人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

フェドセーエフ+N響でチャイコフスキー「交響曲第4番」,ボロディン「交響曲第2番」他を聴く~N響第1859回定期演奏会

2017年05月20日 08時07分28秒 | 日記

20日(土).昨日の朝日の看板コラム「天声人語」は次のような書き出しで始まります

「大統領は,捜査当局のやり方に我慢がならなかったようだ.『裏づけのない容疑の情報を使って,私の個人的な友人たちとスタッフを脅かし,おびえさせている』『私を破滅させようとしている』」

ここまで読んで,誰もが「ああ トランプ米大統領のことか」と思うところですが,コラムは次のように続けます

「米大統領だったニクソンの回顧録にある.1972年,民主党本部に盗聴器を仕掛けようとして,ニクソン陣営の関係者が逮捕されたウォーターゲート事件である」

あの時,ニクソン大統領は捜査が自分の周辺に迫ると,捜査の責任者を解任したのですが,それが裏目に出て世論の反発を受けて辞任に追い込まれたのです

今回のトランプ大統領のコミ―FBI長官解任劇は45年前の状況に非常によく似ています 今回はロシアがらみの事件であることから「ロシアゲート事件」と呼ばれています

「天声人語」は次のように結んでいます

「イスラム教徒を狙い撃ちするかのような入国規制は,司法に止められた.オバマケアの廃止は,議会とぶつかる.大統領の独走を許さない仕組みが機能している トランプの周辺への捜査も続けられる.トップの『ご意向』がまかり通ったり,部下たちが『忖度』したり.少なくともそんな風景は見られない

もちろん ここで言う「忖度」とは, 「森友学園事件」や 新たに加わった「加計学園事件」における官僚たちの行動を指しているわけですが,日米の違いを対照させた「天声人語」は久々のヒットだったのではないか,と思います

と思って教育面を見ると,「おやじのせなか」のコーナーに,昨年 週刊文春のスクープで 悪名の方で「時の人」となったベッキーのインタビュー記事が載っていました  これを見て「どうして こう芸能人には甘いんだろう やっぱり,朝日はダメだな」と思いました 5年くらい放っときゃいいんです

ということで,わが家に来てから今日で962日目を迎え,トランプ米大統領がホワイトハウスで記者会見し,昨年の大統領選に対するロシア介入疑惑を捜査する特別検察官が任命されたことについて,『魔女狩りだ.国を分断する』と反発した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

       

        「国を分断する」というのはイスラム教徒を入国規制する大統領令のことなのでは?

 

                       

 

昨日,夕食に「サバの塩焼き」「生野菜とサーモンのサラダ」「トマト,玉ねぎ,タケノコ,ウインナの中華スープ」「冷奴」を作りました サバは特大のやつだったので焼き時間が微妙に難しかったです

 

       

 

                       

 

昨夕,NHKホールでNHK交響楽団第1861回定期演奏会を聴きました プログラムは①グリンカ:幻想曲「カマリンスカヤ」,②ボロディン「交響曲第2番ロ短調」,③チャイコフスキー「交響曲第4番ヘ短調」です 指揮はウラディ―ミル・フェドセーエフです

 

       

 

指揮者のフェドセーエフは1932年 レニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ,今年85歳を迎えるロシアの巨匠です 1974年にモスクワ放送交響楽団(現チャイコフスキー交響楽団)の芸術監督・首席指揮者に就任し,以来40年以上の信頼関係を築いています

オケのメンバーが入場し 配置に着きます.弦は左から第1ヴァイオリン,第2ヴァイオリン,チェロ,ヴィオラ,その後ろにコントラバスという編成を採ります.コンマスはマロこと篠崎史紀です 相変わらず,コンマスが登場しても聴衆は拍手をしません.どうやらN響コンサートの伝統のようです 指揮者フェドセーエフはタクトを持ちません.両手で音楽を紡ぎ出す方法を取るようです

ロシア・プログラムの1曲目はグリンカの幻想曲「カマリンスカヤ」です グリンカと言うと 単純な私は,いかに速く演奏できるかを競う歌劇「ルスランとルドミューラ」序曲を思い出します.逆に言うとそれしか思い浮かびません 「カマリンスカヤ」の当初のタイトルは「婚礼歌と舞踏歌」とのことですが,フェドセーエフ+N響の演奏で聴いていると,なるほどロシアのお目出度い婚礼の踊りのようなメロディーに溢れています

2曲目はボロディンの「交響曲第2番ロ短調」です ボロディンと言えば,弦楽四重奏曲の「ノクターン」や歌劇「イーゴリ公」の「ダッタン人の踊り」を思い出します この曲は第1楽章「アレグロ」,第2楽章「スケルツォ:プレスティッシモ」,第3楽章「アンダンテ」,第4楽章「終曲:アレグロ」から成ります

この交響曲は どうやら「イーゴリ公」と同時並行して作曲が進められたようで,歌劇的な様相を帯びています この曲では,とくに第3楽章で,ハープをバックに抒情的なメロディーを奏でるホルンの演奏が印象に残りました フェドセーエフ+N響の演奏は,ボロディンは「ノクターン」と「ダッタン人の踊り」だけじゃないぞ,という意気込みを感じました

演奏が終わると,間髪を入れずに「ブラボー」がかかりました.はっきり言って「通ぶったバカ」のフライングです いかにも「おれはこの曲を知っているんだぞ」と言わんばかりのタイミングのブラボーでした  芥川也寸志氏の言葉を待つまでもなく,演奏を聴く極意は曲が終わった直後の一瞬の しじま にあるのです もしN響の会員だったら,すぐに会員を辞めて欲しいと思います

休憩後はチャイコフスキー「交響曲第4番ヘ短調」です この曲は1876年冬から約1年がかりで作曲されました.この時期 チャイコフスキーは,未亡人メック夫人から経済的な援助を受ける,アント二―ナ・ミリュコーヴァと結婚しながら20日後に別居する,という劇的な人生を送っています この曲は そうした激変する人生を反映しているかのような曲想に満ちています チャイコフスキーの「運命交響曲」と言っても良いかも知れません

この曲は4つの楽章から成ります.演奏を聴いていて一番印象に残ったのは,第1楽章冒頭の金管による「運命の動機」もさることながら,第2楽章「アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーナ」です この楽章の中盤で,クラリネット,オーボエ,フルート,ファゴットがメランコリックなメロディーで会話するようなシーンがあるのですが,今回の演奏を聴いて「ああ,こういう曲だったんだな」と再認識しました

フェドセーエフはその第2楽章から第3楽章へ,間を空けずに演奏しました 第3楽章はスケルツォですが,冒頭から弦のピツィカートが楽章を支配します.このピツィカートが最弱音で開始されるので,聴く側は思わず耳を傾けます すると急に最強音のピツィカートが待っています.こういうところがフェドセーエフの一つの特徴かも知れません

間を空けて開始される第4楽章は,第1楽章冒頭の「運命の動機」を払拭するような喜びに満ちた「勝利の音楽」です フェドセーエフ+N響は最大限の力を発揮,圧倒的なフィナーレを飾りました

繰り返されるカーテンコールは,コンマス篠崎史紀による85歳を迎えるフェドセーエフに対する忖度によるものであることは疑いの余地がありませんでした しかし,この忖度は 会場にいた聴衆にとって極めて自然な行為に映りました

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