怒りだって大切なこころです | うたよみセラピー【しなやかな心、どんな苦しみも受け容れられる心に”おのづから”なってしまふブログ】

うたよみセラピー【しなやかな心、どんな苦しみも受け容れられる心に”おのづから”なってしまふブログ】

歌をよむこと、それは古(いにしへ)よりやまとの国に伝はれる道です。
道とは、生き方のこと。
「いかに生くべきか?」を”考へる”必要はありません。
歌とともに生きること、それだけで人も社会も、望ましいあり方に近づいてゆくのですから。
ようこそ、うたの森へ。

傾聽法をはじめた心理學者カール・ロジャース。
その娘ナタリー・ロジャースは、父についておもしろいことを述べてゐます。

父カールは、おのが怒りのこころに氣づきにくかった、と言ふのです。




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みなさまの温かい励ましのおかげで、忙しいながらもブログを書きつづけられてゐます。
ありがたうございます。




ところで、アートセラピーにはさまざまな流派があります。
大まかにわけて、作品を分析してメッセージを讀みとる派と、分析はしないでクライアントの氣づきに委ねる派とが存在します。

みなさんがよく御存じなのは、きっと分析派でせう。
「あなたの繪のこの部分には、○○○といふあなたの性質があらはされてゐます。」
みたいなことを、セラピストさんに教へてもらふわけです。

かたや非分析派は、セラピスト側が分析・解釋することはしません。
クライアントによりそふのみです。

この非分析派は、ロジャース派のながれをくんでゐます。
ナタリー・ロジャースが、その分野のパイオニアです。

心理學者の父カールとアーティストの母ヘレンとの間に生まれたナタリーは、幼い頃からアートが身近にあったと言ひます。
アートセラピーの開拓者たるべく生まれてきたやうな、そんな運命すら感じますね。

そのナタリー・ロジャースが、父カールについておもしろいことを書いてゐます。
『表現アートセラピー 創造性に開かれるプロセス』(誠信書房)からの引用です。


父は後年、自分の怒りに気づきにくいことを認めていました。

私がこのことに強く気づいたのは、1975年から1980年にかけて毎年夏に開かれたパーソン・センタード・アプローチのワークショップで、一緒に合同チームとして仕事をしていたときのことです。
他のスタッフと私は、怒ったときには互いに、そして百人の参加者たちと正直にそれを話すことができましたが、父は一度も怒ったようには見えませんでした。
そのときは、いらいらして葛藤する状況がたくさんあり、父が反応しないことで私たちはプレッシャーを感じ、私は父の代わりに怒りを表現したように感じました。

私が怒りを大切なものとして、また潜在的に非常に建設的な感情として注目したのは、たぶん父が怒りを体験できなかったことに起因するのでしょう。
怒りを表す言葉は、彼のどの著書の索引にも載っていません。
(引用ここまで)


父カールは人を信頼することにかけては群をぬいてゐた、ともナタリーは書きます。
だからこそ、カウンセリングの根っこをなす傾聽法を發見したのでせう。

長所は短所になりうるといふことなのか、そのぶんカールは、人の“影”の部分を見落してゐた、とナタリーは仄めかすのです。



みなさんは、怒りの感情について、どう捉へていらっしゃいますか?

「怒りをいだくのは子どもじみてゐるから、怒りなんて無い方がよいのだ。」
さう考へていらっしゃいますか?

怒りにかぎらず、かなしみ、さびしさ、恐れ、憂ひといった、ネガティブな氣持は、無くしてしまふのがよい。
そのやうに考へてをられるでせうか?



ふたつ前の記事にも書きましたが、私は、人のこころにとって要らぬものなんてひとつも無い、と思ってゐます。
“捨てる”ものなんぞ、ひとつも無いと思ふのです。
すなはち、怒り・かなしみといったマイナスの氣持にも、値打があると言ひたいのです。



怒りは、建設的行動をとるための大切な動機となります。
ナタリーはさう書いてゐます。
アート歴のながい人だけあって、さすがだと思ひました。

怒りじたいは、ひとつのちから・エネルギーにすぎません。
だから、怒りそのものに善惡はないのです。
お金そのものに善いも惡いもない、といふのと同じ。
そのチカラを“いかに”つかふかによって、良くもなったり惡くもなったりするのです。

惡くなる好例は、個人にむけて怒りをぶつけることです。
これはたいてい、良い作用を及ぼしません。

かたや良くなる例としては、不公平な社會にたいしての怒りを、より良い社會をつくってゆくためのチカラに變へる、といふもの。
社會の一線で活躍する人に、意外と多いケースです。

ちかごろよくこのブログでも紹介する、日本メンタルヘルス協會の衞藤信之先生も、その種の怒りをたしかにもっていらっしゃいます。
その怒りをおんみづからの情熱にかへて、國中をとびまはってをられるのです。

