こころ

私は欲のかたまりで、覚悟なんて持っていなかったと胸を張る

私はこれまで、覚悟があれば人は何をしてもいいよね。と思っていました。

つまりスポーツハンティングなんていう、非道に思えるような事も「何を言われてもいい!俺はやるぜ!」という覚悟を決めるならば、「それはまあ、はい、ご自由に」としか言えませんね、と思っていたのです。

カトリック教会の矛盾とか。祈る暇があれば自分の頭と手足をつかおう

しかし先日の友達との飲みの席で、もっと単純に、全ては「欲」に規定されるという事で良いのじゃないかという思いを得ました。

やや過激な話になってしまいそうで申し訳ないのですが。

法律を破ることも守ることも欲

例えば法律を破る人がいるとします。その人はとても欲に忠実な人です。

その逆に、法律を守る人がいます。その人もまた、とても欲に忠実な人です。

ここで結論からのべるならば、人間という存在は文字通り、欲のかたまりなのだろうと。まったく悪い意味ではなく、です。

法律を破る人は、法律を破りたいと欲し、その欲に忠実に法律を破ります。

法律を破らない人は、法律を破る事によって自由が制限されてしまう事を嫌い、自由で居たいという欲に忠実である為に法律を守ります。

自分の置かれた立場、趣味嗜好の上で、何が得なのか、どちらが有利なのかを考え、すべての行動はその結果として現れるのではないかなと。その考えが正しいのか正しくないとかはまた別問題です。

人は原理的に、気持ちが楽になることしか出来ない

結局、何が言いたいのかというと、人は皆、欲したことを行い、手に入れた結果としてそこに存在しているという事であり、逆に言うと人は自分の欲しない事を決して出来ない、手に入れられないという原理があるのだろうという事です。

たとえば私が誰かから銃口を突きつけられている状況だとしても、絶対にやりたくないことを強要されれば、その場から動かないという選択をします。

意識することができない、体の自由を完全に奪われている等の例外を除けば、死ぬほどやりたくないということは出来ません。

逆にもっと能動的に、私が何かしらのリスキーな行動をとったとして、それを「覚悟を決めて実行する」なんて言ってみたとしても、それは私の脳がリスクとリターンを天秤にかけた結果、退くも攻めるも、したいと思ったからやってるだけという事で、それを「覚悟」なんていう言葉で飾っているに過ぎないなと。

そして思うのです。つまるところ、人は誰かの為に頑張るなんて事は出来ないのだな、と。

突き詰めるところ、全ては自分の為に。

この部分を曖昧にしていたり、誤魔化して生きていると、自分を見失い、傷つけてしまうと思いますし、ひいては周りの人の心を傷つけてしまうことになるのではないかなと思ったりします。

誰かに助言を与える人がいます。それは突き詰めると、その人が気持ちよくなる為に言っています。助言を与える対象の人に、より良くなって欲しいという欲です。

誰かの為に何かをしてあげようという人がいます。それは突き詰めると、その人はそれをする事で、有形無形に関わらず得るものがあると感じるからやっています。

この部分をまず受け容れる事は、その上で何が出来るかという事を考える上で非常に重要だと思います。

自分の欲を肯定した上で、他人との共存を求める

いずれにしても人はそれぞれ、自分の欲に忠実に生きている(生きる他ない)し、そこに欲がない限り、何もする事ができないのだなと。であるならば、欲とはなんと素晴らしいものかと。生命の源泉とも言えるものです。

この論が正しければ、優しさも、親切心も、情愛も、すべては欲から生まれるのです。

「欲」という言葉に対して何か不潔だったり、汚らわしいようなイメージのある方もいらっしゃると思いますが、それはかつて誰かの思惑によって植え付けられたのではないのでしょうか。

人々が欲を持つことを良しとしない誰かが、「無欲であれ」なんて言う矛盾を、さも高尚に語り始めたのではないかなと。

しかしそれこそ、欲をなくして生きるという、人間が人間である以上、手の届くはずのない次元を欲する大きな欲です。

世の中に禁欲主義などは存在せず、ただそこには人間の「こういう風に生きたい」という願いがあるだけなのだろうと今は思います。

だからまずは自分は一体どうなりたいのか、自分自身の心をよく観察する事が大切なのだろうなと。

人は結局的にそこを求めて生きるように出来ているのであれば、そこは必ず最初に押さえておくべき部分で、そのために何が出来るのかというところで筋道を立てていく事が最も重要だなと思うのです。

どんなに素晴らしい道だとしても、目的を間違っていてはよく分からないところにたどり着いてしまいます。

人が何かを学び、知恵を得るべき理由は、自分の欲と周りの人の欲の交わる点を探るため、というのは学びの一つの本質ではないでしょうか。

皆好きなように生きているのにも関わらず、社会を築き、助け合って生きていける人間は素晴らしい。これこそ奇跡と呼ぶにふさわしいなあと、私は思います。

ヒストリエ10巻が面白すぎてはやく続きが読みたい…。
現代最高の漫画の一つだと思います。

ではでは!

 

この記事が気に入ったらいいね!しよう
🍀

更新情報をお届けします

関連記事

  1. 日記

    懐かしさのかおり

    道をあるいているときなんかにふと、どこからともなく薫る香りがとても懐か…

  2. レビュー

    自分の記憶を外部に持つという発想。日記のすゝめ。

    いいなと思った事はとりあえずやってみようと思っていて、日記をはじめまし…

  3. 日記

    僕の隣のおばあさんが顔を赤らめた時に起こった事

    最近、髪が伸びたのでいきつけの美容室に行ってきました。店内はとてもい…

  4. 日記

    ヴィファーレン長崎を応援しよう!と突然テレビから言われる違和感

    ちょっと前に店でラーメンを食べていたときの事。視界の端っこの方…

  5. 日記

    食事をしながら本を読むことについて。

    先日は昼過ぎに仕事を終えて、九州に住んでいる人であれば知る人ぞ知るファ…

  6. こころ

    原爆投下、そして終戦から75年。今日も愛ゆえに人は

    あるところに一人の男が住んでいました。男は男の住む村の長で、村…

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

最近の記事

スポンサーリンク

  1. Linux

    僕がWindowsではなく、Linuxを使う3つの理由
  2. 歴史的な大雪を観測した佐世保を散歩してきた写真
  3. 日記

    なぜ自分が知識を得る事を好むのかという事について考えたこと
  4. 写真

    SIGMA 12-24mm F4.5-5.6 II DG HSMを購入したので写…
  5. 日記

    ルールは人を守ったり、ダメにしたりする
PAGE TOP