6日(木).昨夜,元の勤務先NPCで一緒に働いていたOB3人で集まり飲みました 元監査役のS氏,元総務部長のE氏,そして元管理部長の私です 場所は私が退職した時に送別会が開かれた西新橋のK亭です 元職場の話,内幸町界隈の不動産状況,マスコミ界をめぐる最近の話題など,話は尽きませんでしたが,約3時間で解散しました 二人は相変わらずでしたが,私もそのように見られていたのでしょうね.相変わらず進歩がないと
ということで,わが家に来てから今日で1009日目を迎え,北朝鮮が4日に発射した弾道ミサイルについてティラーソン米国防長官が声明を出し,このミサイルが大陸間弾道ミサイル(ICBM)だったことを認めた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
北朝鮮は米国の言う「レッドライン」を超えたことになる トランプはどう出る?
昨日,夕食に「豚バラの甘酢ネギ胡麻だれ」「生野菜とタコのサラダ」「冷奴」を作りました 私は宴席があるので食べませんでしたが,暑い日は豚肉がいいですね
12月10日(日)午後3時からミューザ川崎で開かれる東京交響楽団のモーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」のチケットを取りました 実は6月12日のWeb会員先行発売日を失念してしまい,今になって気が付いてWebで手配したものです 1階席は既に売り切れ,2階席です
モーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」は,NHK音楽祭の一環として開かれるパーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団の公演チケット(9月9日)を取ったので,安心してしまったところがあります 油断大敵 非が茫々です
今年の夏も「METライブビューイング」のアンコール上映があります 今年は8月5日から9月29日まで東銀座の「東劇」で上映されます
上演演目・日程・時間は下のチラシの通りですが,個人的にお薦めするのは次の6公演です
①ロッシーニ「セヴィリャの理髪師」(2006-2007シーズン上映)
出演:ジョイス・ディドナード,フアン・ディエゴ・フローレス他
②ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」(2008-2009シーズン上映)
出演:アンナ・ネトレプコ,ピョートル・ベチャワ他
③プッチーニ「トゥーラドット」(2009-2010シーズン上演)
出演:マリア・グレギーナ,マルチェロ・ジョルダ―二他
④レハール「メリー・ウィドウ」(2014-2015シーズン上映)
出演:ルネ・フレミング,ケリー・オハラ他
⑤モーツアルト「ドン・ジョバン二」(2016-2017シーズン上映)
出演:サイモン・キーンリーサイド,ヒブラ・ゲルツマ―ヴァ他
⑥ドヴォルザーク「ルサルカ」(2016-2017シーズン)
出演:クリスティーヌ・オポライス他
チケット代は一般@3,100円ですが,4本以上観る人には4枚セット券10,400円がお得です とくに他の公演に比べて単価が高いワーグナーの「パルシファル」(@4,600円)と「トリスタンとイゾルデ」(@3,200円)を観る人は,セット券でも入場可能なのでお薦めです
中山七里著「どこかでベートーヴェン」(宝島社文庫)を読み終わりました 中山七里の本はこのブログで数多くご紹介してきました あらためて著者をご紹介すると,1961年,岐阜県生まれ.「さよならドビュッシー」で第8回「このミステリーがすごい!大賞」の大賞を受賞して2010年にデビューしました その後「おやすみラフマニノフ」「いつまでもショパン」「さよならドビュッシー前奏曲」と”作曲家シリーズ”を発表してきましたが,「どこかでベートーヴェン」は同シリーズの探偵役・岬洋介の高校時代の「前日譚」に当たります
容姿端麗・眉目秀麗の岬洋介は,父親の転勤に伴い岐阜県に引っ越してきたが,音楽科があるという理由で加茂北高校に2年生として転入する クラスの実情は成績の関係で普通科に行けなかった者の受け皿的な側面が強く,音楽的な才能に恵まれた者ばかりではなかった.そういう環境の中に入り込んだ岬のピアノ演奏はたちまちクラスの面々を圧倒する 賞賛する者ばかりでなく,妬みを抱くものもいた.岩倉は岬をイジメの対象にするが,岬はただひたすら耐えて反抗しない 夏休みの登校日,大雨が降り続き校舎の裏山でがけ崩れが起こり,生徒たちは校舎に閉じ込められる 危険を承知で救助を求めに外に出た岬だったが,途中の道で岩倉が他殺体で発見されたことから,いじめに遭っていた岬が殺人容疑をかけられる 級友から憎悪を向けられる岬は,自らの嫌疑を晴らすため,クラスメイトの鷹村とともに難事件に立ち向かう そんなさなか,文化祭の発表会でピアノソロを担うことになった岬は,本番中に左耳が聴こえなくなり演奏を失敗してしまう
巧みなストーリー展開はいつもの中山七里ですが,この作品の中で彼が一番言いたかったことは「天才と凡才の違い」ではないかと思います 彼は,岬の音楽科担任の棚橋先生に次のように語らせます
「先生は音大を卒業したが,入学当初から高校の音楽教師を目指していた訳じゃない 入った頃はプロの演奏家になろう,どこかのオーケストラに入団して,演奏で身を立てようと思っていた.倍率の高い音大だったから,それなりの才能があると自負もしていたからな.だけどなあ,音大ってのは本当に神童や天才が掃いて捨てるほどいるんだ しかも並みの天才じゃなくて,先生ごときがどんなに頑張っても尻尾すら掴めないようなバケモノたちだ.結局そういう天才たちが院に上がるなり留学するなりして,プロの道を進む.天才じゃなかった先生は,今こうしてお前たちの前に立っているという次第だ.だから余計に思う.才能はとても残酷だ 凡人の気持ちを踏みつけにしながら厳然とそこに存在する.しかし,そういう世界に希望して入ってきたからには,言ってはならない泣き言だ.たかが発表会じゃないかという声がさっきあったが,そのたかが発表会にすら自分のベストを提示できない人間が最初から権利を主張するのはただの甘えか現実逃避に過ぎない」
この言葉を待つに及ばず,学生オーケストラのコンサートを聴くたびに思うのは,今は良いけれど,数年後に卒業を目の前にしたとき,この学生たちは進むべき進路が決まっているだろうか,ということです 若者たちにチャンスを!と祈ることしか出来ません