Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

テロリズムとの対峙から逃げる 日本の死刑廃止勢力 (後)

2018-07-10 20:48:51 | 社会・経済

先日来の、西日本を襲った豪雨被害は犠牲 150人超、行方不明数十人を数え、水害では戦後最悪規模に達した。改めて、犠牲被害の各位に、弔意並びにお見舞いを申したい。一番遺憾だったのは、岡山・倉敷において 大規模出水の為 総合病院が一時孤立してしまった事だろう。限られた時間だったにせよ 電力、熱源、水利の全てを失い、外部との交通や連絡を絶たれる状況は、決してあってはならない事だ。腎臓透析を要するなど 重篤な患者も移動を余儀なくされる場面があった様で、行方不明各位の捜索と 少しでも早い復旧復興と並び、行政は 病院孤立の再発防止へ向け、あらゆる手を打ち出して頂きたい。

政権与党の初動も、今回は芳しいものではなかった。西日本で水害が進んでいた頃、安部政権は懇親会中だったとかで「反安部」志向のメディア複数から画像も晒されていた様だ。元オウム教団幹部複数の、死刑執行直後。責任者 上川法相の労いもそれは必要だが、お祭り的進行は 確かに今の状況に相応しくないのは事実。もう少し、報道各社や国民感情の動向も見据えた 目立ち難い慎重で周到な進行ができなかったか、又 一部の報道陣が問題視した、災害対策本部の立ち上げに遅れはなかったか、是非検証を願いたい。

その様な事情もあって、近く予定されていた 安部総理大臣の欧州歴訪などの、所謂外遊と呼ばれる外国行程は 全て取りやめられた由。西日本の惨状を考えれば、まあやむなしだろう。又、前述の死刑執行直後であり、欧州連合 EU首脳らと会えば、必ずこの措置への 強い批判に晒される事となろう。勿論、死刑を初め 刑罰のあり方は一国の内政問題であり、とやかく文句を言われる筋合いではないのだが、一部の EU加盟国首脳は、安部総理大臣と 死刑廃止へ向けた対話を望む意向を示したりもしており、ここで無理をして欧州へ行けば、思わぬ言質を取られる懸念もなくはない。歴訪中止を求める声は 野党の方が早かったのは事実だが、もしかすると、前述の死刑執行もあり、時宜を得ないから 今はやめとけ・・との意味もあるかも知れない。まあ EU初め 内外の人権勢力らによる対日死刑廃止要求は、中国大陸他の A・A圏にての死刑制度や執行に目を瞑り、我国だけを標的にした不公正なものであるのも事実だが。

本題です。その、特に EU各国と国際人権救援機構アムネスティ・インターナショナルが特に問題視する 我国の死刑制度廃止への方向性につき、かねて拙者は 日本弁護士連合会執行部派が唱えている様な、即時(実は拙速な)死刑執行完全停止と 早期の死刑制度廃止につき、疑念を持つ立場から 拙記事を進めて来た。複数の各位から感想を頂き、概ね支持を頂けた事に、まず御礼を表したい。その上で、死刑廃止は「未来の課題」として議論する事には、必ずしも吝(やぶさ)かではないのも事実だ。そこで将来、死刑廃止へと進むにはどうすべきかの拙見解を、完成ではないが 以下に少しまとめてみた次第。

「上には上がいる」此度の死刑執行対象となった 旧オウム真理教団執行部複数の罪業は、勿論非難の極にある。教祖とされる 麻原彰晃元代表の刑執行は、異議の余地がない。他の幹部衆についても、罪刑法定主義による厳正な決定がなされた以上 尊重すべきと心得る。ただ、課題もなくはない。それは、事件に関与した全容疑者が逮捕されなければ、それまで死刑執行が凍結される現状だ。これには 昭和期の大阪万博前後から数年に渡って、目立つ危険な活動が見られた 日本赤軍が該当する。

