こんばんは、かくえいです。
母と電話していて、ちょびっと遠い昔の事を思い出しました。
6歳の時に母親が再婚しました。
私は新しい父親に馴染めず、とにかく家に帰りたくなくて、夕ご飯の時間までずっと外で1人で遊んでいました。
いつも行くのは猫が集会をひらく神社の境内。
大人猫や子猫、いつも10匹以上は集まっている場所です。
猫達も、人間の子供が1人混ざるぐらいは構わなかったのでしょうか。逃げたり威嚇したりされることもなく、興味の無い一瞥をくれるだけでした。
私は猫達とすこしだけ距離を置いた社の軒下に座って、日の暮れるのをひたすら待っていました。
日が落ちかけたころ、猫たちは、1匹、1匹と、どこかへと帰って行きます。
そして私も。
猫は、1人になりたい時、でも1人では寂しい時、微妙な距離感で放っておいてくれる。
猫になりたかった。猫のように、自由にどこにでも行きたいと思っていた。
みんなが帰ってしまったひとりぼっちの公園でも、泣きながら夕陽を見てた港でも、いつでも猫がそこにいた記憶があります。
あのころに、私はネコ科になった気がします。
ババア、今日はいやにしんみりしてるじゃねぇか。
いやね、従兄弟の子供がその時と丁度同じ状況でさ。グレちゃったんだって。
ちょびっと気持ちがわかるなあーって。
猫は猫、人間は人間だろうがよ。
猫さんみたいな人間もいるよ。ホームレスさんとか、、、、、。
子供はつらいよね。大人の都合で色々と振り回される。
自分で食えるようになるまでは、好き勝手には生きられない。
はやく大人になれ。それまではちょびっとグレたっていいさ。でも頼むから人に迷惑はかけんでね。
お前はずっと子供でいてよし!
保護猫のお問い合わせ等、御用の方は
kakuei06070712@yahoo.co.jp
かくえい
迄、ご連絡下さいませ。
けど90近くなってもまだまだ心配…愛情がなかった訳じゃないんですよ。でもやっぱ夫婦は仲良しがいいな。子供には夫婦の機微なんて分からないもの。犬も食わないもん子供も食えない。逃げ場のない子供の拠り所。柔らかで温かい…
静かだったど田舎の道もバイパスが通りのんびり生きてた猫も車にひかれてしまった。親は必死に生きててそんな時代。猫も子供も大変だったなあ。でも今みたいな虐待なんてなかったと思う。
今の子は、グレてない一見普通の子が平気で人を殺してしまう。
小さい頃から、犬や猫と一緒に暮らした子と、そうでない子、
どちらの犯罪率が高いか、そんな統計はないだろうけれど、きっと違いがあると思う。
少なくとも、猫を虐待したり、
それがエスカレートして、人間を殺めたりするような青少年には、ならないんじゃないかと思う。
惚れたぜ乾杯☆
情熱☆熱風☆セレナ~デ☆
よろしく☆哀愁
…トシちゃんが混じってしまいました。
マッチのほうも、自信はございません。
あんまりふざけるとジェリーだかエリーだかに制裁を食らうかもしれないので、おとなしくしときます。
こどもの頃の事で、親に言いたい事は尽きませんが、
はなちゃん!
あなたはずーーっとずーーーーーーーーっと小さいさんのままで良し!
てか、
猫さんは、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと!
そのままで!
