奈良興福寺宝物殿にある山田寺の仏頭


山田寺の御本尊だったようですが、後世になぜか興福寺へ


明治時代には床下に置かれていたとのこと


この仏頭を見て、相田みつをが書いた詩をご紹介します


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宮沢賢治の詩にある
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」
というのは
こんな顔の人をいうのだろうか


この顔は
かなしみに堪えた顔である
くるしみに堪えた顔である


人の世の様々な批判に
じっと堪えた顔である
そして
ひとことも弁解をしない顔である
なんにも言いわけをしない顔である
そしてまた
どんなにくるしくても
どんなにつらくても
決して弱音を吐かない顔である
絶対にぐちを言わない顔である


そのかわり
やらねばならぬことは
ただ黙ってやってゆく、という
固い決意の顔である
一番大事なものに
一番大事ないのちをかけてゆく
そういうキゼンとした顔である


この眼の深さを見るがいい
深い眼のそこにある
さらに深い憂いを見るがいい
弁解や言いわけばかりしている人間には
この深い憂いはできない


息子よ
こんな顔で生きて欲しい
娘よ
こんな顔の若者と
めぐり逢って欲しい


(引用:相田みつお作品集①にんげんだもの(p34~35)文化出版局発行)



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