風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

夏の西国ひとり巡礼 4-2

2017-08-23 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。 

● トリは京都に

さて、この旅で訪れたいお寺は、残すところあと一つ。
京都の醍醐寺です。
これまでに何度も訪れたことがあるお寺なので、気分的にとても楽。
地下鉄で醍醐駅に着き、お寺まで歩きます。



入口の門までは10分ほどですが、そこから長いまっすぐの参道が始まります。
ひたすら歩きます。



太閤秀吉ゆかりのお寺らしく、国宝の唐門は、いつ見ても金ぴか。
歩ききるまでにさらに10分ほどかかります。広大なお寺です。



醍醐寺はいくつものお堂や三宝院(庭園)・霊宝館(宝物館)でそれぞれに観覧券を出していましたが、今回、それが1セットの共通観覧券に変わっていました。
今までは行きたい場所だけの観覧券だけで済みましたが、全て見ないと割高になることに。
このお寺で予定は終わるため、観音参りをすませたら、あとは庭園や宝物館をゆっくり鑑賞しようと思います。



観音堂のある仁王門前にようやく到着しました。
秋の紅葉の時期にしか来たことがありませんでしたが、夏はすいていて、緑さわやか。



平安時代に建てられた国宝の五重塔は、相変わらずどっしりとしています。
なにがあっても崩れなさそうで、いつもこの塔の前に立つと、えもいわれぬ安心感を抱けます。
醍醐天皇の冥福を祈るために建てられたものです。



● お寺と天皇

ここは醍醐天皇が帰依していたお寺。
天皇とお寺、どっちが先かと言うと、お寺の方です。
醍醐寺を庇護したことで、醍醐という諡号(しごう)を受けた天皇。
後世、その醍醐天皇にあやかって生前自ら後醍醐と名乗った天皇が登場します。
その後醍醐天皇にあやかってゴダイゴというバンドが登場し・・・もうこの辺でいっか(笑)



美しい庭苔。広大な境内ですが、手を入れすぎない自然な様子できちんと整備されています。
醍醐天皇一千年御忌を記念して、昭和5年(1930)に建立された鐘楼堂。
それでも古めかしい印象です。



● 第11番札所 醍醐寺

仁王門を抜けてもさらに続く長い参道をまっすぐ抜け、本堂の前を通ってさらに奥に入ったところに、目指す観音堂はあります。
かつては、山の上の上醍醐といわれる場所に観音堂があり、巡礼者はそこまで登らないといけない、大変な行程でしたが、13年前に雷が落ちて、上醍醐の観音堂が全焼してしまったため、麓の下醍醐に移されました。



秋には紅葉が映える弁天池ですが、夏の青紅葉もまた、美しいものです。



あ、ヤモリ。私が近づく気配を察して、するすると橋の欄干の影に逃げ込みました。
頭隠して尻隠さず状態ですが、うまく隠れているつもりなのかな?



● 上醍醐への道

観音様を参拝し、今回の旅の目的はすべて果たせました。
わ~、終了だわ~。
かつては山の上の上醍醐にあった観音堂。雷で燃えてしまったのは悲劇ですが、巡礼者は山に登らずに済むようになりました。
楽にはなりましたが、せめて上醍醐へと続く道を見てから帰ろうと、フェンスごしに向こう側をのぞきました。



と、背後に近づいてくる足音が聞こえました。
年配の男の人がやってきて「今は西国巡りの人は山の上ではなく、そこの観音堂で御朱印をもらえますよ」と教えてくれました。
(上醍醐へ登ろうとしていると思われたのかな、違うんだけど)と思いながら、どう話そうかと考えていると、
「突然そんなこと言われてもあれやな」と、なにかを探し始めました。

● 醍醐寺マスター

「ガイドさんですか?」と聞いたら「違う」と行って見せてもらったのが、「醍醐寺友の会」のメンバーカード。
上下醍醐寺・三宝院・霊宝館のフリーパスとなる年間パスポートです。
それを使って、毎日のように上醍醐まで上っているのだそう。
「えー、毎日ですか?」
一度登るのだって、よっぽど大変だろうと思うのに、毎日と聞いてびっくり。
「別に好きで登っとるわけではなくて、お医者に運動不足って言われたからなんよ」
最初は、川沿いを散歩していたそうですが、アスファルトの照り返しがきついし、近所の人によく会ってばつが悪いので、換えたそう。
13年前の落雷以前より、巡礼者に交じって上醍醐に登っていたそうです。

