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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

「神津島の悲劇」   復刻しました

2018年07月12日 | ブログ版「時代屋小歌」

かつて存在した私のHP「時代屋小歌」の旅編の記事を復刻する別ブログ「時代屋小歌(旅編)」のほうで、このほど新たに1編の記事を復刻しました。

 

その記事は「神津島の悲劇」というものです。

 

こちら ↓

 http://blog.livedoor.jp/syunka16/archives/2344734.html

 

この内容は、当時の我々の「生物に関する無知」に起因するもので、今となっては恥ずかしく、愚かでもあり、なおかつ残酷な記憶でもあります。

 

だから、何十年も前のことなのに、今でもかなり強烈な記憶として覚えているのでしょう。

 

この記事を読んで下さる皆さん、どうか我々のマネなどしないで下さいね。

この記事がわずかでも教訓にでもなれば幸いです。

旅行自体は楽しかったのですが、この記事に書かれた記憶は若気の至りでありました。

 

犠牲になった生物にとっては、たまったものじゃなかったことでしょう。

 

 

私にとっては楽しい記憶と共に、こんな愚かな記憶も残っている神津島ですが、最近やたらと神津島が懐かしく感じられます。

当時毎年泊まっていた民宿は、もうとうにありません。

その頃入った店も、今ではもうなくなっているかもしれません。

当時の仲間も、近年ではめったに会うことはなく、中には行方不明の奴もいます。

私が今神津島に行っても、当時の神津島とは相当変わっていることでしょう。

でも、無性にまたいつか神津島に行ってみたい気持ちになっています。

 

前浜からはるかかなたの沖合に浮かんでいるのが見えた無人島「恩馳島」。

切り立った山が、いきなり海に落ち込んでいた多幸湾。

見晴らしのよかった天上山。

海底が透けて見え、素潜りに励んだ沢尻湾。

私らが泳いでいた時に、近くて水死体があがったという、長浜。

その他、思い出すことはいくつもあります。

私にとっては、神津島は十代の自分がいた島でした。

とても東京都とは思えない場所でした。

 

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (鮎川愛)
2018-07-16 03:46:50



「タコノマクラ」、最初、名前の意味が判りませんでした。


判りやすく漢字に直すと、「蛸の枕」ですね。


しかし、笑えました!

タコノマクラには無意味な拷問死でありましたが、「やがて、汚いゴミのようになってしまった」という、だんぞうさんの罪深いユーモアが笑えて笑えて!


それから、「タコノマクラ」というアホなネーミングのせいで、この事件も笑い話のように聞こえます(^-^;)

せめて、「汚いゴミのようになってしまった」タコノマクラ亡骸を、海に戻してやれば、彼らも成仏できたかもしれませんね(笑)
Unknown (だんぞう)
2018-07-16 10:49:42
神津島の岩場の海中には、たくさんいたんです。タコノマクラ。
簡単にとれました。

あれが金になるなら、地元の人がすでにそれをやってるはずなのに、、。

太陽光で干され、変色し、干からびた大量のタコノマクラを見て、
「おいおい、これ、一体どうするんだよー!」
と言い合ったのを覚えてます。
あの後、どうしたか、よく覚えてないんですが、たぶん、、、捨てるしかなかったんだろうなあ、、、。

そうですね、せめて海に戻してあげればよかったですね。

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