きっと今は | おばあちゃんになった、わんこさんのおはなし。                    ~高齢柴犬の闘病・介護記録~

おばあちゃんになった、わんこさんのおはなし。                    ~高齢柴犬の闘病・介護記録~

ハイシニア柴犬介護記録です。
1年3カ月の闘病期間を含め、いつでも家族みんなで笑いながら過ごした、柴犬「わんこさん」との16年と8カ月の生活。
悲喜こもごもあったけど、トータルしてとっても幸せだった日々のおはなしです。

犬と一緒に過ごす生活って、いいね。

わんこさんが亡くなってからしばらくは、生前の姿で思い出すのは主にシニア期の、お庭でゆったりのんびりしてる姿が多かった。病気になる直前の姿。そういえばあの頃は、代謝が落ちてきていて若いころより少しだけ太ってきていたし、加齢で皮膚がたるんで、首やおなか周りがちょっとゆるゆるしている感じが、被毛の上からでも見てとれた(こんなことみんなに教えたら、わんこさんに小突かれるかもね)。でもその当時、のんきな私はわんこさんの「一生」なんて捉え方をしていなかったし、毎日毎日少しずつの変化だったから、全く気にせずに過ごしていたけれど。

 

命日が近づく頃からは、私が思い出すわんこさんは、圧倒的に走っている姿が多くなった。効果音をつけるとしたら、「ピュン」とかそういう感じの、弾丸全力疾走の姿。若くて元気で、それだけで無敵なくらい力強くて、体も引き締まって均衡がとれていて、美しい頃の。

若さだけがすべてとは思わないけれど、若いってことは、丈夫な体を持ってるってことは、それだけで一財産なのかもしれないね、って私は改めて思ったりする。正直に言えば私がずっと憧れた姿を、わんこさんは生まれついて持っていた。すこやかな美しさだった。

 

散歩中、わんこさんが大好きな田んぼの脇道を、母はよく歩いてくれていた。舗装なんてされていない道が雨に濡れてぬかるんだ日でも、わんこさんは急ぎ足でぐいぐいぴっぱり、耐えきれずついに母は転んでしまったという。その話を聞いて以来、家族みんなが散歩中はツケをして歩かせることを徹底し、ゆっくり歩くよう何度も何度も言い聞かされていたわんこさん。本当は散歩がうれしくて、はしゃいだ気分のまま、がむしゃらに走り出したいのを我慢していた。飼い主の歩幅に合わせらるよう、速度を気にしながら歩いていた。

 

散歩中ときおり、「わんこさん、走ろうか。」と声をかけ、リードを持った私が走り出すと、

「え?いいの?今日、走っていいの?」と本当に嬉しそうに私の顔を見上げ、すぐに軽やかに駆けだした。眩いほどに流麗な動きの、わんこさんのあの走り方で。ウサギみたいな軽やかさの滑らかな走り方が、私はとても好きだった。一緒に走る時には、リードを持った私の速度に合わせてずいぶん手を抜いて、ゆっくりめに走ってくれていたことを、私は分かっていたけれど。流して走っていても、充分にきれいなフォームだった。少しだけ後ろを走りながら私は、いつもその姿にうっとり魅了されていた。

 

私がもし、足が速かったら。散歩中のわんこさんを満足させてあげられただろうか。やっぱりわんこさんの方がもっともっと速くて、手加減をしてくれながら余裕の伴走をするのだろうか。

とにかくわんこさんは、今日も私の記憶の中で嬉しそうに走っている。

 

きっと今も、弾丸みたいな勢いで、うれしそうないい笑顔をして走っているに違いない。体を低くして溜めた後にピュンと加速して走り、ギュッと急ブレーキみたいに止まったり、ひらっと身をひるがえして方向転換をしたりして、お友だちと追いかけっこをして遊んでいるに違いない。思う存分走り回って、興が乗ってきたらおそらく、ネズミ花火みたいな激しい動きをしているんじゃないかな。

できるなら私は小さくなって、わんこさんの体にしがみついて、その走りの速さを体感してみたい。きっと耳元で空気がうなるはず。まつ毛が吹っ飛びそうなくらいの空気抵抗を感じるはず。走る喜びと楽しさを、わんこさんと一緒に実感できるはず。

 

                   
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