89.一瓶塚稲荷神社探検記(栃木県佐野市田沼町) | 常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

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「まつろわぬ」というキーワードから常陸国の歴史を見つめなおします。常陸国は東海道の東のはずれ、鹿児島から始まる中央構造線の終点です。
神社探検の動画はこちら
→ https://youtu.be/8gVu8qGihD8

今回の探検は引き続き栃木県の佐野市田沼町に鎮座する一瓶塚稲荷神社です。

近くには「どまんなかたぬま」という巨大な道の駅があります。栃木県の道の駅は一部分の古いものは除き非常に立派なものが多いです。

どまんなかたぬまは本州の重心のようで、そのために「どまんなか」と名付けたようです。

駐車場は屋根代わりに太陽光発電パネルが設置されていますし、敷地が広いので、循環の電気自動車が走っています。(これで移動するほど広くはないと思いますが、どこの地域でもお年寄りのお客が多いので導入したのでしょう。

われわれも神社探検で疲れたので乗りましたけど)


最近では、茨城県でも常陸大宮市、常陸太田市に、震災復興予算を使えという官僚指導の下、立派な道の駅がオープンしていますが、栃木はそのデラックス度においては先駆者ですね。


さて、アイロニーはその程度にして、神社です。

平成祭りデータの由緒を玄松子さんのHPより引用します。


一瓶塚稲荷神社 御由緒
文治二年(一一八六年)佐野荘司讃岐守成俊公は、唐沢城再興の際に、富士村の稲荷大明神を今の

地に遷し祀り、社領の地を寄進し、佐野荘百数十郷の総社として尊崇した。その折各地の人々は瓶に土をいれてこの地に運び塚を築いたので、塚を一瓶塚と呼び社を一瓶塚稲荷神社と称したと云う。

爾来武将庶民の信仰厚く、徳川五代将軍綱吉公は、館林尾曳城主の頃、毎月当社へ代参を遣わし崇

敬特に深かったと伝えられ、延亨三年(一七四六年)には佐野荘の人々によって、見事な銅製鳥居(文部省認定重要美術品)が奉納されている。又寛政十二年(一八○○年)に、日本神祇総官領白川伯資延王より、「佐野総社一瓶塚正一位稲荷神社」の親筆の額を奉献された。

当社の境内は社殿の前面が非常に狭かったので、後方に土を盛り一瓶塚を延長して社殿を移し、境内を整備する事が、多年の宿願であった。昭和四十年境内模様替奉賛会を結成して、氏子信仰者の御奉賛により、社殿を始め一瓶塚、鳥居、社務所、神庫、その他一切の建物、工作物を移轉、改修或は新設して、境内の模様を一新し、昭和四十八年この歴史的大事業を達成した。

祭神は、豊受姫大神、猿田彦大神、大宮能賣大神、久々能智大神、草野姫大神。


  



 稲荷社に多く看られる宝珠紋 宝珠(ほうじゅ)は豊受(ほうじゅ)の象徴でしょう。


 稲荷(豊受)なのに男千木 猿田彦が主祭神なのかもしれません。


本殿の土台部には立派な彫刻があります。絵を描いたり読み方を教えているように見えます。
 
馬や麒麟?が見えます。男が刀を振り下ろそうとしています。

猫ですね。根子です。高霊、孝元、開化につながってくるかも知れません。下にはキツネがいます。


ネズミを近づけないおまじないかもしれません。

 

幼児が牛飼いをしているようです。牛(=スサノヲ系)を制御していることのたとえとも取れます。

 
 宴会でしょうか。琴を奏で、笙らしきものも見えます。


 
 岩の上に立つ境内社。西宮神社(エビス)

 



平安末期創建の神代史を研究するものにとっては新しい部類の神社ですが、下野国にとっては、藤原秀郷がらみの重要な神社でしょう。余談ですがこの年は常陸国で佐竹義重が誕生しています。

秀郷は唐沢山に城を築き居城とし、天慶の乱において平将門を討ち取り、下野守や武蔵守となった武将ですが、通称俵藤太といい、琵琶湖の大ムカデ退治の逸話が有名です。


瀬田の唐橋に大蛇となって横たわり、通行人の中につわものを品定めしていた琵琶湖に住む竜神一

族の娘に懇願され、三上山に住む山を七巻きもする大ムカデを退治します。秀郷はそのお礼に米が尽きない米俵、切っても減らない反物、食べ物があふれてくる鍋、美しい音色の釣鐘を手に入れたという物語です。

一般的な推察をすれば、衣食の権利を得た、つまりその地域の支配者となったということでよいでしょう。藤太のは米が尽きない米から、藤太は藤原の長男という意味のようです。

 三上山は近江富士と呼ばれており、栗本慎一郎のいう大和の太陽のネットワークの基点となっている重要なポイントです。近くには御神(みかみ)神社があり、祭神は天御影命すなわち建御雷(タケミカヅチ)でした。

 竜神一族は、竹生島(ちくぶ)神社や沖島の厳島神社から単純に考えれば市杵嶋姫系統になります

が、系図では建御雷は市杵嶋姫の夫ですから、通常はこの物語のようなことはありえないと思われます。しかしながら、こういう御伽噺が作られてしまっていることには何か理由がありそうです。

