小金井書房ブログ

孤独、哀愁、静けさ

刺激の強いフィクションに踊らされる私たち

  (佐藤密『刺激から離れる生活』「第4章 目に見えやすい刺激」より抜粋)

 

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ヒットする作品に存在する共通点

テレビドラマ、映画、小説、漫画、ゲーム、アニメなど、世の中には様々な種類のフィクションが存在します。

そして、よく観察してみると、どのフィクションでも人気のある作品にはほぼある一つの共通点が存在しています。

それは、人気のある作品にはどれも強い刺激的要素があるということです。

例えば2010年代前半頃に日本でヒットしたフィクションをいくつか挙げてみますと、漫画では闇金融の陰惨さを描いたもの、人間が巨人に襲われたり、戦国の世で人間が殺し合う戦争を描いたものなどがあります。テレビドラマでは過激な家政婦や上司に復讐するサラリーマンを描いたものがヒット。

また、朝の連続テレビ小説はなぜか毎回のように戦時中が舞台となり、日本で放送されて人気の韓国ドラマでは、常に誰かが泣いたり怒鳴ったりしていて、感情表現の激しさが目立ちます。

少年漫画では「どちらが勝つか」「どちらが強いか」という勝負事が昔からテーマとして多く取り上げられ人気があり、少女漫画ではもっぱら恋愛が題材として扱われています。

戦いも恋愛も、どちらも刺激的でドキドキできるので人気があるのだと考えられます。

このように、ヒットする作品にはほぼ必ず、何らかの強い刺激の要素が盛り込まれているという特徴があります。

このような刺激的な作品を見ている時、私たちはドキドキしたりスカッとしたり、感情のジェットコースターを味わえるのでたしかに気持ちがいいかもしれませんし、ストレス解消や憂さ晴らしにもなるかもしれません。

 

強い刺激が得られればそれでいいのか

けれども、少し視点を変えて見てみると、私にはこれらの現象は、老若男女みんながアダルト映像に夢中になっているようにも見えます。

どうしてかというと、結局実はみんな、ただ強い刺激を求めているだけだからです。

とにかく刺激を味わえればいい、興奮できればそれでいい、と夢中になっているだけのように見えます。そして、刺激のある作品だけが面白いもので、刺激のない作品はつまらないとでもいうような風潮が生まれています。

ただ、そんなに単純なことで良いのでしょうか。

逆に考えますと、フィクションを作る側の人というのは、そんな大衆の好みを薄々知っていて、そのような強い刺激を意図的に作品に盛り込んでいるわけです。

そんな風に実は誰かに仕組まれた刺激に私たちがただ操らてしまっているのだと気づくと、少し馬鹿馬鹿しく思えないでしょうか。

 

人は刺激を求めるという性質を持っていますので、刺激が強い作品ほど人気や視聴率が高くなるのはある意味で当たり前のことです。

でも、作る側の人間も見る側の人間も、それで大金を稼いだり興奮したりできればそれでいいのでしょうか。

私には、国民の多くがアダルト映像に夢中になっている社会がいいものだとはやはりあまり思えないのですが……。

そういった強い刺激がなくても楽しめて評価されるような作品がもっと世の中に増えると面白いのではないか、と個人的には思っています。

 

 

 

刺激から離れる生活: 苦しみを減らす。心を安定させる

刺激から離れる生活: 苦しみを減らす。心を安定させる

  • 作者: 佐藤密
  • 出版者: 小金井書房
  • 発売日: 2014/12/25
  • メディア: Kindle版