古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

「弓食」(万2638)をユヅルと訓む理由と、「ツクユミ」(記88、紀28)は後付け金属弓弭のついた弓のことであるとする説

2018年05月17日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 巻十一の「寄物陳思」歌に、次のような歌がある。

 梓弓末之腹野尓鷹田為君之弓食之将絶跡念甕屋
 梓弓 末(すゑ)の腹野(はらの)に 鳥狩(とがり)する 君が弓弦(ゆづる)の 絶えむと念(おも)へや(2638)

 「弓食」と書いてユヅル(弓弦)と訓む理由は不詳とされている。時代別国語大辞典上代編に、「「弓食」は文脈からユヅルの意と思われるが、「食」をツルと訓む理由は不明。「弦(ツル)」「葛(ツラ)」の誤りなどともいう。」(783頁)とある。諸解説書にほぼ皆わからないとする(注1)。万葉集の難訓については、それぞれに果敢なチャレンジが行われ、平安時代からの成果によって、今日大部分の歌が訓めるようになっている。
 「食」字は、文字どおり食べることである。食べ物は食べるとなくなる。食べなくても腐ったりカビが生えたりして食べられなくなる。もちろん料理して食べる。料理に仕立てたとき、食べ物はたくさん食卓にあるが、食べてしまったらなくなる。どうしてお腹は減るのであろうか。歌に「腹野」という場所が定められているから、そういう疑問が浮かんでいる。食べたらなくなり、また狩りをして獲ってきても食べたらなくなる。その繰り返しが行われている。それが「食」である。食べたら尽きるのである。同音のツキ(キは乙類)が moon の月である。弓張月というように、弓を張った形は月に見える。つまり、「弓食」の字義は、弓の消耗品のことである。弓の消耗品とは、弓弦である。切れてはつけかえる。戦に出向く時など、弓弦を入れた弦袋や巻いた弦巻を、大刀などとともに腰に佩いて行く。消耗品だから準備しておいた。
弦袋と鞆(埴輪、盛装男子像、群馬県太田市由良四ツ塚古墳出土、古墳時代、6世紀、東博展示品)
弦袋と弦巻(男衾三郎絵詞、東京国立博物館研究情報アーカイブズ、http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0022413をトリミング)
 弓弦というものは、伸びている弓(むしろ反対側へ少し反っている弓)を強くしならせて弓の両端の弭にかけ渡す。そのように弓に弦を装着することは、ハク(着・著)という。きちんとあるべきところへ身に着けることがハクに当たるようである。

 陸奥(みちのく)の 安太多良(あだたら)真弓 弾き置きて 反らしめ来(き)なば 弦(つら)着(は)かめかも(万3437)
 梓弓 弦緒(つるを)取り着け 引く人は 後の心を 知る人そ引く(万99)
 陸奥(みちのく)の 安太多良真弓 弦着けて 引かばかの人 吾(わ)を言(こと)成さむ(万1329)

 四段活用に対して、下二段活用は使役的であるとされている。同じハクという語には、口から嘔吐することをいうハク(吐)がある。

 時に神、毒気(あしきいき)を吐(は)きて、人物(ひと)咸(ことごとく)に瘁(を)えぬ。(神武前紀戊午年六月)
 汝(いまし)屢(しばしば)毒(あしきいき)を吐きて、路人(みちゆくひと)を苦(くるし)びしむ。(仁徳記六十七年是歳)
 子麻呂(こまろ)等、水を以て送飯(いひす)く。恐(おそ)りて反吐(たまひいだ)す。(皇極紀四年六月)

 反吐(へど)を衝くことで、和名抄に、「欧吐 病源論に云はく、胃の気の逆ふを則ち欧吐〈上於后反、字亦嘔に作る。都久(つく)、又太万比(たまひ)〉といふ。」とある。ツクには、ツク(給)という語もある。供給することである。

 封畿之内(うちつくに)すら、尚(なほ)給(つ)かざる者(こと)有り。(仁徳紀四年二月)
 ……別殿(ことどの)を浄め掃(はら)へて、新(にひ)しき蓐(ねどこ)を高く舗(し)きて、具(つぶさ)に給がずといふこと靡(な)からしめたまふ。(皇極紀三年正月)
 因りて郡内(こほりうち)の百姓(おほみたから)に給(つき)復(ゆる)したまふこと一年(ひととせ)。(天武紀六年十一月)

