番外32.ワタは海であり綿であった-大幡主は大山祇である論の序章 | 常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

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「まつろわぬ」というキーワードから常陸国の歴史を見つめなおします。常陸国は東海道の東のはずれ、鹿児島から始まる中央構造線の終点です。
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ワタツミ(海神)を綿津見と書くから、われわれが綿と結び付けたと単純に考えてはいけません。


われわれの考察はそんなに低レベルではありません(笑)


通説も一通り引用しておきましたが、現在流布されている通説は、経済至上主義東インド会社(ハザールマフィア)と連携した明治維新勢力(中心は藤原イカスリ、薩摩長州)によって筋道を立てられた似非東アジア史(中国史、朝鮮史を含む)に沿う形で構成されています。

国家神道、つまり日本書紀を正史とし、古事記を神道の聖書とし、挙句の果てには天皇をアラヒト神に仕立て、列島住民を洗脳し続けようとするための裏付けとして権威化された学説をわれわれは軽蔑を込めて「通説」と呼びます。


神社を調査し欠史八代を理解しようとするわれわれは、多くの神社の由緒が、早くとも鎌倉時代以降、多くは江戸時代前期、水戸藩で言えば光圀が大日本史の編纂を始めた頃に、徳川将軍の名を借り全国規模で神社調査がなされ、その時創作されたものと、明治期において、やはり大日本史をお手本として創作(ねつ造)されたものがほとんどであると考えています。


したがって神社誌などの記述をそのまま鵜呑みにすることはないのですが、中世史つまり既に武士(イカスリ一族の過激派)勢力が権力を握ったあとの、神社を利用した統治方法を研究するためには良い資料になるかもしれません。


「素直」に考えれば、敵を作ること自体がすでに平和ではありません。ましてその敵を殺すために神仏に祈願するということは、正常な神、すべてを幸せにして下さるもの、を信じていたのではない事がわかります。「愛」の文字を冑につけて殺し合うなどありえないのです。自分だけが幸せになればよいのです。


だから 「TO ME 一族」だというのです。愚の骨頂です。


「民のカマドは賑わいけり」と言って喜ぶことが本来の為政者でしょう。


現代において、さらに愚の骨頂なのは、ウチは武家の出だからだとか、子爵だったとか、見栄を張る人がたくさん存在していることです。それらは事実ですから、そう言われることは結構ですが、偉いつもりになっていることが愚の骨頂なのす。それであなたは何をしているのですか?と訊いた時に、先祖が残してくれた土地に貸しビルを建てて貸しているのです、とかのたまったら、私の頭の中に、茨城弁で「バカデモアルワ」と7文字が浮かんでいます。


まっ、貧乏人のひがみですかね(笑)


豆腐の角に頭をぶつけて、死にはしないが、脳みそがへこむくらいの柔軟性がないと、欠史八代の解明など不可能です。自由な発想、詳細な考察です。


さて、ワタツミ(海神)がなぜ綿津見と表現されたのかを解説しましょう。


それはネット検索で簡単にわかります(それではわれわれもそれほど高レベルではないですね、笑)


外国語をちょっと調べれば、水(海)も綿もワタと発音していることに気付きます。


本来、海をワタと呼ぶのではなく、海が水(WATER)の集まりだからワタと呼ばれたことが推測されます。


海や水、綿をワタや似たような発音で呼ぶ言語は


   言語        海(水)          綿

サンスクリット語  bAdara(バダラ)   bAdara

ロシア語       BODA(ボーダ)     BATA

ポーランド語    WODA(ヴァ-ダ)    WATA

英語         WATER          WAD(詰め物の意味)--日本語のはらわたと同じ用法


その他に綿をワタ系で呼ぶ言語には、(ロシア語のвата(ワータ)と日本語の「綿」参照)


ドイツ語-WATTE(ヴァッテ)

フランス語-OUATE(ワト)

イタリア語-OVATTA(オヴァッテ)

アイスランド語-VATT(ヴァット)

スウェーデン語-VADD(ヴァッド)  などがあります。



綿は上記のようにバダと呼ぶ言語系と英語のようにコットン系の原語(オランダ、アラビア語等)に大別さ

れるようです。


言語学者ではないのでこの程度にしておきますが、海と綿が同じ発音をしていたことがご理解いただけたことと思います。


ワタ(海、綿)の語源がWATERだったのではなく、ワタもWATERも語源が一緒だったということになりますね。謹んで訂正いたします。(笑)


そしてそれはサンスクリット語、つまりインド地方の言葉が語源だったという推測でよろしいでしょうか?