お願いします。
私が9歳の頃、原因不明の特定難病疾患になって闘病、その1年後ぐらいに母親が蒸発。
私の病気は国に認定されていて治療費はかからなかったのですが…
叔母達に私の治療費がかかって家計費が苦しいからって、サラ金の保証人になってもらってたみたいで。
利子が利子を生んで、闇金に手を出して、怖い人達が家に乗り込んでくる手前で母が失踪。
家には「金返せ」の紙がいっぱい貼られて、夜中に大声出して玄関蹴とばされて。
酒癖の悪い伯父には、「お前のオカンのせいでどんだけエライ目おうたと思とるんや!」と事あるごとに暴力を振るわれ。
早く働きに出てこんな家、出て行ってやるって思ってました。
それから、祖父母(奄美から私が生まれる頃、出てきてました)と父と4人暮らしになって、
祖父の介護もあり、グレる事も許されず、学校に持って行くお弁当は、祖母が作ってくれましたが、白米と缶詰の中身の一部(お金がないから)。
涙も出ないぐらい心が乾ききっていたけど、時々、夕焼けを見ると無性に泣きたい時があって、
近くの公園の噴水のベンチに座って、そこで泣いてました。噴水の音で、嗚咽がかき消されるから。
そこにはエサやりおばさんがいて、野良ちゃんも数匹いて、泣いてると不思議と寄ってきて、そっと隣に座ってくれるんです。
その距離感が心地よくて、いつしか猫が大好きになってました。
私も思いました、猫になりたいって。。
一昨年、看取った猫くんは、生後1日目で保護し(未熟児の為、母猫が育児放棄)、
私が腹巻きをして、そこに猫くんを入れて温めて、スポイトでミルクをあげて育てました。
猫くんと自分の境遇を重ね、絶対に、絶対に、どちらかが命尽きるまで一緒にいると思っていました。
生き別れはしたくなかったのです。
猫くんは、病身の私を思い本当に頑張って長生きしてくれました。
糖尿病も、腎不全も、甲状腺機能亢進症も、途中で症状が緩和しました。
獣医さんも、とても驚いていらっしゃいましたが、最後は大腸がん。わかった時は余命1か月。
亡くなるギリギリまで、俺は死なないって、ヨロヨロの足取りでトイレにも行きました。
19年と11か月と7日。私が実の母親と過ごした時間の倍以上一緒にいました。
今も姿は見えないけど、隣に座っていると思っています。
思春期に家庭の事情で色々あると傷つき方が深くなってしまいますね。
従兄弟さんのお子さんが、今はグレていても、弱いもの苛めをしない心根の優しい人に育ってくれますように。
本当に長々とすみません、私も随分センチメンタルになってしまいました。
トシかな、ごめんなさいm(__)m
・゜・(ノД`)・゜・。
そのシチュエーション、泣いてまうやろ!
自分の体験もあって、子供がつらい目に会う話はすごく苦手です。
「おしん」とか、「フランダースの犬」とか、見ていられませんでしたもん。
なので、最近の子供の虐待のニュースも本当にキツくて、耳を塞ぎたくなります。
子供を守るというのは、生物の本能なんじゃないんでしょうかねえ。
人間は、どこで間違ってしまったのでしょうかね。
私も8歳のころに母親を亡くし、その後父親が再婚しました。
男手ひとつで育てられなかったのかなぁと今でも思うことはあります。もちろん、よくしてもらったと思っていますが。
祖母に、私は新しいお母さんはいらんって言ったら『お父さんにはいるんや』と言われてしまいました。祖母がお見合いをすすめたようでした。
私は離婚して、母子家庭です。
充分です。
子供たちがいれば。
毎日毎日、子供たちが笑顔でいられるように、私も笑顔でいたいと思っています。
かくえい様も小さい時は苦労されたのですね。
私も3歳の時に両親が離婚して猫を飼っていたので、それが唯一の友達でした。
母の居ないさみしさを猫や他の生き物を育てる事で紛らわしてたのかもしれません。
動物は、かなりの種類飼いましたがやっぱり猫は最高にぴったりしますね。
お気楽な性格がたまりません。
個性さまざまな猫。
茶色氏やサビちゃん、黒子氏、はなちゃんと皆性格が違っていいですね。
手間がかかる程愛情が湧くのも猫飼いの宿命と、お気楽にちょっぴりわがままな今のゆきみ♀嬢に振り回されてます。
「お母さん、あんまりしつこくしないで!!」
って少し反抗期なんだけどあの猛暑の中拾ってきて本当に良かったと思う。
外猫達ともうまくやり合ってるしね。
いつまでも元気で一緒に居たいですね。
ペット・ショップの猫もいいけど譲渡会でいろんな猫と交流してお気に入りを探すのもいいですね。
かくえい様はじめ他の預かり親様やボランティアの皆様、生き物の命を預かるというのは大変な事ですが、体調を崩さぬようにお身体ご自愛の程よろしくお願いいたします。
月曜から熱が出て関節痛がするので受診したらインフルエンザA型だって。
鬼の撹乱?
山奥で隔離されてるから、流行には載らないと安心してたのに娘からもらいました。
いつもは冷え性で猫に温めてもらってましたが、熱が出て逆に猫が寄ってきて布団に一緒に寝てて癒されてます。
具合悪いけどちょっぴりシアワセです。
負の感情のベクトルはとても厄介で、自分の憎い相手ではないものにも向くのですよね。
いつも犠牲になるのは小さいもの、弱いものです。
親から子供への虐待。
学校での陰湿なイジメ。
野良猫など動物の惨殺。
最近は、強者が弱者を、というのではなく、弱者がより弱者を虐待する、という傾向があるように思います。
何が足りないんでしょうかね。
家族愛なんでしょうかねえ。
さては同世代ですね。
ちなみに私たのきんではよっちゃん派です。
よく、犬は小学生ぐらい。猫は赤ちゃんぐらいと思って可愛がると言います。
茶色氏もいいジイさんになってしまいましたが、私には可愛いベイベーです。