Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

リツイートされた影響

2018-05-14 | SNS・BLOG研究
晩の予定が変わった。フランソワ・サヴィエル・ロートさんからの接触があったからだ。氏は、日本でも有名な指揮者のようだが、私にはなによりも同士である。SWF管弦楽団を一緒に見送ったおくり人仲間である。今回は19時からのケルンの劇場からの中継録音放送を私が紹介したのに対して一時間以内に反応してくれた。そもそもそれ自体をインターナショナルなアカウントで紹介せずに日本語の方で紹介したのは、その公演の質に懐疑を持っていたからだ。片方の方は業界関係者の目に留まり易く、ある意味吟味してある。しかし日本語の方は、所謂まとめサイトにも紹介されていなかった放送だったようなので軽い気持ちで紹介しただけである。他のことを調べていて偶々遭遇しただけだった。だから紹介しておきながら腰を下ろして放送を聞くかどうかも決まっていなかった。ブラームスのお勉強があったからだ。

しかし、指揮者が紹介したいほどの録音となるとこれは聞き逃せない。正直な話し、放送管弦楽団からケルンのオペラ劇場に否応無く移って不満もあるだろうと思っていたので、こうして反応して貰ってお元気でよかったと思った。なるほど著名な中堅指揮者で各地の音楽祭でも様々な楽団を指揮して活躍していて、草っているのではないことは知っていたが、ルツェルンにおいても態々出かけるほどの気持ちは湧かなかった。理由はやはりあの頃の新曲などをセンス良く捌いていく手腕をなによリも評価しているからだ。

そういう事情で楽譜も無く、録音の音飛びがしないようにPCに触らないように食後にタブレットを手にソファーで寝そべって流していただけだが、予想以上に綺麗に鳴っていて驚いた。初日に拘わらずここまで仕上げる腕は大したものである。そして何よりも軽やかに美しく鳴る。ペトレンコの名演におけるその密度の高い響きが本当に正しいのか、このように鳴るのが正しいのかは、恐らく多極的な側面におけるアシスタント指揮を使った箇所での鳴りでは、敢えて詰めていない作曲の意図もあっただろうから、必ずしもペトレンコの「偶然性の厳密さ」は不必要な部分もあるだろう ― これは詳しく見ると、一概に多極化の中でも統一的な音空間を前提とすると、美学としての偶然性とはここでは異なる概念である、乃ちその響きの蓋然性。その反面ロート氏はある意味硬派であり、カラヤンやティーレマンに代表されるリヒャルト・シュトラウス演奏を公然と「湯船の鼻歌」と批判している位なのだが、基本的にはフランス的な響きを作る指揮者で緩い面もあり、それが新曲を美しく聞きやすい音楽にしている。

また、意外にも歌手のドイツ語などが美しく、これならば必ずしもミュンヘンの演出もバーバラ・ハニンガンに再演して貰う必要はないと気が付いた。これも大収穫で、ペトレンコは再演することはないだろうが、是非後任のヤロウスキー監督に指揮して貰いたくなった。リームとの組み合わせなどとても期待される。何はともあれ早速ロート氏のフォロワーになっておいたので、その活動も追える。土曜日は翌日の本番前の完全休養日だったのだろうか。放送終了時に公演の日程に触れていたので早速覗くと通常のネットでは売り切れていた。ケルンの劇場は車で行くとケルン南の渋滞があってボンのようには気軽に走れない。だから距離的には30分ほどの次の町には違いないのだが、片道で一時間ほど余分に時間が掛かる。ミュンヘンとあまり変わらないとなるとやはり厳しい。

氏の呟きを見ると、ベルリンの新プログラム発表に合わせて、再びの招聘を光栄に思うと書いてあって、その素直な気持ちと同時に、新体制の中で一定のレパートリーに関する奨励があるのかなとも思う。ベルリンのようなもはや古風となった交響楽団でどんな新曲でも馴染みやすく一筆書きの様に響かしてくれる指揮者はとても貴重である。今後バーデンバーデンなどでもブーレーズだけでなく、新しい曲を演奏する機会などがあれば、必ずしもペトレンコが指揮する必要もないので、登場する可能性もあるのではなかろうか。

それにしても一応スター指揮者と呼ばれるのかフォロワー数も多いのだが、自身が書き込んでいるものが少ない一方、そのリツィートも自身がやるしかないというほどのなかなか絶妙な選択だが、意外にフォロワーの反応が鈍い。公演の「ディ・ゾルダーテン」は完売していると言っても定期とそれに加えてという程度で、やはりべルント・アロイス・ツィンマーマンの人気などはその程度だろう。ギュンター・ヴァントの敵討ちとして初めて現音楽監督ロートが再公演に成功して雪辱を果たしたが、その関心は一定の域を超えないのかもしれない。また歴史的にマンハイムの劇場の方が上かと思っていたが、今回の演奏を聞くとその人口の多さに比例して、ケルンの響きやアンセムブルは到底マンハイムでは不可能なものだった。連邦共和国の上位四劇場は誰も異論はなく、シュトッツガルト、フランクフルト、ライプチッヒなどを含む、第五位から第十位までは順不同になりそうだ。辛うじてマンハイムは歴史的にも入るとは思うのだが。
Oper Köln – DIE SOLDATEN von Bernd Alois Zimmermann




参照:
エポックメーキングなこと 2017-12-02 | 文化一般
デジタル演奏会の品定め 2016-09-21 | マスメディア批評

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