サンスクリット語もラテン語もベーダ語がもとになっています。おそらくそれよりも古いドラビダ(タミル)語


が大元になるのでしょう。東に伝わり日本語になり、西に伝わりラテン語になっていったのでしょう。


この伝搬はミトラ教の広がりと似通っています。


東へ伝わりミロク教、、道教、仏教、儒教。西へ伝わり、ユダヤ教-キリスト教、イスラム教となりますが、同時に人間性が劣化して 「TO ME」のマインドに代わって行きます。自然法で済んでいたものが成文法が必要となったばかりか、優先されるようにならざるを得ませんでした。(人間性の低下)


その結果が現在の世界情勢につながってくるのは明白でしょう。(日本の反日右左翼)


さて、ワタツミのワタの語源がWATER(水)であると気付けば、白山姫(=菊理姫=天御中主=天常立=小河大神)が水分(みくまり=みくばり)神であることが理解できることでしょうし、ワタが綿だと理解したわれわれは、さらに織姫の大元であると気付かなければなりません。


百嶋系図で、彼女の甥とされる大幡主についても、海(水)の神であり、機織りの神であることが順当に推測できることでしょう。


大幡主はおおはたぬしと読みますが、おおわだ、WATERであることはここまで読んできた皆さんにはお分かりですね。


もう一度書いておきましょう。


海(水)と綿は同源です。英語で書くならWATERです。


なぜワタと呼んだのかを推測すれば、どちらも連続的ではあります。現在それらの同源性を示す言葉は「織る」になるかもしれません。交差する波、交差する経糸と横糸。交差する人間模様。


♪縦の糸はあなた、横の糸は私、織りなす布はいつか誰かの傷をかばうかもしれない。







さてしかし、百嶋系図で大山祇は白山姫の子であることに注目しなければなりません。


つまり大幡主と大山祇はいとこです。百嶋資料では二人合わせてタノカンサーとしています。


聞きなれない擬身体(ギシンタイ)という言葉で百嶋先生は説明されています。分かり易く言えば分身の術でしょうか。普通に考えれば大幡主は大山祇で、大山祇は大幡主である、ということになるのでしょうが、目の付け所が「シャープ」なわれわれは、大幡主も大山祇も誰かの分身なのではないかと考えます。





ここで吾田もWATERであることに気付かなければなりません。吾田村主(アタノスグリ)とはだれか?

 

ここから吾勝に派生することに気付かなければなりません。(吾勝=吾田の勝り)さらに赤津と変化していくことに気付かなければなりません。言うまでもなくタケミカヅチの別名です。この続きが神功皇后時に安曇磯良が鹿島の海から、いやいやながらも援軍に行くことにつながって行くのです。(お伽話ですが)

 

次に神吾田津姫(カムアタツヒメ)とは誰なのか?


これもご存じのように、サキタマ姫=コノハナサクヤ姫の別称です。


吾田村主の奥さんと考えることは当然でしょう。たまたま同じ時代に同じ場所にいただけに過ぎないと考えるわけにはいかないほどの血筋の人たちです。


彼らは本当のワタツミでしょう。神吾田津姫はまったくワタツカミです。吾田津神。


ここで、百嶋系図をみてコノハナサクヤ姫は大山祇の子供だからと考えるのは、第一歩ですが、タケミカヅチとの関係を考えなければなりません。二人とも常陸国に祀られている意味を熟考しなければなりません。


読み方や言葉のもつ本来の意味を考えない分析は表面しか理解できません。書いてあることしかわかりません。いや、書いてあることの本質さえ理解できません。文字には言霊が宿っているから、古代人は特に注意して使ったに違いありません。


英語で呪術はSPELLとも言います。文字をつづることです。


もう一人、愛宕神はあたごと読みますが、田舎では、わたごさんだとか、おわたごさんとなまって呼ぶ人もいます。


助さん格さん、もういいでしょう、ですね。


愛宕神=金山彦もワダツミだったのです。


控えおろう(笑)


本来のわだつみは金山彦であり、彼の妻が後世、イカスリ藤原にオトコ神とされ、大幡主と大山祇に分離されてしまったのです。


彼女こそが、オチ姫=アタ姫(母音変換による転訛)となります。箸墓古墳の埋葬者になるのです。


そして、一般的な漢字の意味に惑わされていてもいけません。


すくなくともインドや西アジアの事を頭の片隅に置いておかなければ、欠史八代は解明できないと感じています。ミトラとゾロアスターの違いが判らないと世界の歴史の流れを理解することはほぼ不可能だと断言しておきます。

まして権威主義的な神社やお寺など愚の骨頂です。あなた自身が「神」のギシンタイなのですから、あなたに命令をしたり、指示をしたりする存在がいたらお気を付け下さい。依存症の「TO 


ME」族は闇無浜から闇オカミが脱出したときには九州を席巻していたことでしょう。


われわれは趣味で古代史の真実を追求しているわけではないので、お花畑に生きている人(神社に神がいて、願いをかなえたり、何がしらの啓示を与えてくれると思っている人)には不向きですと申し上げておきます。


欠史八代の解明には確たる証拠などありません。先人の調査結果や、想像力を十分加味しながら、自ら調査し新たにわかったことを元に、蓋然性が高い説を構築していくことが、百嶋資料を引き継ぐものの使命です。



百嶋由一郎先生の講演会CD、資料、神代系図を入用の方は、常陸国ふしぎ探検隊河野まで。

メール k_kplanning @yahoo.co.jp


  
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