100.油日神社探検記(滋賀県甲賀市) | 常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

「まつろわぬ」というキーワードから常陸国の歴史を見つめなおします。常陸国は東海道の東のはずれ、鹿児島から始まる中央構造線の終点です。
神社探検の動画はこちら
→ https://youtu.be/8gVu8qGihD8

祝100回記念!


今回も滋賀県甲賀市の神社です。


甲賀の総社、油日(あぶらひ)神社。前回は「水」(水口神社)でしたが今回は「油」です。

アイラツ(油津)姫の調査で油のつく神社を調べようと検索して見つけた神社です。

アイラツ姫は百嶋系図では、金山彦の御子となります。母親は大山祇の姉、大市姫。

神武天皇の后となりますが、懿徳(いとく)天皇を生むとすぐに多氏、神沼河耳に払い下げられたことになっています。そして蒲池(かまち)姫と名を変え建磐龍を生んでいます。

 

われわれ流に解釈すれば、神沼河耳は名前から判断すれば女性ですし、建磐龍は五瀬になります。

 建で磐で龍だったら五瀬しかありえません。

 それから、アイラはトルコ語で月を表します。(宮古の縁側日記:「アイラと言う意味 」参照)

 したがってアイラツ山とは月山を表すことになります。全国にある「月山」は火山もしくは火山だったと予想がたてられることになります。


アイラツ姫は木花開耶姫(かぐや姫ですので)につながって行きます。

だから、百嶋系図で橘一族の祖とされる神主玉も女性だと考えるのが順当でしょう。


われわれの考え方では、天御中主(菊理姫、白山姫)のミトコンドリアDNAを継ぐお姫様で、モーセ継承者金山彦の子であり、日本の歴史上最初の天皇(かむやまといわれひこ)の后ですからとても重要な女神様になります。

これこそが橘一族の系統になり、命婦(天皇候補者を生む人)を排出することの理由です。つまりタネよりハラなのです。これがミトラより続く「高貴」な一族の系統の保存方法なのです。天皇になる人は女系男子でなければならなかったのです。このことを不比等の時代に隠蔽したのろうと、系図を見ている7判ってきます。不比等は記紀を創作し、中臣の祖神として崇神天皇(中臣賊津使主:なかとみのいかつおみ)を創作します。新小野氏の誕生です。対馬神道の祖となります。

崇神の母を鴨玉依姫としていることは、天皇になるためには白山姫のミトコンドリアDNAが必須なことが周知されていたからだろうと思います。その理由は今のところはっきりとはしていませんが、おそらく根源神(宇宙)と繋がる能力に関係してくるのだろうとは推測しています。(あるいは、はるかに科学技が進歩した、「われわれを観察しているもの」かもしれません。)この考え方を拡大していくと、北朝鮮の拉致の事件につながってきてしまいます。(笑)


WIKIより引用

 

祭神:

油日大神(あぶらひのおおかみ)を主祭神とし、東相殿に罔象女神、西相殿に猿田彦神を祀る。油日大神は勝軍神として武士の崇敬を受け、社名から油の火の神としても信仰された。油日岳を神体山とし、山頂には罔象女神を祀る岳神社がある。

神紋は木瓜に二ッ引。


歴史:

創祀年代不詳であるが、用明天皇または天武天皇の時代の創建と伝えられる。油日岳の山頂に油の

火のような光とともに油日神が降臨したことから「油日」の名がついたと伝えられる。また、聖徳太子社殿を建立し油日大明神を祀ったとの伝承もある。


これらから、勝軍神からは父、金山彦(愛宕神)に関係すること、

 神体山が罔象女神を祀ることから油日大神は罔象女神らしいこと、

 山頂の火からは、油日山が噴火したらしいこと、などが推測できそうです。(姶良カルデラから連想)

 前の記事でも述べたように、アイラツ姫と罔象女神は同神だと考えていることが裏付けられそうです。

 

また、アイラツ姫は吾平津姫とも表記することから推論すれば、平はシラであるのでシラ姫になり、シラヒゲになります。白鬚はアイラツ姫のことになってしまうのです。琵琶湖西岸高島市の白鬚神社は比良明神とも言います。ここでもヒラとシラが同じであることを示しています。


アイラツ姫の祖母に当たるだろう白山姫(しらやまひめ=菊理姫=天御中主)もシラ姫でした。


 

 伊賀上野の交差点とこれから向かう霧に覆われた油日岳


 神門

 神門の神紋(笑) 右三つ巴 月(=水)を祀る神社ですからギですね。

 

 神門の裏側にいろんなメーカーの食用油の缶が奉納されていた。相当古い。菜種油、ごま油。


 由緒書

 

神社HPのご神徳に興味深い内容が掲載されていました。


「油日大神はアブラの日の大神さまであって、万有始動の根源神として諸事繁栄発展の大本を司られ大神さまである。従って古来より諸願成就の神として衆庶の尊信あつく、又油の祖人として業界の崇があつめられている。」


油を燃料とするエンジンが発明されてからならばこのご神徳は有効でしょう。「油」で軍艦を動かす時代になってから、つまり江戸時代末期から明治時代になってから創られたものと考えられます。

あるいは松根油で零戦を飛ばす時代に作られた内容としか思えませんね。


 拝殿


 拝殿の神紋 木瓜紋下に二引き

 本殿

 


 本殿を覗く。三神を祀っていることが判ります。



 本殿右側の境内社。

  

  

右三つ巴と五七の桐紋                   御堂に見える境内社

 

桐モドキ(ジャカランダ)ではありません。本物の五七の桐です。

 

 
 境内にあった神馬 木瓜紋が鮮やかででした。この地区の神社では神馬や神鹿を置くのがブーム?

水口神社の神馬よりも柔かさを感じます。牝馬なのかもしれません。(筋骨隆々ではない)

 また、99.水口神社探検記で解析したように、口(さい)は日(えつ)と同義であることから、油日は油口であり、水と油は混じりあわないので、水口と対応(あるいは対峙)することが予想されます。

 

水を差す:物事がうまくいっているときに邪魔をする。乱すことのたとえ。また、仲の良い者同士を仲違いさせること。

 火に油を注ぐ:火に油を注ぐとは、勢いの激しいものに、いっそう勢いを加えることのたとえ。騒ぎをいっそう大きくしてしまうなど、その結果を望ましくないものとして使う。

 

これらから推測すれば、水口も油日も決して良い意味ではありません。


しかし中国語で加油はファイト!という意味です。

旧約聖書の時代「油をそそがれたもの」とは王、祭司、預言者を指すようです。ダビデは三回も油を注がれた記録があります。典型的な「油を注がれたもの」はイエス・キリストです。結末は十字架の死で、これが「油をそそがれたもの」の使命だと教会では解釈しているようです。


正統皇統転覆をはかった勢力はこういうお話を知っていて、本来の開発者を貶める細工をした形跡が感じ取れます。スサノヲや長髄彦がモーセ-ヨシュアの後継者だったなら、イエスと何らかのつながりが出てくるかもしれません。イエスの時代、AD20年ごろはスサノヲ系統で言えば徐福とイザナギの間に当たりますが、われわれ「常陸国ふしぎ探検隊」としては、その間にイエスが入る可能性を追求していく所


存であります。(笑)東日流三郡誌にはまって行く予感がします。(長髄彦を追いかければ当然の帰結です。黒龍川からの民族移動もしかり)

 

どつぼにはまってさあ大変!

百嶋神社考古学にご興味の方は、常陸国ふしぎ探検隊河野まで。携帯090-3479‐3438



ポチ、ポチッとお願いします。