Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

恋する人は恐れを知り

2017-07-09 | アウトドーア・環境
ピッツベルニナ山群を眺めて帰って来た。今回登ったピッツケッシュは標高3418mしかなかった。小屋から800mほどの高度差しかなく、氷河さえなければ一人でも楽に登れる山だった。その氷河も一時間ほどの登りで、最大傾斜角40度いうことだったが、スキーでも楽に登れるところしかなかった。気合を入れて靴に合わせてシュタイクアイゼンを用意するほどのことは全くなかった。天気にも恵まれ、余分な時間も大分あったので、高山植物の撮影なども楽しめた。

なによりも久しぶりに3500m近くまで登ったので、高度順応の経験がまた増えた。今回は昔の山靴スパーガイドを初めてアルプスで使った。「恐らく最初で最後だ」と皆に宣言した。理由はいとも簡単で、初日の一時間半ほどの登りに大きな豆を二つも作ったからだ。やはり歩くには向かないクレッターシューである。幸い頂上岩壁下で花崗岩の20メートルほどの壁があったので、小さな足場を試すことが出来た。とても立ち易い。しかし、リュックサックを背負った腕に少し酸素が回らないような感じがしたのは、靴のせいかもしれない。酸欠不足気味だったのは、下りでは全く問題が無かったのが、それを証明しているだろうか。

やはり高所でのクライミングを考えると興味深い。何よりも足に絆創膏を貼ったような状態でのガラガラした岩場での登りは足腰に無理が掛かり、腕にも力が入ったのだろう。技術的に解決される問題と、今年冬スキーでの頂上岩壁での呼吸困難状態を考えあわせると、やはり酸素摂取の問題の両面から考察しておかないと高所での力の発揮に限界が設定されてしまう。丁度昨年九月の連日の長いクライミングで確認した力配分と、高所での運動能力の両面をしっかり押さえておかないと大きな壁の登攀は難しい。

クライミングでザイルを組むことも多かった「BASFの農民」が一緒に居たのだが、下りに不安があると語ったのが興味深かった。寧ろ上りでは件のクライミングの箇所を率先してフリーで乗り越えていったのだが、下りにぐずぐずした岩場で「頭からひっくり返りそうになる」と語っていたことだ。乳がんの奥さんに死に別れ、また肺がんで亡くなった仲間の奥さんと同棲するようになっているようだ。これまた仲間であるその奥さんが待っている小屋まで下りて来て、その話しをした。

「(農民から)恐怖心など聞いたことが無い、恋しているのと違うのか」、続けて「恋する人は恐れを知り」と茶化して話したのだ。

決して大胆な人間性ではないのだが、サファリクラブなどの活動での冒険家であり、クライミングもある程度のところも本番で熟す。だからこの言葉を岩場でも質問してみたが、こちらの質問の意味をあまり理解していなかったようだ。私自身とは反対に「下りで」とは思うのだが、高度順応とは関係が全く無いとは思われない。逆に、自分自身は下り始めるとどんどん動きが良くなっていくのを感じた。

フリークライミングのところでは、一番弱い年齢のいったスキーツアー仲間でもある62歳の弁護士が行けると言ってノーロープで登って行ったので、その後ろ直ぐをつけて登った。何かあった時に対処するためである。そのために余計に力が入り難くなったのを感じて驚いたのだった。勿論クレッターシュ―で小さな足掛かりにも問題なく立てる認識もあり、腕の力を使う必要が無いことも分かっているのだが、力がそれほど入らないと気がつくのはやはり恐ろしい。



参照:
現地天気予報をみながら 2017-07-07 | アウトドーア・環境
蕎麦きし麺と蕎麦ポレンタ 2007-09-01 | 料理
吹き荒ぶから紫煙漂うへ 2006-02-11 | その他アルコール


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