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真夏のヒルコの夢

 

1.    真夏の暗がりに住まう本喰い虫

 夏のジリジリと突き刺さるような日射しのなか、それをもろともしないかのように黄色い声とやか爽やかな歓声が広場に響き渡る。ピチピチとした威勢のいい魚のような思春期の男女たちが銘々の友たちとプールのなかで泳いだり、鉄板のようなプールサイドでわらわらしながら笑いこけている。青春の夏の風物詩のひと写真となりそうな光景だ。写真をとればわれ先にと2本指を突き立てて口を船の帆のように立てるのだろう。大人になって振り返るとさも輝かしい思い出に違いない。とある例外を除けば。
水音がバシャバシャと飛沫とともに飛んでくるのを嫌がり避ける影が暗がりにうっすらいる。分厚い眼鏡をかけた虫のような人物は手元にある本を腕でそっと包んだ。大事な本が青春の水飛沫の餌食となっては堪らないようだった。その人物はプールで青春を謳歌する面々とは正反対に、背中をずんぐりと曲げて暗く表情も読めない顔で地面をみるか手元の本を貪り読んでいた。日陰で暑さを凌いでいるが、耳に聴こえてくる青春の熱い声は凌げないようで暗がりにいるくせに暑さに打ちのめさせているようにもみえる。
 そんな暗がりの虫を大多数は気にせず青春の一ページを築いていたが、たまに暗がりの虫が少し気になるものもいるようでチラリと顔を向けたがすぐに青春の一ページへと戻っていった。かたや暗がりの虫は青春の一ページに目もくれず、ビッシリと文字の覆われた青春の味とは異なるであろうページの味をバクバクと喰らい続けていた。耳から入ってくるのであろう青春の音をかき消すように大きい音をたてながら一心不乱に暗がりで喰らい続けていた。

 

***

 体育の授業には心が疲労する。強制的に決められたペアや班などのグループで決められたもの同士で行動するならまだしも、自由に組んだ者たちで行動するなどはぐれ者にはサバイバルの局地になってしまう。自由は楽しくもあるが、はぐれものには冷たい。そんな余ってしまったはぐれ者になったモノには、誰かペアになってくれないかと先生が悪びれもせず全員に声をかけるのだからたまったもんじゃない。悪気はないのであろうがこんな言葉ほど余ったはぐれ者の生傷に塩を塗る行為はあるものか。その時の同情したような、かつ少し困ったような微妙な黄土色な空気が私には視えるのだ。そんな空気に耐えられなくなる日は体調不良を装い、隅っこで虫のように膝を抱えてうずくまる。芋虫には芋虫なような姿と住処がお似合いだ。空を飛んで青春を謳歌する鳥たちのさえずる姿に怯えながら暗がりでじっとしていれば良い。黄土色の煙たい空気を胸やけするほど吸うよりも清々しいことこの上ない。私には暗がりで本たちとおしゃべりするのがお似合いだし、心が落ち着くのだから。そうして、私は知り合いになりたてのロシアのドストエフスキーが語る「罪と罰」のお話に再びそっと耳を寄せた。胸やけがした後には、暗くて重い単調な語り口が耳に優しい。真夏の温度の高すぎる青春のシャワーから私を守ってくれるのだから。

 

 

 

 

フィクション小説連載開始。掲載は不定期ですが最後まで書こうと思ってます。長い旅路にご付き合い下されば嬉しいです。



真夏のヒルコの夢

エピローグ

 夏のむせかえるような暑さは心地好い。蝉をはじめとした虫たちの合唱に、濃い緑が風で揺れる音。日射しが突き刺さるほど熱いくせに、分厚い木陰の下はさわさわと鳴りながらまだらな模様を描いて太陽を遮る。虫たちも暑さにうんざりしているのか気だるげにもみえる。だからこそ、暑さが好きだと汗まみれになりながらもにんまりしてしまう。
 建物のなかに入れば、途端に日陰になりひんやりとした冷房によって身がひきしまる。文明開花に感謝してもしきれない。先人の知恵に頭もあがらないとはこのことだと思う。
その建物が本で溢れていれば尚更言うことはない。本は生身の人間が書いたものだが、生身の人間と直接触れ合うこともなく話を聞くことができる。とてつもなくおしゃべりサンではあるが、しおりを挟めば黙ってくれる。こちらが論議を投げかけてもおしゃべりをする口を閉じてひたむきに聴いてくれる。こちらが飽きれば途中通わなくなっても文句を言わない。おしゃべりの最中に居眠りをしても怒らず、起こさず、こちらが起きるまでそっとしてくれる。おしゃべりに飽きて、途中でお相手をとっかえひっかえ貞操なく替えても何にもいわずまた来た時にもそっと迎えてくれる。なんと健気で寛容なのだろうか。本ほど静かにコミュニケーションをとってくれる相手はいない。一生を共にしたい友であり、同士でもあり、墓まで添い遂げたい伴侶である。
 そんな伴侶に長年甘えていた天罰なのか、裏切られるなんていうことはゆめゆめ思いもしなかった。とはいえ、裏切られるとは一方的なこちらの言い分で決して伴侶が悪いのでは無い。伴侶の厚く広大なふところの深さに浸り過ぎた私の怠慢が原因であったのだから。
 ひと夏にみた白夢中は、私に甘美でときに熾烈なほどの刺激と、海よりも深い絶望的な厳しい哀しみを味あわせてくれた。それは今となっては甘酸っぱい青春の思い出となってくれている。崖から飛び堕ちてしまった私は観音菩薩の御手が空海を救いあげてくれた如く、絶壁に生える松に引っかかりそれがにゅにゅにゅと伸びて地上に辿り着き、海の藻屑とならずにすんだ今となって語れる話ではあるが。
 今も右往左往な日々ではあるが、青春の摩訶不思議な出来事を体験してからは全ては蜜の味にどうしても思えて仕方ない。それほど怒濤の珍なものであったのでおもしろおかしく、たまに過酷に哀しくもあり絶望的にも自分自身の迷走に走った記しにしてみた。あまりにも馬鹿げてあるとは思うかもしれないが、そういう世界もあるのだなと一興していただくと有り難い。
願わくば、最後の一幕までお付き合い願いたい所存である。

ヒルコ

 

こんにちは、はじめまして。tikoです。


このブログ「あまつゆや」では、アナログイラストを中心にのんびり気ままに更新してゆきます。
地元のフリーマーケットで作品を発売したりなどのイベントにも参加したりします。
地道ですが、のんびりコツコツ活動してゆきますので、今後ともよろしくお願いいたします!