友の会のカードの会員番号は1500以上でしたが、手書きで併記された番号は29番。
「番号、2つありますね」「なんでやろな?」
一つは欠番込みの数、一つは実際の数でしょうか。
醍醐寺のことをいろいろと説明してくれます。
日本庭園の話になり「このすぐ裏に庭園があるけれど、ほとんど知られていないから、教えてあげよか?」と言ってくれます。
後からやってきた女性陣とも挨拶を交わし、顔が知られているおじさん。
境内ですし、案内してもらうことにしました。



その庭園は、本当に今まで知らなかった、奥まった場所にありました。
標識が出ていないので、わからなかったのです。

● 長尾天満宮

おじさんのお名前はケイゾーさん。
さらにいろいろと説明してもらい、隣の敷地には長尾天満宮があり、そこには菅原道真の衣装塚があると教えてもらいました。
「道真の衣装塚?聞いたことないです」
興味を示すと「連れてってあげるよ」と言ってくれます。
もうこれ以上時間を取るのは申し訳ないので「いえ、どうぞ上醍醐に登ってください」と言うと「昨日上ったから今日はええわ」とあっさり。
えっ、それでいいの?
まあそのくらいユルさがないと、日々の登山は続けられないっていうことですね。



醍醐寺の隣にある長尾天満宮。
醍醐の氏神さまで、ご祭神は菅原道真。
参道の長~い石段が出迎えてくれます。
やっぱり石段ね・・・。



● 頼政ロード

上っていくと、途中に「頼政の道跡」の碑がありました。
宇治川の戦いで敗れた源頼政が、平清盛の追っ手を逃れて園城寺(三井寺)から奈良の興福寺に向かって逃げた道が、頼政道と言われます。



大津からここ長尾天満宮を通って、一言寺、 日野法界寺、木幡、宇治へと進みましたが、宇治平等院での平家との合戦で破れ、彼は命を落としました。
そういえば、平等院の鳳凰堂の裏に源頼政の墓があったなあと思い出します。
逃げた道に名前がついているなんて、それだけすごい人だったんでしょうね。

● 道真の衣装塚

衣裳塚、ほんとにあったー!道真は醍醐に来ていたんですね。
考えてみれば、左遷される前は京都で活躍していたわけですから、来てもおかしくないですね。
小さな看板が立っています。
「いつも参拝に来てもな、看板が古く小さすぎて気にしたこともなかったんだけど、ある日読んでみたら、けっこうすごいことが書いてあってなあ」

ケイゾーさんが解説してくれました。
菅原道真は醍醐寺を開いた僧侶と親交があり、醍醐寺を訪れた際に「自分が死んだらこの地に墓を立ててほしい」と願ったそうです。
ところが彼はその後失脚し、太宰府で亡くなりました。

死後は醍醐に墓を立てるという話でしたが、道真はすでに太宰府で埋葬されていたため、代わりに彼の衣服と遺物を埋めたのが、この衣裳塚だということです。
ただ、道真を京の都から追放したのは、醍醐天皇なんですよね。
お互いのゆかりの地が隣同士だなんて、なんとも歴史の不思議さを感じます。



天満宮から再び醍醐寺に戻り、一つ一つの建物について詳しく教えてもらいました。
「塀に横線が5本入っているのが、位が一番高いお寺の印だからね」
そんなお寺のトリビアも教えてくれます。

友の会メンバーは、誰もがガイドさん並みの醍醐寺知識を持つのかと思ったら「いや、TVでここが取り上げられたときに録画して学んだことばっかりや」とのこと。
とても勉強熱心です。
「ここのお寺は、ええもんたくさん持っとるのに、全くそれを説明せえへん。もったいないわ~」



金色の涅槃仏のいるお堂もありました。
醍醐の花見の時は、それはすばらしい光景となるそうです。
巨大な餅を運べるかの力比べをする男女など、太秦(=東映太秦映画村)から役者を連れてきて演じるんだそう。
大勢の人が桜と演目を見に訪れるんだそうです。

