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一目置かれるということ

2017-04-20 | 日記
春の嵐が吹き荒れて、桜の花が儚く散って、幻は消え夢は醒める。
何度経験しても春の魔術は鮮やかすぎて、その秘密を突き止めることはできない。
気がつけば花の饗宴の名残りは跡形もなく
ツワモノどもの笑い声だけが幻聴のように耳の奥に残る。
そして僕はこの生涯に出会う桜をまたひとつ過去へと見送る。

今日から次女はやっと小学校に行った。
ちょうどまる1週間休んだことになる。
家で退屈そうにしている次女を見てると気の毒に思ってしまう。
やはり毎日楽しそうに学校に行ってくれて
帰って来て学校であったことを堰を切ったよう話す日々こそが貴重なのだ。
立ち止まって初めてわかる当たり前のありがたさかな。

さて、明日はPTA総会と教員の歓送迎会のため
今年度小学校PTAの監事である僕は終日学校行事に明け暮れることとなる。
正直に言えば今回は面倒だという思いが90%というところ。
次女の同級生のお母さん方は僕よりもはるかに若く
気さくに喋れるような方も思い浮かばない。
なんで役員など引き受けちゃったんだろうと前日になって後悔している。

一方、長女は担任との面談があったよう。
入学時に書いた調査票や成績を元に
英検のことを聞かれたり、数学の先行学習についても聞かれたという。
もちろん、もう何もオブラートに包む必要はない。
やっていることはやっている、出来ることは出来ると
包み隠さず正直に答えればいい。
これまでとは180度考え方を転換して積極的に自己アピールをすべきなのだ。
将来にやりたいことがまだ決まらないという長女に
「エコノミクス甲子園や英語ディベート大会など
対外的な課外活動をどんどんバックアップしていくから
そんな活動を通して将来進みたい道を見つけろ」と励まされたという。
中学校の時も生徒会だの高円宮杯英語弁論だの
学校から様々な機会をいただいて成長の糧にして来たが
引き続き高校でも色々な機会を与えていただけそうでなによりだ。
これこそが一目置かれることのメリットといえよう。
Z会からもプレミアムクラスの案内が届いていたし
できる人の元には自然に様々な機会が集まってくるんだなあとつくずく思う。
そんな意味では世の中は公平の皮を被りながら、著しく不公平なものだと思う。
しかしその不公平さは上に行ったものからしか見えない。
もちろん僕などは見たこともないし
長女を見ていてただただ感心するばかりである。