ホテルの窓から正面に見える筈の測量山も、灰色の靄の中にある。
午後にかけて青空も覗くようなので、朝はゆっくりと、9時出発にした。
10月の三連休、最終日である。
ここに来るまでに、秋の深まる美瑛で友人と二日間のライドを楽しみ、前日の深夜に東室蘭に着いた。
本当は、このような計画ではなかった。
・初日、早朝便で旭川空港へ飛び、札幌から来る友人と美瑛で落ち合い、十勝岳へヒルクライム。その晩は旭川で一献傾ける。
・翌朝、友人と別れ、午前中に東室蘭へJRで移動。午後、東室蘭から「週末北海道一周ライド」を再開し、その日は伊達紋別まで。時間はたっぷりあるだろうから、有珠山や昭和新山を眺めながら、その足で洞爺湖一周。夜は「北の湘南」伊達紋別のいい店を探して、地元の食材を堪能。
・3日目は、道南の険路・礼文華峠を越えて、噴火湾沿いを行けるところまで。願わくば森あたりまで走れると、次の旅程が組みやすい。
ところが、初日の天気予報は「晴れのち雨 降水確率70%」。山の上で雪に降られたらシャレにならぬ。加えて、週初めに風邪をひき、何とか熱は当日までに下がったものの、ドロドロした鼻水と咳が止まらない。
このため、予定を変更し、初日は美瑛をのんびりポタリング。山は雲の中だったが、天気は1日持ってくれて、秋の美瑛を愉しむには最高であった。夜は旭川のB級グルメ「馬場ホルモン」を堪能し、満足度の高い1日であった。
2日目は晴天の報を信じて、十勝岳の望岳台へ。しかし、午後から雲が広がり、冠雪した十勝岳の頂稜は拝めず、寒々しいばかりの1日ではあった。
そして、旭川を20時の特急で発ち、札幌で友人と別れ、深夜近くに東室蘭のビジネスホテルにチェックインした次第である。
二日間のライドで血液の循環が回復したのか、風邪の具合はだいぶ良くなっていた。しかし、まだ鼻にセレブなティッシュが手放せない。
まず、前回の中断地点である東室蘭駅の東口へ走る。轍を繋げとかないと、何か気持ち悪いので。
そして陸橋を越え、国道37号線を走り出す。大型トラック、バスが、高速で走り抜ける産業道路である。
左に室蘭を代表する景観とも言える工場群が過ぎていく。室蘭は、最近のインスタ流行りで、工場夜景の街として注目されている。
ところが、夜景の象徴的な存在とも言えるJXTGエネルギーの製油所が、ガソリンや石化製品の製造から撤退し、燃料配送基地に転換するとの発表が、先月末にあった。JXTGと取引のある地元企業の打撃はもちろん、小売、サービス業、さらには市の税収など、その影響は甚大であろう。
ガソリン車からエコカーという変化によって、かつて炭鉱町で起きたことが今度は重工業都市で起こる時代になった。
白鳥大橋の下をくぐると、間もなくそのJXTGエネルギーの敷地を横目に走るようになる。無数のライムグリーンの貯油タンクが曇天の下に並んでいる。
その先でようやく、国道を外れ、ほっとする。
海が近くなり、辺りは生臭くなった。
楢崎製作所の工場を過ぎると、道は波打ち際に出る。ここから振り返ると電波塔などがいくつも立つ測量山が見えるのだが、今日は低く垂れ込めた雲を背に、ぼんやりとしている。
やがて、黄金駅に到着。アイヌ語で「オ・コンブ・ウシ・ぺ」、昆布を取るところ から、オ・コン→オウゴン→コガネ と変化したという。その名のような隆盛は感じられない静かな海辺の集落の中に、無人駅がある。
ここでは先月、線路が海水を被った影響で列車がオーバーランし、下車できなかった乗客は隣の駅からタクシーで送り届けられる、というハプニングがあった。濡れたレールが滑りやすいのはわかるけど、レールは雨でも雪でも濡れるわけで、そんな簡単に止まらなくなるものなのか、と思う。
少し国道を走り、また道道に入る。一昨年の6月、札幌から中山峠を越えて洞爺湖を経由して伊達紋別に至り、室蘭まで最後の道程を、この道を経由して走った。向かい風が厳しかったけれど、初夏の花々が路傍を彩り、噴火湾の対岸には朧げながら渡島駒ケ岳の双耳の輪郭が臨まれ、交通量の少ない静かな道を、それなりに快適に走ったことを記憶している。
残念なことに、今日は海霧に包まれて噴火湾を取り囲む山々の眺望は開けず、路傍の花々もとうに盛りを過ぎて、濡れたドライフラワーのような惨めな様相だ。
都会からの移住者の多い土地、という先入観のせいかもしれないが、伊達紋別の市街地に近づくに連れ、瀟洒な一戸建てが散見されるようになってきた。欧州の片田舎の家のように、鎧ばりの外壁を綺麗に塗装した平屋建て、外に薪を積み上げたログハウスなど、美瑛あたりで見かけるような佇まいだ。