● 太閤秀吉の庭

それから三宝院に行きました。
入口で私はチケットを見せますが、、係の人と顔なじみのケイゾーさんは、パスを提示するものの、ほぼ顔パス。
ここもじっくりと説明をしてもらいます。
秀吉が作った庭を眺めながら「上醍醐の登山を終えた後はいつも汗だくなので、ここの庭園に寄って涼んでいくんや」とのこと。
太閤殿下の庭をそんな風に利用している人がいるとは。



先ほど一人で訪れた五重の塔の前で、写真を撮ってもらいました。
「この塔、すてきですね。中が見たいなあ」と言ったら、「見られるよ」。
醍醐天皇の月命日である毎月29日に扉が開いて中が見られるそうです。
「2月は28日ね」。本当にミスター醍醐寺と言っていいくらい、何でも知っています。

● また驚かれる

霊宝館の所蔵品を鑑賞して、共通鑑賞券を使い切りました。
「いろいろなことを教えて下さって、ありがとうございます」とお礼を言いながら、出口へ向かいます。
「これからどうやって帰るの?」「バスで六地蔵駅まで」
「バス?じゃあ六地蔵まで送るわ」
「そこまでご迷惑になるわけにはいきません」と遠慮しましたが、「引退の身で暇だから、逆に時間をつぶさせてほしいんや」と言われて、車に乗せてもらうことになりました。

● 八幡浜ばなし

たっぷりガイドはしてもらったものの、お互いのことはあまり話していません。
私が横浜から来たと話すと、「ええっ!?」と驚かれました。
「いつも一人で旅行しとるの?」
「いえ、今回は西国を巡っているからです。ほかにいないから」
「息子が神奈川の、ええっと、海老名で働いとるなあ」
「海老名と横浜は近いですよ。電車で30分くらい」
「向こうの方がええって言っとるなあ」
「そ、そうですか」
京都の醍醐の辺りは、落ち着いていてとってもいい環境だと思いますけれどね~。

ケイゾーさんは、京都ではなく愛媛の出身でした。
八幡浜と聞いて「行ったことありますよ」と言うと「ほんま?」と喜ばれます。
「佐田岬からフェリーで九州に渡ったときに通りました」
「フェリーなあ。京都は好きやけど、今でもあっちの海が懐かしくなるな」

● 昼の将軍塚

乗せてもらった車は、風格のある日産ローレル。
呉服屋の社長時代、日本中を車で周っており、もう36万キロくらい走っているそう。

初めは「大丈夫。六地蔵はちょっとばかり家から遠くなるだけやから」
と言っていましたが「横浜からはるばる来たんなら、京都で観光せえへんのはもったいないわ。ちょっと車で市内観光に連れ出したる」という流れになりました。
「将軍塚っていう、車でしか行けない場所があるんや」

遠慮しましたが「自分も最近行ってないからな」と、気を遣ってもらいます。
さすがは元呉服屋の社長、品よく押しが強い。
私も、このタイミングでなければ「次の予定があるので」と言ってダッシュするところですが、この日はほかに用事もなく、参拝後はどう過ごそうかと思っていたところ。
「地元の隠居の案内や。まあつきあってや」と言われて、ありがたく連れて行ってもらうことにしました。
将軍塚には、前に行ったことがあります。
でもそれを、ケイゾーさんには言いません。
お互いに気を遣う、これが京都のお付き合い?



車専用のカーブを抜けて、丘の上に着きました。
「夜ならきれいなんやけどなあ」とケイゾーさんは残念そうですが、いい見晴らしです。

● 市内観光ドライブ

丘を降りてからも、大回りをして、平安神宮の辺りや四条通り、八坂神社前を通って、京都市内を見せてくれました。
それにしても、想像を遥かに超える人混みです。
祇園祭りと重なるため、京都市内には足を踏み入れないようにしようと思っていましたが、旅の最後にまさかのメインストリート・ドライブ。
どの道を見ても、本当に混雑しています。
それでも、生き生きとした喧噪の京都を知ることができました。



三条大橋を渡った時に、鴨川の夏の名物、川床が見えました。
ただほんの一瞬のことで、撮影はできずじまい。



ケイゾーさんは、祇園の通りに入ろうとしましたが、あまりの人の多さに、細道に車を入るのを断念しました。



● 祗園祭と八坂神社

車は少しずつ祗園祭の中心地、八坂神社に近づいて行きます。
「ここはさすがに車を止められないし、一瞬だけやから、よう見てな!」と言われて「ハイッ」とカメラを構える私。
あいにくバスが横に並びましたが、そのすき間から、ぎっしりと並んだ人垣が見えました。
ああ、ドラマチックな祇園祭が今夜も始まるのね~。



