※昔のブログに加筆しました
こんにちは。田中雅子です
今日は歌詞について書こうと思います
”以前も日記のような歌詞が好き”という内容のブログを書きましたが、歌詞というのは音楽とは切っても切り離せないくらい重要なものだと私は思っています。
特に作詞作曲をする人の中でも、楽曲の歌詞に意味を持たせたいと思う人は、自分が込めたいメッセージや使いたい言葉が、楽曲のメロディーの節にはまりづらかったり、難しかったりした経験が少なからずあるのではないでしょうか?
何気なく聴き、歌っている楽曲ですが・・
私たちが普段聴いている音楽は、既に誰かがこういった苦労を得て歌いやすいように作られていますので、自分で歌詞を楽曲に入れ込んでみるという経験をしてみないと、この難しさというのは、なかなか気が付かないかもしれません。
音楽を感性先行で作っていく人であれば別かもしれませんが、メロディーとコードを譜面に起こしてから歌詞をキッチリ、カッチリと音符に当てようと頑張りすぎると、先程挙げたように言葉やメッセージの面で妥協せざるを得なくなってしまったり、面白みのないのっぺりとした曲になってしまうリスクがあります。
私の曲の作り方の場合
私は曲を作る時に、コードをメモするくらいで、音符を五線譜に書き込んで譜面に起こすことまではしません。(五線譜に慣れていないから、途方もなく時間もかかりますし、他の人が読めるかどうかも怪しいですし・・・)
ただ、私はどちらかというと歌詞の意味を大切にする方で、特にこだわっている部分とかはできるだけそのまま曲の中で歌いたいので、「妥協して歌詞を変えたくない」と、ガンコになることが多いです。
そんな理由から、曲を作っていく中で「歌詞がメロディーにはまりずらい」などということは、毎度のことのようにあります
難しい部分を面白みに変える
私の場合には、そんな小さなアクシデントを逆手に取るようにしていて、歌詞を楽曲のフレーズ(節回し)に合わせるのではなく、フレーズや曲そのものを歌詞に合わせるように変えてしまったりすることも度々あります。
例えば、それまでずっと8分の8拍子だったのに、歌詞が入りきらなくて、部分的に8分の12拍子にしてしまったり
そうすると、良い意味(少なくとも私にとっては)で楽曲に不規則な部分が生まれたりして、曲が面白くなっていくような気がしています。
時には、歌詞が、メロディーに対してあまりにも多くなってしまって、「Aメロ⇒Bメロ⇒サビ」だったところを、「Aメロ⇒Bメロ⇒Cメロ(?)⇒サビ」にしてしまったこともありましたが、これが私にとってはすっごく良くて、今でも気に入っているオリジナルソングの1つになりました
歌詞をサウンドの一部と捉えて歌うスタイル
私には中々できないことなんだけど、歌詞の意味よりは「言葉の持つ音」を楽曲のサウンドの一部として歌い上げるようなスタイル(私が勝手にそう決めてしまっています)のアーティストがいます。
私はサザンオールスターズの曲が大好きで、ボーカリストの桑田佳祐さんは(これも私の勝手な決めつけですみません)多くの曲で、歌詞の意味よりはサウンドを重視して曲を作っているように感じます。
そしてそれがたまらなくカッコイイのです
私もいつか、そんなアプローチですっごくカッコイイ曲を作ってみたいです
その他思うこと
歌詞に関してもう少し思っていることを書きますと、英語の楽曲を日本語に訳して歌おうとした時に、歌詞が収まりきらなかったということを経験された人も中にはいるのではないかと思います。
これは私がゴスペルミュージックをやっていたからかもしれません。海外のステキなゴスペルを日本語に訳して歌おうしたことがあるのですが、それを通して気が付きました。
英語の楽曲(というより英語)は短いフレーズの中にたくさんの言葉を詰め込むことができるのですが、日本語で同じメッセージを同じ楽曲の中に詰め込もうとすると、収まりきらない場合が殆どでした
ひょっとしたら、私自身にもっとHipHopとかラップに馴染みがあったら違ったのかもしれませんが、すごく簡単に言ってしまうと、「英語は日本語と比較すると、とっても早口」であるように感じています。
この辺りの考察についてはまだまだ自分の中で整理もついていませんので、このままダラダラと果てしなく書き続けることもできないこともないような気がしますが、今日はこの辺りで終わりにしておこうと思います。
結局何が言いたかったのって聞かれてしまうような今日のブログでしたが、許してください
読んで下さった方、ありがとうございます