広く知られている通り 同組織は前述の時期、少なくとも二度に亘る 国際航空機乗っ取り、内外での銃火器を使った 無辜の一般人死傷を伴うテロ行動、それに 指導層の意に沿僅かぬ構成員の殺害複数など、毒物使用致死など以外では、旧オウム教団を上回る 悪質な凶行を重ねていた様だ。現行の日本国憲法下でも、破壊活動防止法による厳重な処分ができたはずだが、左派野党や同系弁護士組織などの執拗な抵抗もあって、望ましい処分ができなかった経緯がある。例えば、最初の日本航空機乗っ取り事件の直後 1971=昭和46年秋に、都内で発生した 警察官惨殺事件「渋谷事件」の首謀格 大坂正明などは、犯行の段階で殺処理されていてもおかしくない位だったという。その後は北鮮に渡った乗っ取り犯らが、続発した日本人拉致事件に 積極的に関わった疑いも指摘されている。日本赤軍は、我国の独立、尊厳、国家主権を根底から脅かした、我国民市民の敵対勢力である。

例えばの話だが、我国の死刑制度に 執拗に反対する EU諸国や人権組織は、つまる所「テロ分子であっても、残忍な刑罰たる死刑適用はやめよ。その替わり 欧州がよく実行する、明らかに危険な輩や勢力は、その場で銃撃し斃せば良いではないか」との意味らしい事を、理解し始めている所だ。これは、日本国憲法を変えなくとも一定までは実施できる。真に充実を図るなら、それは第 9条を含む憲法改正が望ましいだろうが。

これは日弁連などでも検討が進んでいるらしいが、性暴力を含む凶悪犯は、現状の死刑に替えて 終身刑を最高刑とするもの。改元などに伴う恩赦、特赦は一切認められず、これは現状と同じだ。ただ、日弁連が言及を避ける テロ勢力についての向き合いは、これとは異なる。同会は、事ある毎に「死刑廃止は人類の理想」と吹聴するが、真に受けるべきではない言葉だろう。同会が見る「人類」とは、欧米だけの 極めて狭いもの。アジア・アフリカ、そしてイスラム圏をも含む 「A・A」圏の法制文化は一顧だにされていない。つまり、公正を期したとは到底言えないという事だ。

当地の擁する言論の俊英に 著述家・呉 智英(くれ・ともふさ)さんが居られる。少し前 同氏が死刑廃止勢力と意見交換された折「私は、イスラム法で認められる 報復無罪が日本でも実現すれば、死刑廃止を支持して良い」と述べられた所、廃止勢力の多くは嫌な顔で聞いていた、との下りを著書で拝読した事がある。よく護憲原理勢力は「憲法改正の 議論さえ認めない」と揶揄されるが、死刑制度のあり方を巡る方でも、似た様な事が起きているらしい。

呉さんのご見解は、実現性の有無はさておき、議論としては認められて良い。つまり、核兵器保有の是非議論と同列だ。議論さえ嫌うのは、護憲、死刑廃止の両勢力は、それだけ視野の狭小な輩が多い事の証左だろう。あわよくば、護憲と死刑廃止の両得狙いだろうが、現実はそう単純ではないだろう。安易に「自由と平和」を口にし過ぎて来た事へのツケかも知れない。以前から言われる様に 水と安全はタダではなく、国民市民の血と汗の努力で贖われるべきだからだ。

「やらねばやられる」テロ対峙の為には 状況にもよるが、容疑者連中をその場で斃す処理も必要だ。その為にも 破壊活動防止法の適切な拡充と、必要なテロ対策特別法制を改めて整備し、眼前に大いなる危険が迫る場合は、躊躇う事なく討伐できる 警察や海保の特殊部隊を広く養成し整備する必要があろう。それができてこそ、初めて死刑廃止の議論が可能となるのではないか。違和感のある向きも或いは?とは思うが、敢えて表す次第。今回画像は、岐阜・滋賀県境付近を行く 東海道新幹線の模様。最後に、今回拙記事を締めくくるタイミングで、タイ王国で進められていた 洞窟に閉じ込められた 13少年らの救出が成功、全員脱出との報に接した。まずは、若い彼らの生還を喜ぶと共に 速やかに健康を取り戻す事を祈り、犠牲となった救出関係の方への弔意、関係各位の命を賭した救出活動を称えたいものです。


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