かく言ふ私にも、さういふ怒りはあります。
わがブログをいつも讀んでくださるみなさんなら、すぐに納得していただけると思ひます。
「おっ、また“激しいモードのスイッチ”が入ったな。」
と氣づく方もをられますね。

まあ、私の場合は、まだ社會の一線どころかスタートラインにも立ててゐませんが、それはこれからのお樂しみ。



私の大好きな佛教の言葉に、

“煩惱即菩提(ボンノウすなはちボダイ)”

といふものがあります。

それは、わかりやすく言ふと、苦しみ(煩惱)があるからこそ、より向上(菩提)できる、といふ意味です。
苦しみをバネにするからこそ、人は大きくなれるもの。

たとへば、親を難病で亡くした子は、科學者や醫學者になって悲しみをすこしでも減らしたい、と考へたりしますね。
虚弱體質だからこそ、どうしたら健やかになれるかにつき考へて實踐し、なまじ健康な人を上囘るすこやかさを手に入れたりします。

金錢慾のつよい人は、それを抑へるのではなく、ひたすら稼ぎに稼いで、
「稼いだお金で何ができるだらう?」
と考へて、社會を良くするために使へば、金錢慾がプラスのエネルギーになります。

悲しみにくれる人は、同じやうな悲しみにしづむ人によりそふ活動をすれば、味はった悲しみがプラスのエネルギーになります。

怒りがあるからこそ、それを良いエネルギーにかへて社會のために働く。
これもまた、煩惱即菩提ですね。

私のこころの學びは、この“煩惱即菩提”といふ言葉を知ったところから、新たなステージをむかへました。
今でも鮮やかに憶えてゐるくらゐですから、よほど感銘をうけたのですね。

ちなみにこれ、こころの世界だけでなく、からだの世界においても言へるんですよ。
熱が出たら、むやみに下げずに上げたままにしておく方がむしろ速く治る。
これは、からだにおける“煩惱即菩提”。
“症状即療法(ショウジョウすなはちリョウホウ)”とも言ひます。

そのやうな背景があるので、私にはネガティブな感情であっても、「捨てるべき」とはまったく考へられないのです。
むしろ、どうやったらこのマイナスエネルギーをプラスにできるかを考へます。



私がいま學んでゐる東洋醫學においても、おもしろいことが述べられてゐます。

東洋医学には“五行色体表”といふものがあります。
それは、木・火・土・金・水の五行にさまざまなものを配當していった表なんです。
ちょっと書いてみますね。


木・春・・・肝・胆・・・筋・・・目・怒

火・夏・・・心・小腸・血脈・舌・喜

土・土用・脾・胃・・・肌肉・口・思

金・秋・・・肺・大腸・皮毛・鼻・憂

水・冬・・・腎・膀胱・骨・・・耳・恐


ほんたうはもっとたくさんあるのですが、あまり書くと紛はしいので、このあたりにしておきます。

「學生はこの表を丸暗記するのか。大變だなあ。」
と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、實はそんなに大變ではありません。
といふのは、それぞれ或るイメージに從って分類されてゐるからです。

“木”は、春のイメージ。
下でねむってゐたものを起こし、上にあげる働きをします。
春の芽吹は、まさにその典型例ですね。

“火”は、夏のイメージ。
上にあがったエネルギーを周りに發散させてゆく働きをします。
夏になると氣分が浮きたって、いろんなところへ遊びにゆきたくなりますよね。

“金”は、秋のイメージ。
上にあるエネルギーを下におろしてゆく働きをします。
秋風がふくと、浮いた夏のこころが鎭まってゆきますよね。

“水”は、冬のイメージ。
下までおりきったものに、次の上昇にそなへてチカラを蓄へさせる働きをします。
冬は早く歸りたくなるし、早く眠りたくなりませんか?

“土”は、季節の變り目(土用)のイメージ。
それぞれの働きを調整したり、根っこを支へたりします。
母なる大地、といふ感じです。



さて、とくに見ていただきたいのは、それぞれの行のいちばん右側です。
怒・喜・思・憂・恐とありますね。
これを“五情”と言ひます。

さきほどの五行のイメージに沿って説明すると、“怒”は上昇・開始のために働きます。

「怒りは、建設的行動をとるための大切な動機となります。」

といふナタリー・ロジャースの言葉は、まさに同じことを示してゐます。

およそ人が何かを始めようとするとき、そのウラには“怒り”があります。
たとへば、ダイエットをしようと思ひ立つ人は、みづからの體形への怒りがあります。
デブにも程があるんぢゃないか、と。
だから、すこし食事に氣をつけてみようかな、とか、運動をしてみようかな、といった行動につながります。

いつも課題をぎりぎりになって提出する人が、早く出すやうになったとします。
そのこころの奧には、みづからへの怒りがあります。
恥もありますね。
いくらなんでも、みっともないんぢゃないかオレは、といふ恥・怒り。
そのおもひが、具體的な行動につながってゆく。

