「障害の受容」という言葉が出てきます。
現場(脳外科病院)でのカンファレンスなどでも、
「この方は、まだ障害の受容が出来ていらっしゃらないから・・・」
というようなセリフが、スタッフから出ることがあります。
けっこう、あります。
「まだ、ご家族が障害を受け入れられていないから・・・」
というような言葉も、よくきかれます。
「受容って、そんなに簡単に出来るものか?
自分だって、自分の人生を受容できていないのに。
患者になったら、障害ごと受容しなきゃならないのか?」
・・・と、かつて、先輩言語聴覚士が話されました。
「人生を受容してます!って言える人が、一体どれだけいるんだろうね」
・・・とも。
私は、まだほんの若いリハビリセラピストや看護師さんが、
「障害の受容が出来ていない!」と、患者さんのことを言うのをきくと、
正直抵抗を感じます。
一体、どれだけの重みをもって、この言葉を使っているのかな?
と、思います。
現状に合わせた色々の具体的なこと
たとえば、車椅子であったり、
福祉サービスであったり、
・・・といったものの利用を受け入れていただく。
お身体の状態に応じた、今までとは異なる動作
・・・といったものを、身につけていただいたり、
そういう必要が出てくる場合は、よくあります。
そのことと、
障害の受容は、
イコールではないと考えています。
概念としての「障害の受容」を否定するわけでは決してありません。
すごいこと、尊いことだと思います。
障害を持つことになったご自分の今とこれからを
どうして、この方は、こんなに明るい笑顔で語られて、
日々のひとつひとつに取り組むことがお出来になるのだろう。
と、思わせて下さる患者様やご家族さまもいらっしゃいます。
嘆いて、泣いて、怒って、ふさぎ込み、
何年も怒り続けられる方もいらっしゃいます。
数年泣き続けられてから、
「笑うしかないって気づいちゃったから」
と、豪快な笑顔を見せて下さるようになった方もいらっしゃいます。
本当に。
色々な方がいらっしゃいます。
それでは、本日はこのあたりで。
最後までお読み下さりありがとうございました。
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