白い祭り衣裳に身を包んだ人々が通っていきます。
山鉾を曳く人々でしょうか。



お巡りさんも続々と歩いていきます。
すごい数。いろいろな場所から援軍としてやってきたのでしょう。
歩きながら、笑顔も見えて、結構和やかです。



京都はいつも紅葉の季節に訪れるので、混んでいるのは仕方がないと思っていましたが、夏の祭りの時期もとても混雑しています。

● 伏見城のいま

車窓から、遠くに伏見城が見えました。
「あ、伏見城」と言うと、「最近はどうなってるんだっけ?よし、見に行こう」と近くまで行ってくれました。



アクセスが困難な場所にあります。かつてテーマパークだった伏見城周辺は、今では運動公園に変わっていました。
葉っぱの陰になってちらちらとしか見えなかったものの、天守閣は植木の向こう、すぐ間近にありました。



京都市内のドライブのあと、最初に話した六地蔵駅で下ろしてもらいました。
「いつもヒマで、山にばっかり登っているから、今度来るときにを電話くれれば、またドライブに連れて行ってあげる。今度は夜の将軍塚も」と言ってもらいました。
いろいろご親切に、どうもありがとうございます~。

● 突然の嵐

六地蔵から宇治まではJRで一本。
車の中で、なんだか雨雲が気になりますねと話していたら、いよいよ暗くなってきました。ゴロゴロという音も不気味に響きます。
宿に戻ると、じきに雷と大粒の土砂降りになりましたが、ぎりぎりセーフで濡れずに済みました。
預けていた荷物を受け取り、そこから帰途につきました。

怪我をした翌日はひどかったのですが。指の腫れが引いてきました。
ただ腰はまだ痛み、赤くなっているので、青たんになりそう。

夕方、宇治に着いたらなんだか雲行きが怪しくなり、ゴロゴロと音がしています。
これは嵐が来る予感。
いそいで宿に戻ると、すぐに容赦ない大雨が降ってきました。
ザーーーッ!!
雷は近くに落ちており、結構怖いです。

朝のうちにすでにチェックアウトは済ませており、荷物を取りに戻っただけでしたが、大雨で身動きが取れなくなり、しばし宿で雨宿り。
今回の宇治の宿は何度も利用しているため、スタッフ兼長期滞在者のゆうこさんという女性とはもはや顔なじみ。
彼女は離れたところにいましたが、私のところまで来て、声をかけてくれました。
「すごい嵐だけど、大丈夫?こわくない?」
雷が間近で落ちる音で、実はかなり怖い思いをしていたので、親切に気にかけてもらえて、ほっとしました。

雷がやみ、雨も収まってきたので、宿を出て京都駅に向かいます。
宇治駅に着くと、電光板が暗く落ちていました。
(まさか、もう終電が出ちゃったの?)

青くなりましたが、停電のためだと判明。
そういえば、さきほどゆうこさんが「京都市内は停電になっているんですって。気をつけてね」と教えてくれました。
ということは、真っ暗闇の祇園祭?
いえ、みんなテンションが上がっていて、停電もものともせずにお祭りに集中していることでしょう。
巡礼中に大雨に降られなかったのが、不幸中の幸いです。
無事に電車がやってきて、京都から新幹線で帰宅しました。



この日のルートは、こんな感じです。
ほとんど電車や車で移動しました。

● epilogue

今回の旅の行程表から、楽しい観光ではなくタフな修行になると、あらかじめ覚悟していました。
実際、想像を超えるハードさに苦しみましたが、1日目はオレンジバスのおじさん、2日目はユゲ夫妻、3日目はユゲさん、4日目はケイゾーさんと、毎日親切な地元の方に出会って、いろいろとよくしていただきました。
みんな「遠くから」「女性が」「一人で」「西国巡礼に」やってきたということに驚いて、エールを送ってくれます。
その優しさに、身体のキツさが癒される思いでした。
旅でのふれあいって、ありがたいものですね。

今回の旅で、西国札所を9つ巡り、残すところあと4寺となりました。
百観音では、92/100札所。
まだ難所のお寺は残っていますが、少しずつ、ゴールが見えてきたような気がします。





最新の画像もっと見る

post a comment