 和名抄には、また、嘔吐にタマヒという訓が載っている。タマヒとは、タマフこと、「賜」や「給」という字で表わされる。上位者が下位者に与えることで、その行為について、与え手に対する話し手の敬意を表われとして言うときに用いる。お与えになる、おやりになる、の意で、補助動詞としても頻繁に用いられるようになる。タマフは音に揺らぎの多い語で、タウブ、タブ、タバルといった言い方も行われている。タブ(賜・給)という語の場合、お与えになることであるが、飲食物を指すことが多いとされる。

 古の 人の食(き)こせる 吉備の酒 病めば便(すべ)なし 貫簀(ぬきす)賜(たば)らむ(万554)
 鈴が音(ね)の 早馬駅家(うまや)の つつみ井の 水を給へな 妹が直手(ただて)よ(万3439)
 魂は 朝(あした)夕べに 給ふれど 吾(あ)が胸痛し 恋の繁きに(万3767)
 草枕 旅の翁(おきな)と 思ほして 針そ給へる 縫はむ物もが(万4128)
 衛門府(ゆけひのつかさ)を一所(ひとところ)に召し聚(あつ)めて、将に禄(もの)給はむとす。(皇極紀四年六月、岩崎本訓)
 あかねさす 昼は田給(た)びて ぬばたまの 夜の暇(いとま)に 摘める芹子(せり)これ(万4455)

 何のことだか混乱してくるかもしれない。弓弦というものは、着(は)くものと思ったら吐(は)くものだと言い返された。確かに食べ物は時折吐いてしまう。吐くことは反吐を衝(つ)くことだと思ったら、供給することが給(つ)くことだと返された。確かに食べ物はいつでも供給されるようにして手立てをしておかなくてはならない。特に都に住んでいる消費者にとっては死活問題である。嘔吐は「給(たま)ひ」ともいうが、「給ふ」という語は、タブなどとも言って、飲食物を与えることを言っている。だからタベモノというのであろう。食べ物は口に入れるものだが、逆に出してしまうことがあるものである。弓が銜えて食べてしまったり時に吐いてしまうかのように思えるものは、弓弦のことであるとわかる。消耗品で、控えの儲弦(うさゆづる)が必ず用意されている。必ず次の弓弦にその座を譲るように前もって決められている。食卓に並ぶ食べ物は、次の時には倉から出して新しいものが出てくるのである。手の込んだ義訓として、「弓食」はユヅル(弓弦)の意であるとわかる。
 記紀の歌謡にツクユミという語がある。

 …… 都久由美(つくゆみ)の 臥(こや)る臥りも 梓弓 立てり立てりも ……(允恭記、記88)
 彼方(をちかた)の あらら松原 松原に 渡り行(ゆ)きて 菟区喩瀰(つくゆみ)に まり矢を副(たぐ)へ 貴人(うまひと)は 貴人どちや 親友(いとこ)はも 親友どち いざ闘はな 我は たまきはる 内の朝臣(あそ)が 腹内(はらぬち)は 小石(いさご)あれや いざ闘はな 我は(神功紀元年三月、紀28)

 釈日本紀に、「菟區喩瀰珥、槻弓也、久与伎五音通。」とあり、一般に、ツキユミ(槻弓)と同じもので音転とされている(注2)。槻製の弓の意であるとするのである。しかし、その証拠はなく、後に、弓の材料を呼んだとは考えられない呼称のツクという語が出てくる。

 ……二所(ふたところ)籐(どう)の弓の、銀(しろがね)の𥫠(つく)打つたるを十文字に拳(にぎ)つて、……(太平記・巻十二・大塔宮信貴より入洛の事)
 ……跡(あと)に立ちたる相馬(さうま)[四郎左衛門]も、銀の𥫠打つたる弓の反高なるを押し張りて、金磁頭(かなじんどう)二つ箆撓(のため)に取り添へて、道々ためなほし爪(つま)よりて、一村(ひとむら)茂る松の陰に、人交ぜもせずただ二人、弓杖(ゆんづゑ)突いてぞ立ちたりける。(太平記・巻十七・尊氏山門攻めの事)
 ……銀にて𥫠打つたる弓の反高なるを帆柱に当てて、きりきりと推し張り、艫先(へさき)に立ち露(あらは)れて、弓弦(ゆんづる)食(く)ひ湿(しめ)したる有様、誠に射つべうぞ見えたりける。(太平記・巻十六・本間孫四郎鵈(みさご)を射る事)
 上下の弭(ツク)に角入たる、滋藤の弓をぞ持たりける。(源平盛衰記・一一一一・浄憲、入道と問答の事)