伊達は、宮城の亘理藩が入植し開墾した土地である。対馬海流の影響で北海道の中では比較的温暖、積雪も殆どないことから、花卉・甜菜などの栽培や畜産などが発達した。イザベラ=バードはこの地域を「美しく豊かな穀物の海」と評し、「何もかもが日差しを浴びて輝き、申し分のないオアシスのようで、蝦夷が持つ大人口を支える食料庫としての力の大きさを示しています」と述べている。
背景に有珠山や洞爺湖などの景勝地も抱え、近年ではセカンド・ライフの移住地として人気という。
ただそれよりも、元乗り鉄としては、室蘭本線と廃線になった胆振線の接続駅だったことで馴染みがある。胆振線沿線の北湯沢温泉に、大学のセミナーハウスやら馴染みのユースホステルやらがあったため、伊達紋別では何回か乗り換えたことがある。
駅には馴染みがあっても町のことは全く知らない。少し周回してみても良かったけれど、結局、静かな中心市街地を一直線に通り過ぎた。パッとしない天気と風邪気味のせいで、気持ちが投げやりになっているのである。
火力発電所を横目に、農地の中の砂利道に迷い込み、再び国道36号線に出て間もなく、断崖の高巻きがあった。
全くもって迂闊なことに、伊達紋別から先の本日の行程上、礼文華峠への登り口にあたる豊浦までは、ゆったりした起伏こそあれ平坦基調のルートだと思い込んでいた。しかし、改めてgoogle earthなどで確認してみると、伊達紋別~洞爺間は有珠山の主稜の一つが海に落ち込んでおり、洞爺~豊浦間は三角山という洞爺カルデラの外輪山の一角らしき山が海に迫っている。
さらに豊浦から先も、険阻な海岸線を避けた内陸の山越えが二つあって、その先にようやく胆振と檜山を分ける礼文華峠が現れる、という次第なのだ。ここまでの北海道一周ルートの中では、高巻きと長大トンネルの連続する石狩~留萌間に並ぶ険路ではなかろうか。
体調万全、気力充実している時ならいざ知らず、大してハードな走りではなかったとはいえ2日間走った疲れはあり、風邪もひいており、陽光にも全く縁がなく、陰気な風景が広がるばかり。
こんなことなら、今日は道南に輪行で移動して、大沼や函館あたりの紅葉を楽しみながら走り、「週末北海道一周」ライドは次の機会に回せばよかった、とも思うが、こんなところまで来てその事実に気づいても既に手遅れである。
正午から午後3時くらいにかけては青空が覗く、という天気予報にかすかな希望を託して走るしかない。
この辺は雪が少なく排雪スペースがあまり必要とされないのか、路肩が狭い。路面はひび割れが多く、しかも背後からひっきりなしに車が来る。
その上、登り基調のトンネルまであり、緊張の連続である。ずっと前に走った親不知あたりを思い出す。
天気が良ければ、紺青の噴火湾や、湾をぐるりと取り囲む山々の眺望などをそれなりに楽しめるのだろうが、全ては靄の中にある。
直線的な坂を下り切ると有珠町。坂を下った勢いで、町内を一気に駆け抜ける。
ところが、速度とケイデンスを測定しているセンサーの調子が悪い。時折、断続的にBluetoothの信号が受信できなくなる現象は以前からあったが、一時的なものであり、すぐに回復していた。しかし、ここへ来て全く信号を受信できない状態が続くようになった。
センサーとマグネットの位置を調整してみるが、不安定な受信状態は変わらない。Bluetoothは切って、GPS測定だけに切り替える。ストレスが溜まるばかりだ。
有珠町をこんな風に通り過ぎてしまったのは、今になればもったいないとしか言いようがない。
ここには湖のような小さな入江があり、イザベラ=バードは「夢のように美しくて平穏なところ」と評している。また、蝦夷三官寺の一つ「蝦夷善光寺」もある。バードが有珠に逗留した夕暮れ時に、ここを訪問したことを記した静謐な一節は、心に沁み入った。
「日光が一筋大きく差し込んで畳敷きの床を横切り、金色の厨子に収まった釈迦像に当たりました。ちょうどその時、褪せた緑色の錦の衣装をつけた坊主頭の僧侶が日光の筋を無言で歩いてきて祭壇の蝋燭を灯し、新たな香が寺院の中を眠気を誘う芳香で満たしました…林を通っていくと、山腹に墓の群れが悲しみに沈んであり、お寺からは青銅の大釣鐘の甘美な響きと大太鼓の音、そしてそれに合わせてはるかな国の今は絶えた言語で休みなく繰り返す読経が聞こえてきました…私は有珠岳から最後のピンク色の輝きが消え、静かな水面から最後のレモン色の模様が消えるまで入江近くの岩に座っていました。森のある山にかかっていた美しい三日月が沈み、夜空には星々が輝いていました。」
ところが老化現象であろうか、そんな記述があったことは覚えていても、どの地域のことなのかは全く記憶になく、帰宅してから彼女の旅行記を読み返し、激しく後悔する羽目になった。
天気のせいとか、風邪のせいとか、色々あることはあるけれど、要は自分で自分の旅をつまらなくしてしまっている部分も否定できないのである。
(続く)