いじめを許さない教師の会

世の中から「いじめ」を撲滅し、地球的正義の実現を目指す教師の会です。2007年6月24日に始まり、現在も活動しています。

人々を救うために生命を使ってほしい 

2018-04-16 07:26:32 | いじめ・教育
自殺したくなったら病院や墓地へ行ってみるとよい

 自殺の原因は、いろいろあるでしょう。その理由には、それなりに、もっともなところがあるだろうと思います。

 ただ、自殺した人と同じような状況に置かれた人は、ほかにもたくさんいるのです。「現在もおり、過去にもいたのだ」ということを知ってください。

 自殺したくなったら、どうか、一度、大病院にでも行って、闘病している入院患者たちの姿を見てください。病気をしても、まだ生きようとして頑張っている人たちや、その人を助けようと努力している医者や看護師たちの姿を見てください。あなたはピンピンしているでしょうが、病院で闘病しながら生きようとしている人たちの姿を見ていただきたいのです。

 自殺する人は、悩みは持っていますが、たいていの場合、エネルギーが余っています。生命エネルギー、活動エネルギーをたくさん持っているのに、悩みの解決がつかないために死んでしまうのです。

 病院へ行って、病気の人を見てください。ガンで、あと一カ月の生命、三カ月の生命という人が、どれほど、「生きたい」と思って頑張っているかを見てください。みずから生命を絶とうとする前に、重病でもまだ頑張っている人の姿を見てください。

 そして、大病院の次は墓地へ行ってください。普段は行かないでしょうが、どこかの霊園にでも行き、散歩してみてください。お墓がたくさんあり、「××家の墓」というものが、ずらりと並んでいます。それを眺めてください。

 そこに眠っている人たちも、かつては生きていました。子供時代があり、青春時代があり、恋をし、仕事をし、出世競争をして、敗れたり、あるいは目標を達成したりし、老い、病に罹り、そして死んだのです。誰もが、夢を抱いて、さまざまな努力をし、死んでいったわけです。

 死んで、あの世へ行けば、この世の悩みはなくなります。したがって、「悩みがある」ということは、生きている証拠なのです。この世に生きているから悩みがあるのであり、死んで、あの世に行ったら、その時点で、この世の悩みはなくなるのです。

 死んだ人々の墓を見て、「自分にまだ生命がある」ということの尊さを感じてください。「残された生命を、どのように使わなければいけないか」ということを考え、その生命の尊さを感じてください。

 自殺したくなったら、闘病している人の姿や死んだ人のお墓を見てください。

 百パーセント、人は死ぬことになっています。焦らなくても、いずれは必ず死ぬので、「それまでのあいだを、どう生きるか」ということを考えてください。

自分の力を世のため人のために使う

 「自殺したい」と思っている人は、どうか、その生命を私に下さい。

 その生命を私に預けてください。

 死んでは、もったいないと思います。

 いずれは死ぬのですから、急ぐことはありません。

 その生命を使って、

 ほかに、やらなければいけないことが、あるのではないでしょうか。

 それを考えてください。

 私は、この世に生まれて、人間として生きている以上、

 六十数億人の人間のなかの一人として、有限の能力しか持っていません。

 私の持っている時間も一日に二十四時間しかありません。

 ところが、「きょう、ただいまにも自殺したい」と言っている、

 あなたの持っている時間も、同じ二十四時間です。

 私の時間も二十四時間で、あなたの時間も二十四時間です。

 これは不公平ではないでしょうか。

 私は、「世の中の人々を救いたい。大勢の人々を助けたい」と思っています。

 そういう人の時間が二十四時間しかなく、

 「いつ死んでもいい」と思って、自殺したがっている人の時間も、

 二十四時間あるのです。

 ずいぶん不公平だと思いませんか。

 それから、十代や二十代で、「自殺しよう」と思っている人がいるなら、

 考えてみてほしいのです。

 あなたは、自殺せずに順当にいけば、

 これから私よりも長い人生を生きることができます。

 あと何十年も生きることができるのに、もったいないことです。

 それだけの時間があったら、その時間を、

 どれだけ多くの人たちのために生かすことができるでしょうか。

 どれだけ多くの人たちを幸福にし、

 どれだけ多くの人たちを救うことができるでしょうか。

 それを考えたら、とても、もったいないことなのです。

 いずれ、あなたは死ぬでしょう。

 ただ、残された時間、許された範囲で、あなたの力を、

 どうか、世のため人のため、仏法真理のために使ってください。

 私は、大勢の人を救いたくても、限界があって救えないのです。

 毎日、とても辛い思いをしています。

 「私の体が百も二百もあればよいのに。

 私の時間だけ一日に二百四十時間ぐらいあればよいのに」と思いますが、

 実際には、ほかの人と変わりません。

 そのため、他の人の協力を得なければ、

 仏法真理を伝えることもできなければ、

 困っている人を救うこともできないのです。

仏法真理を伝道して、導きの光となれ

 「自殺したい」と思うぐらいならば、

 死ぬまでに百人にでも千人にでも仏法真理を伝道してください。

 多くの人を助けてから死んでください。

 そのほうがよいと思います。

 死にたくなくても、いずれ人は死ぬので、急ぐことはないのです。

 「自殺したい」と思っている人は、どうか、その生命を私に下さい。

 そして、私に代わって、私の仕事の一部を担ってください。

 人々を救う仕事をしてください。

 人を助けてから死んでもよいではありませんか。

 「誰も自分を助けてくれない」と言いつつ、

 自分は誰も助けることなく死ぬよりは、

 多くの人を助けてから死んでください。

 伝道をしてごらんなさい。

 実際に伝道活動をしたら、もう、自殺したくなるようなことばかり起きます。

 世の中の不信や無理解、揶揄、嘲笑、非難、差別、軽蔑などが、

 たくさんあります。

 「頭が狂っているのではないか」「おまえの妄想だろう」「狂信、妄信だ」など、

 さまざまな言葉を浴びせかけられ、ばかにされることもあります。

 それこそ、自殺したくなるようなことが次々に起きてきます。

 したがって、「自殺したい」と言うぐらいなら、むしろ伝道してください。

 そうすれば、もっともっと強くなるでしょう。

 世の中には、まだまだ、道を求めている人が数多くいます。

 どうか、その人たちのために導きの光となってください。

 そういうことをお願いして、本章を終わります。

(「生命の法」第二章 自殺を防止するためには 第七節 人々を救うために生命を使ってほしい 大川隆法著より)

いじめを許さない教師の会 会長 後藤克彦

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