 そのツク(釻・銑・弭・柄)という語にはいくつかの説があり、弓の握り部分に釘を打ったものとも、弓の両端の弦を掛ける弭のこととも言われている。弓の握り部分に矢を当てる仕掛けにして釘を打っているとの考えは、伊勢貞丈・貞丈雑記・巻之十(弓矢之部)に示されている。

一、つく弓の事。弓に矢をつかふ時、矢の当る所に打釘を打てそれに矢をかけて射るに、矢こぼれせぬ為にしたる物也。太平記の中にもこゝかしこに有。軍中急用の為也。小笠原家八張弓の内、つく弓あり。福蔵弓と名付て軍陣に用べき弓也といへり。保元物語に鎮西八郎為朝五人張の弓、七尺五寸にて釚(ツク)うつたるとあり〈此釚は銀とも鉄ともなし〉。又太平記に大塔宮二所籐の弓、銀の釚打たるを十文字に振り給ふ。又同記に銀の釚打たる弓の普通の弓四五人はり合せたるほどなるを左の肩にかけ、○又同書に、銀のつく打たる弓のそり高なるを帆柱(ホバシラ)にあてゝきりきりとおしはりとあり。以上皆打釘を打たるを云也。又一説に弓の弭(ハズ)の事をつくとも云也。源平盛衰記に上下の弭(ツク)に角入れたる重籐の弓持たりけるとあるは、うらはず本はずを象牙(ゾウゲ)などにてこしらえたるを云也。是は打釘の事にはあらず、弭(ハズ)の事也〈弭ノ字ツクト仮名ヲ付テアルハ非ナリ〉。或人の説に太平記に銀のつくとあるは、公家方にて近衛の官人の持つ弓の如く、銀を以てうらはず本はずをはりたる也といへり。此説非なり。銀の釚打たると云、打の字に心を付てみるべし。打と云詞にて、打釘の事を知べし。又弭(ハズ)の事を釚(ツク)といふ事、古書に曾て見ざる事也〈印板の盛衰記に上下の弭と云。弭ノ字ニツクとかなを付たるは大に非也〉。銀の釚うちたるとあるからは打釘うつ事まぎれなし〈光大曰、此説いかゝ追て可注〉。
【頭書】つくを打事は丸木弓に打也。木竹合せたる弓のよはりに成る也。○盛衰記巻十一静憲与入道問答ノ條ニ、上下ノ弭二角入タル重籐人弓持タリケルトアリ。弭ノ字ニツクトカナヲ付タルハ誤ナルベシ。弭ノ字ハズトヨム字ナリ。板本ノ盛衰記ニカナヲ付タルハ後人ノ所為也。仮名ノ付違アヤマリ多シ。用ユルニ足ラズ。(国会図書館デジタルコレクション、http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771948/26?viewMode=(32/56)、漢字の旧字体は改め、適宜句読点を付した。)

 伊勢貞丈の説は、近世の俗説と見る向きも多い。その論拠は不明である。筆者は、弓を製作することを「弓を打つ」と呼んでいる点に解決の糸口をみる。伝統的な竹弓は基本的に三層構造をしており、中打ちを芯材に、内竹、外竹で前後から挟み合わせた形となっている。弓に関して「打つ」という言葉が出てくれば、釘を打つことではなくて、材料を合わせて弓を作ることをいう。和弓独特のうねうねした反りを出すために、接着剤を塗って内竹、中打ち、外竹をそれぞれ重ね、紐でぐるぐる巻きにしたあと、紐と竹の間に竹製の楔をたくさん打ち込み、材料を圧着させつつ撓ませて固定させている。
ryuzoudou様「弓を打つ.wmv」(https://www.youtube.com/watch?v=GwjenuvbEuU)
 よって、太平記に出てくる「𥫠(つく)」は弓弭のことである。武具訓蒙図彙に本弭に「月(菟)」、末弭に「月(烏)」とあるのは、ともにツクと訓むのであろう。末弭から少し中央寄りの反り返りの部分に「ヒメツク」と記されている。そう考えないと、太平記巻十六の「𥫠打つたるを帆柱に当てて、きりきりと推し張り」とある箇所、弓の先の弭のところを帆柱に当てて弓全体を押し曲げて弦を掛け張ることの表現に当たらなくなる。
弓の名所(湯浅得之『武具訓蒙図彙 巻三』貞享元年(1684)、新日本古典籍総合データベースhttps://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/200018265/viewer/93をトリミング)
弓弦の張り替え(法然上人行状絵図、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966899/68をトリミング)
 貞丈雑記にある保元物語の例は、いまふつうに見る本に、「……弓は八尺五寸、長持(ながもち)の朸(あふこ)にも過ぎたり。」(上・新院御所各門々固めの事付けたり軍評定の事)とある。朸とは、長持や駕籠、畚などを担う担い棒である。それを1人で中央をかついだり頭に載せたりして、その両端に荷物を突き刺したり、荷の縄を掛けたりすることもあった。釣り合いをとるところが天秤ばかりに似ているので、しばしば天秤棒と呼ばれている。荷縄を引っ掛けてずれないように、ダボ状の杭が突き出しているものがある。そこへ吊るすわけだから、弓で言えば弦をかける弭に当たる。その部分のことを、ツクということがあった。担い棒は荷物を掛けると弓のように撓う。拡張表現としてかなっている。

