前回、2018年全体のことを書いたので、今回は僕個人の抱負を。

全く一からチャレンジ! という年では無いのですね。これまでやってきた事を積み重ねていく、いってみれば「2年目」のような年だなと。

ここ2年、未知との遭遇のくり返しで、新しい自分が創造され続けてきました。そういう未知との遭遇は今年も多少ありますが、きほん「地固め」の年になるなと。

新しく創造するというより、アップデート(更新)していく。付け足ししたり、修復したり。気の早い話しですが、来年以降に向けての仕込みもあり。

自由って仏教用語で「自らに由る」。

起こった全てのことは、自分が原因だとするのですが、その「自らに由る」という自由を追求していく1年になるなと。

「自らを灯火とし、自らを由りどころとする。他を頼りとしてはならない。」っていうお釈迦さまの教えですね。

物理的には頼ってもいいでしょう。

が、自分の意思決定や思考・言葉を、どれだけ純粋なもの=自らを由りどころとしたものに保っておけるかは、

「職業上の生命線だなあ」

と実感しております。

組織の中で仕事している時とは、必要な能力・資質って全然違いますしね。

組織にいると「様々な関係各位への配慮のかたまり」に基づいて発言することが、良しとされますよね。それが無いと、組織の中で未熟とされる。

が、こういう自由業になると、それをやっていると、読者から見たら、ただのウソつきになっちゃう。本来なら、常識ある良い人と評価されるところですが。

ワガママであることは、自由業では必須のマインドなのですね。

ワガママといっても「仕事中に、テレビゲームやりたい」的な、浅いワガママではありません。こういう事、組織改革のプロジェクトにいたときも、言っている会社員いました。やりたい事は何?ー>ゲームやりたい! っていう。

これは、素直というより、組織の一員として本気で貢献しようとは思ってない、ってことですものね。

そういう浅いワガママでは無くて、意識の深層に閉じ込められているようなワガママを解放していくと、これは創造的・解放的なアウトプットになる。

個人のレベルを超えた、集合的なやりたいことです。

自由=自分の純粋な衝動も、深めていくと、個人を超える。個人を超えて、下手したら時代を動かすくらいのエネルギーになっていく。

「根深い自由」を掘っていきたいなあと思う今年です。

【著書】

26万部突破♪『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』(八木龍平・著/サンマーク出版)