 われわれはその理由を追及しなければなりません。琵琶湖周辺の謎解きをしないと、東国に駒を進めることは史実を解明するには無謀と言うものです。

 正統な「瀛(えい)」を持つと百嶋先生が言っている市杵嶋姫がなぜに大神(おおが)一族に奉祭されたのか、大神を「おおが」と読めば格が高く、「おおみわ」と読めば格が下がるのか、その原因はここにありそうです。


百嶋系図では、市杵嶋姫はスサノヲとアカル姫の子とされていますが、このアカル姫が難解です。

市杵嶋姫が正統な「瀛(えい)」を持つと言うことは、金山彦の系統であるということです。瀛政(始皇帝)の流れを組むということにもなります。百嶋系図上、スサノヲはイザナギ、イザナミの子で、イザナミは金山彦の妹だから、スサノヲの子である市杵嶋姫が「瀛(えい)」を引き継いだという解釈がありますが、「瀛(えい)」を引き継いでいるのは金山彦であり、イザナミではないでしょうから、イザナギ=金山彦と考えたのです。(番外15.神武はスサノヲだった!?)を参照ください)

そう考えると市杵嶋姫が正統な「瀛(えい)」を持つことに整合性が出てきます。

過去記事の一連の考察の中で書いたように、海幸彦(建御雷)は五瀬命≒スサノヲ≒神武≒豊玉彦の子だと考えていますから、市杵嶋姫と海幸彦(建御雷)は結婚することはできないのです。母親はアイラツ姫≒アカル姫でしょう。

ここに大山咋(くまかぶとあらかじひこ)の父としてはBニギハヤヒ(山幸彦)が浮上してくるのです。

山幸彦(Bニギハヤヒ)は正統な「瀛(えい)」を持つ市杵嶋姫に子供を生ませたのだと我々は考えています。無理やりか合意かは、はっきりしません。(略奪がよい表現だとは感じていますが)

(この原因については今後の記事をご期待ください。西アジアにまで及ぶ壮大な物語となります。匈奴で済まされるような話ではなくなってきました。)

これは、初代大国主(建御雷≒長髄彦)つまり「おおが」から次の大国主(山幸彦=猿田彦)「おおみわ」へ権力が移ったことを示唆していると考えられます。

日吉大社の西本宮に大神神社から大国主神(大己貴神)が勧請された意味が理解できます。

 また、ムカデと大蛇の戦いと言えば思い出すのが、日光戦場ヶ原の戦いです。 

 神代の昔、下野の国(栃木県)の男体山の神と上野の国(群馬県)の赤城山の神が領地の問題で戦った。男体山の神は大蛇、赤城山の神は大ムカデに姿を変えて戦った。結果は男体山の勝利。


ムカデを百足と書けばピンとくるでしょうか?

足は建であり武であり金山彦-スサノヲ系の象徴だと気付くでしょう。

蛇や龍ももちろんですが、これら御伽噺を作った人は、橘(つまり正統な「瀛(えい)」を持つ)の血を引く将門と秀郷の戦いで藤原が勝ったことを暗示したかったのでしょう。

元宮の富士村の稲荷大明神はもともと秀郷が鎌倉の松ヶ岡稲荷を勧請したようです。

松ヶ岡稲荷に

いては鶴岡八幡宮内の丸山稲荷か鎌足稲荷のどちらからしいと言うことですが、あの藤原鎌足が鎌と名乗っていたころ、長年の願いを記念するために鹿島神宮に参詣に向かい、その途中由比の浜にまった。その晩みた霊夢にしたがって、長く身に着けていた鎌を現在の大蔵の松ヶ岡に埋めたと、「はまれぽ.com」のいつから鎌倉なのかというレポートに載っています。

秀郷は鎌足にあやかりたかったのでしょう。

秀郷が藤原氏なのかどうかについては、確認しきれていないようでもあります。

下野の土豪だったなら、箔をつけるために高祖の伝承にあやかりたい気持ちも理解できます。

栃木、茨城では秀郷流の系図がうなるほど出てきます。

その子孫だと自称する家が数多く存在します。

栃木の高野家ではお墓に藤原氏が高祖だと刻んでいます。

茨城では小野崎氏が秀郷流だと考えられ

ています。

土豪という説もあります。

スサノヲ系小野氏と日吉大社系(≒大神神社系)小野氏の両方の痕跡が茨城県にはあります。

これは過去の勢力争いですので、現在に生きる一般人には深い意味がないことはご了承ください。(権力者には深い意味があることの裏返しですからね)


追記

鎌足の名はヤマトタケルそのものです。

鎌は草薙の剣を暗示し、足には昔脱解王(そくたれ)=イザナギの祖父から始まるスサノヲ系であることが暗示されています。

崇神=ミマキイリヒコ=大中臣はなりきり神武及びヤマトタケルと考えていますから、その子孫である中臣鎌足もまた、それを継承しているようです。それにしても不比等は色々な小細工を施していますね〜。


百嶋神社考古学にご興味の方は、常陸国ふしぎ探検隊河野まで。携帯090-3479‐3438



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