社會にたいする怒りもさうですね。
いくらなんでもこの社會はをかしいんぢゃないか?
その怒りが、もっと良くするために働きたいといふ情熱に變ります。



東洋思想の基本は、“バランスをとる”ことです。
だから、喜だけを歡迎して、怒や憂や恐は要らないとはみなしません。
どれもそれなりに必要だ、と考へるのです。

ちなみに、喜だけが極端に多いのもダメなんですよ。
それは「心をやぶる」とよばれて、別な問題が生まれてきます。

憂や恐を知る人なら、おなじ苦しみにある人の氣持に寄りそへます。
つよい恐れを感じたあと、ふたたびおなじ恐れを味はひたくないと思へば、具體的な行動にむすびついてゆきます。
これは、冬から春にうつるごとく、恐が怒といふ行動のエネルギーに變るのです。

災害にたいする備へなどは、その好例ですね。
災害への恐れ、そして、大切な人を失ったかなしみ、守れなかったおのれにたいする怒り。
さういふマイナスの感情が、行動のきっかけになります。



バランスをとる、といふ發想からふと考へたのは、男女の仲であります。
ここから、しばらく餘談です。

私の人間觀としては、男はアホで、女は賢い。
男は怒りっぽく、女はなだめる役にまはる。
それはそれでバランスがとれてゐて、社會が進歩してゆくんだ、と思ふのです。

男は、たしかにアホで怒りっぽくて子どもっぽい。
でも、その子どもじみたピュアなエネルギーが、社會をかへるチカラになります。
男は、良くも惡くも變化を好みます。
戰爭をおこすのも、いつも男。
でも、社會を良くするのも、男性的なエネルギーなんです。
いまは社會で活躍してゐる女性もゐますが、彼女たちは性別こそ女でも、男性的エネルギーに滿ちてゐます。

かたや、女は良くも惡くも現状維持派です。
心配性が多いのは、どちらかと言へば女ですね。
女性的發想からは、戰爭をしてでも變へよう、といふ考へは出てきません。
家族を守り育てる、といふベースがあるからだと思ひます。
じっくりとした落ち着きによって、守られる價値だってあるのです。
(フェミニストからは怒られさうな考へですけど。)

社會を變へたい人ばかりだと、落ち着きがなくなります。
變へたくない人ばかりだと、新たな動きがなくなります。

このふたつは、男性と女性といふ本質をあらはしてゐるのです。

東洋思想では、“怒・喜”といふ活動のエネルギーが男性。
“憂・恐”といふ鎭靜のエネルギーが女性。
どちらも必要ですよね。

だから、男はアホでいい。(ひらきなほり!)
そのアホなエネルギーを、良い方向へむけてゆけばよいのです。

女は、むりに男みたいにアグレッシブにならなくていい。
その落ち着いたやさしさや賢さがもっとも活きる所で輝けばよいのです。

これ、ふるい考へですかね?

生き物は進化のプロセスで、いつしか“性”をわけるといふ選擇をしました。
その方が進化するうへで都合がよかったからです。
實際、いまの地球で榮えてゐるのは有性の生き物であり、無性の生き物はひっそりと暮らしてゐます。

そもそも、何故いのちは、わざわざ“性をわける”といふ選擇をしたのか?
この問ひについて、もっとまじめに考へるべきではないでせうか?
(以上、餘談でした。)



私の發想の根っこには、東洋的な考へかたがあります。
私にとっての心理學はその根っこの上に咲いた花ですから、みなさんの花とは違ふ花になるのは、仕方のないところです。

怒り・喜び・思ひ・憂ひ・恐れ、どれも大切にしたいな。
あまり極端なのはいけませんけどね。

捨てるなんて、とんでもない!
どれも大切な、あなたの心なのですから。

生ゴミだって、肥料になります。
資源ゴミは、もはやゴミといふより原料ですよね。
さう考へれば、ゴミでさへありがたくなってきます。

ネガティブな感情について、あなたはどのやうにお考へですか?
今さういふ感情にとらはれてゐるかたは、どうすればこのマイナスをプラスにできるのかを、考へてみませう。
捨てようとするのではなく、リサイクルしてみませう。



これから、日本藝術療法學會の大會へゆきます。

表現療法は、ネガティブ感情をリサイクルするにもってこいのセラピーです。
と言って、難しいことではありません。
ただ、お好みの表現行爲をすればよいだけ。
繪でも、音樂でも、演劇でも、詩歌でも、何でもいい。

それを續けてゐると、マイナスをプラスにリサイクルすることのイメージが、つくやうになってきます。
アタマの理解が、肚でわかるやうになるのです。
さうなれば、もう恐いものはありません。

そのためには、實踐あるのみ。
ぜひ、やってみてくださいね。
(終)



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