「あきらめる」あきらめた?あきらめてない?それ本当に? | こんこんキツネ塾 第1章

こんこんキツネ塾 第1章

視点を変えると、世界が変わる。

「あきらめる」ということは

「明らめる」ことであり、
「あきらかにする」がもとになっているそうです。

ふだん、あきらめる、というと、

なんだかそこで終わり、もうやらない。という感じがします。

それまでやっていたこと、こだわっていたことに関しては

もう見ない、考えない、追いかけないようにする。

 

そういう意味で使うのだと思いますが、

確かに、あきらめることで初めて見えてくる…
つまり「明らかになる」ことってあると思います。

 

「もう、あきらめた!」と思った瞬間に

それが、どうでもよくなって客観的に見えてくる。
すると、あれ、解決した…ということも。

 

自分のこだわっていたフィルターがはずれると、

ちゃんと見えなかったものが見えてきます。

でもそれは、覚悟をもって
あきらめた。と決めたときだけ。

 

「もうあきらめた、あきらめた」と
軽い口癖のように言っているのは

あきらめきれてないような気がします。

すると、いつまでも自分の追いかけているものが

なんなのか、余計にわからない。

 

「まだあきらめないぞ」とはっきり言える人は、
実は本気であきらめかけたことが
あるのかもしれません。
だから何を追いかけているのか

あきらかになっていて、

「あきらめない」で進んでいけることを

知っているのかもしれませんね。

さて、なにが本当の
あきらめなのか
あきらめないのか
よくわからなくなりましたが、



はい、ばけた…?