ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

民主主義の是非を問う

2017-03-28 16:39:14 | 日記
きょうは朝日、日経、産経、東京の4紙が、香港の行政長官選挙を社説
で取り上げている。香港では、行政府のトップを選ぶ選挙が、民意を反
映しない形で行われた。中国共産党の介入によって、市民に人気がない
にもかかわらず、党が望ましいとみなす人物が行政長官の座に就くこと
になったのである。こうした事態を、4紙とも嘆かわしいこととして取
り上げているが、その理由は明示していない。日経が「高度な自治の根
幹をおびやかす出来事」と断じているだけである。

こうした新聞社説の論調は、「民主的でない」とする言辞が、糾弾の言
辞として無条件に通用してしまう戦後日本の、その固定した言論空間の
存在と無縁ではない。

新聞社説にそこはかとなく漂う「反民主的選挙」への漠たる懸念を、宙
ぶらりんに抱えたまま、私は、戦前の日本のーーそれも、明治、大正時
代の日本のーー姿を思い描いた。明治時代の自由民権運動は、板垣退助
らが1874年(明治7年)、民撰議院設立の建白書を政府に提出して、
「有司専制」を批判したことから始まる。「有司」とは、薩長藩閥政府
が任命した役人のことであり、彼らが民意を顧みず「専制」を行ったこ
とを、板垣らは批判したのだった。彼らが展開した自由民権運動は、昨
今の香港の民主化運動とどこか重なりあう。

明治の自由民権運動は、時代を経て、(普通選挙制度の実現を目指す)
大正デモクラシーとなって受け継がれた。この一連の流れがなんとなく
「正義の味方」をイメージさせるのは、その対極にあった(君主制下の)
日本帝国政府が、太平洋戦争へとひた走り、敗戦の惨禍をもたらしたか
らである。

こうした歴史の経過も、中国共産党を取り巻く現今の情勢と重なりあ
うかも知れない。軍拡路線をとり、南シナ海で摩擦をくり返す中国共
産党の姿に、新聞社説の執筆者は、戦前の日本政府の姿を見ているの
かも知れない。

けれども、「民主的な選挙」は無条件に〈善〉と言えるのかといえば、
「それもちょっとなあ」と、疑問を抱く人が増えているのではないだろ
うか。疑問符の向こうにあるのは、アメリカのトランプ大統領の姿であ
る。トランプは民主的な選挙で選ばれたにもかかわらず、トンチンカン
な入国禁止令を出して物議をかもすなど、「問題の多い人物」であるこ
とをさらけ出している。

デモクラシー(demos:大衆 kratos:権力・支配)がポピュリズム、衆
愚政治におちいる危険性は、古代ギリシアの昔から指摘されている。
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