9月7日の降伏文書調印まで続く。そしてこの事実も又沖縄戦の醜悪な性格を物語っている。

 即ち東条英機の戦陣訓である「生きて虜囚の辱めを受けず」という玉砕勧奨訓が6月23日以降もそのまま生き続け、白旗を潔しとせず多くの将兵、民兵、沖縄県民は最後の一人まで闘い続けることが当たり前とされ、この故にあたら死なずに済むべき命を(鉄の暴風と言われた)無数の敵弾の中に晒すこととなった(牛島中将の遺訓もまた最後の一兵卒まで戦えということだったのである)。あのひめゆり学徒隊の悲劇も当然ながらこれと無縁ではない。

 しかも旧日本兵などの多くは投降する者を誰かれ構わずスパイ呼ばわりし、その際背後から撃ち殺さんとすることもあり、その悲惨な実態は戦争指導者たちの誤った戦争観からも許しがたい結果として今も糾弾されるべき事実だ。因みに先ごろ亡くなった元沖縄県知事大田昌秀氏もまた19歳の春を「鉄血勤皇隊」隊員として沖縄戦の真っただ中にあって辛くも命を長らえた一人だ(氏の著書「鉄血勤皇隊」を読まれんことを)。

 我々は既にして実感された沖縄戦というものを五感から失おうとしている、多くの体験者が高齢化し、語り継ぐ糸も心許ない。ということは、人類史の中の絶え間ない多くの戦争の記憶同様に次第に風化する運命にあるということになる。しかしながら、実体験から齎された教訓は格言のように生き残る。それが沖縄戦では「軍隊は住民を守らない」ということに窮まっている。この教訓の内容もそれの持つ真実性や重みも日本人の多くが知らない、知ろうともしない。

 原爆はどうだろう。これが導く教訓は、これを戦争で人間殺傷に用いたら紛うことなく多くの無辜の民を一瞬に消し去り生者を悲惨な状態に突き落とし、しかも永続的に(後代にまで)後遺症という望まざる運命を付加する、ということだ。ところが日本人はその後(チェルノブイリとともに)福島第一原発の事故ではっきりともっと根本的な教訓を得ることになった。核開発は勿論、およそ原子力エネルギーを扱うということ、原発を稼働し続けるということは、ほぼ永遠的に放射能に関する絶え間ない脅威にさらされ続け、しかもそれの処理に関して適当する対策は皆無、という現実がある、ということ。人類は手にしてはならないものをおもちゃのように嬉々として我がものにしたが、これを使いこなす何らの手段も持ってなかったのである。だが時の為政者はこの事実に背を向け、あろうことかこれを商売の種としかつ一度止まったそれを再稼働するという、まさにエコノミックアニマルを地で行く獣的な行為に前のめっている。度し難い。

 この度し難さは沖縄高江辺野古で甚だしく醜悪に、この安倍晋三配下によって繰り広げられた。移住者である筆者はこのような醜い日本人を見たことがない。明らかに弱い立場の住民を国家権力と言う鉄の爪でためらいもなく引っ搔いたのだった。沖縄琉球の誇りはずたずたに引き裂かれた。あらゆる県民の表象が反対意思を示しているときに安倍晋三たちは「知ったことか」とばかり、沖縄の底深い自然を破壊しながら軍事的目的のために手段を択ばず、ただただアメリカ合衆国のために?否おのれらの不甲斐ない政治的目途をさっさと完遂するためだけに、強行工事を続けている。県民はこの慰霊の日に非常な不快さ、口惜しさを噛みしめながら「軍隊は住民を守らない」事実に否でも気づかされる。沖縄における反基地の強い思いは決して絶えることがない。それはそのまま反軍事のことであり、軍隊がただ殺戮を目的にした集団としてある以上、決して「良き隣人」にはなり得ない事実を知っているからだ。(つづく)

 

 



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