 竹の朸(あふご)五十、節(ふし)を突いて、弓五十張(ちやう)入れて持たせけり。(平治物語・上・六波羅より紀州へ早馬を立てらるる事)

 竹の担い棒の節を突き貫いておいて、その空洞の筒の中に弓を入れて隠し持っていたということである。荷物を両端にぶら下げておけば、誰も弓を持っているとは怪しまない。それは言葉の上からも、外側もツクのあるものだから、内にもツクのあるものが入っているのだという洒落になっている。
 翻って、記88・紀28歌謡について見てみると、「ツクユミの 臥(こや)る臥りも 梓弓 立てり立てりも ……」(記88)、「彼方(をちかた)の あらら松原 松原に 渡り行きて ツクユミに まり矢を副(たぐ)へ 貴人(うまひと)は 貴人どちや 親友(いとこ)どち 親友どち いざ闘はな ……」(紀28)というように、ツクユミという言葉の前後において、言葉が繰り返される傾向にあることがわかる。なぜ繰り返されるのか。ツクユミが、上下の両サイドにツク(釻・銑・弭・柄)を持っているからである。言葉がその言葉の語義を定めるように用いられている。無文字文化においては、言葉の定義は音声によってしか行われないのだから、言葉を発しつつその言葉を説明していかなくてはならない。ツクユミに関してそれが行われている現場が、記88・紀28歌謡の上ということになる。
 ツクユミは弓の素材がツキ(槻)でできている弓の謂いではなく、ユハズ(弭)のことをツク(釻・銑・弭・柄)と特に呼んでいる弓のことである。ハズ・ユハズではなく、わざわざツクと別に呼んでいる。特別に強くするために金属製のソケットとして拵えてある弓弭が考えられる。太平記に「銀の𥫠」とあった。
金銅製弓弭(左は鑿、横須賀市かろうと山古墳出土、古墳時代、5世紀、横須賀市自然・人文博物館HP、http://www.museum.yokosuka.kanagawa.jp/archives/document/5842)
 以上、万葉集の「弓食」という表記と記紀歌謡のツクユミという語について考えた。

(注1)鹿持雅澄・萬葉集古義に、「一説に、食ハ、人良の二字を誤れるなるべし、人はの仮字なりといへり、東人をアヅマヅ、蔵人をクラウヅなどと云しことも物に見え、……但集中の頃、人をと云しことありしか、おぼつかなし、」(国会図書館デジタルコレクション、http://dl.ndl.go.jp//info:ndlip/pid/874243(15/63))とある。土屋文明『萬葉集私注 六』筑摩書房、昭和44年に、「「食」は「弮」の誤であらう。弦の意である。」(224頁)とある。佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『新日本古典文学大系本3 萬葉集三』(岩波書店、2002年)に、「「弦」の字を「弓」と「玄」と二字で表記した所から、「玄」を「食」に誤ったか。」(72頁)とある。伊丹末雄『万葉集難訓考 第三』に、「たとえば大漢和辞典を繙くと、「食」字の項に左の如き部分がある。日月の蝕。蝕(中略)に通ず。〔釈名・釈天〕日月虧曰食、……こうして「日月ノ虧(か)クルコト」が「食」なのであるから、「弓食」で日月―特に月―の「弦」を表わすつもりなのではあるまいか。そうすれば、「弓食」二字をそのままユズルと訓めることになるわけである、と。」(50~51頁)とある。神道宗紀「万葉集「末之腹野尓鷹田為」考―巻十一・二六三八番歌の解釈をめぐって―」『帝塚山学院大学研究論集〔文学部〕』第四十一集、平成18年に、「名義抄に「食…モチヰル」とあるので、……「弓」は「弓」のことで、義訓としてユヅルと訓んだと考えておきたい。」(26頁)とある。
(注2)鈴木敬三『武器と武具の有識故実』吉川弘文館、2014年。

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