覚え書きについての備忘録 その2 | 団栗の備忘録

団栗の備忘録

心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつけます。なるべく横文字を使はずにつづります。無茶な造語をしますがご了承ください。「既に訳語があるよ」「こっちのはうがふさはしいのでは?」といふ方はご連絡ください。

「行政法学の思考形式」には、透徹した行政法理論を構築せんとする明確な志向を持ってゐたはずの柳瀬行政法学が、しかしなぜ挫折してしまったのかが詳述されてゐます。「行政法学の思考形式」については石川健治氏が、「法学教室 平成28年3月号 巻頭言 「公理」のゆくえ」で語ってゐます。

 

(引用はじめ)

『社会科学の方法』(御茶の水書房)という伝説的な定期刊行物をご存知だろうか。(中略)

同誌を通じて、思わず論争に巻き込まれた法学者も少なくない。(中略)巻き込んだのは、後に最高裁判事になる、行政法学者・藤田宙靖であった。同誌13号に寄せた著名なエセー「臆病」が、純朴な青年の心情の吐露という形を装った、強烈な公法学批判になっているように、当時の彼は、多くの論者を我が田に誘い込み、率直な疑問を突きつけては、しばしば閉口させた(参照、藤田宙靖『行政法学の思考形式〔増補版〕』〔木鐸社、2002年〕)。

最初の標的は、東北大での先任者たる柳瀬良幹であった。「実体法の世界」と「手続法の世界」を峻別するのが、柳瀬の流儀である。(中略)

柳瀬は、「実体法の世界」と「手続法の世界」を「架橋し能わず又すべからざるもの」と捉え、両者をいわば並行世界として描くことにより、双方の叙述の文法をそれぞれに堅持した。(中略)ところが藤田は、それを論理矛盾だと批判した。規範秩序が単一である以上、実体法的考察と手続法的考察を統一的に説明できる新しいメタ理論が必要だ、と。

その際、<有権的解釈者が「これが法だ」というもの>こそが「現に通用している法」だ、という手続法的観点から鋭く切り込むと、「実体法の世界」の存立それ自体が不可能になり、「実体法」と「手続法」の統一的な説明にはならない。そう考えた藤田は、「実体法」(たとえば憲法)の正しい意味は客観的に認識可能だ、ということを一旦承認したうえで、しかし「正しい意味」なるものの実体的内容は、その後の有権的認定・解釈機関の決定によって流動する、という苦し紛れの説明に落ちつくことになった。これを彼は「流動的実体法論」と呼んだ。

けれども、果たしてそれが、そもそも統一的なメタ理論の体をなしている、といえるかどうか。犀利な「憲法変遷」論で知られた僚友・樋口陽一は、早速に批判的なコメントを加えた。それを機にいくつかの応酬があったし、藤田自身はその再興になお意欲を見せているが(藤田宙靖「覚え書き」自治研究92巻2号〔2016年〕3頁以下)、「流動的実体論」の雄略は―学会コンクールを結局勝ち抜けなかったという意味では―およそ実定法認識の「公理」というには程遠く、『社会科学の方法』の休刊とともに頓挫した格好である。

(引用をはり)

 

まづ手始めに柳瀬氏が攻撃目標になったといふことですが、柳瀬氏自身は案外「藤田に煮え湯を飲まされた」などとは思ってをらず、むしろ衣鉢を継いでくれてありがたうと感謝してゐたかもしれません。≪若い頃、多くのとりまきに囲まれていたイェリネックに反発したケルゼンが期待した理解者というのも、決してfollowersではなく、彼の問題提起の意味を理解し、違う答えを出すにしても対話の可能な人のことであろう。1≫(尾吹善人著 憲法徒然草・三嶺書房 120頁 ケルゼンにおける理論と実践)。また藤田氏の「臆病」の中の一節にこんな文章があります。

 

(引用はじめ)

多くの行政法研究者の強靱なる精神は、私にとって全くの驚異である。何が現社会の真実であり、何が現に存する法であるか、について、どうすれば真に確実な認識が得られるのか、というような迂遠な問題に悩まされることなく、あるべき〝公益と私益の調和〟につき次々と積極的な提言をされるその勇敢さは、私のような者には到底及びもつかぬことである。これらの勇猛な精神に対しては、心からの感服と羨望とを禁じ得ぬと共に、ただ、もし私にそのような強靱さがあったならば、私は恐らくは研究者に非ずして、政治家か行政官か、あるいは法曹になっていたであろうと思うのである。

「行政法学の思考形式」あとがきに代えて―行政法学と私 より

(引用をはり)

 

柳瀬氏直伝(?)のかういふ口の悪さも石川氏を苛立たせる一因なのでせうけれども、いくら頭にきたからといって、冷静さを失ってはまづいと思ひます。「流動的実体法論」について「行政法学の思考形式」248頁には、石川氏の述べてゐるやうなことは書かれてゐません。

 

(引用はじめ)

疑いもなく、博士(注・柳瀬氏のことです。)の右の思考(注・法律の、真に正しいと思はれるところの意味を「実体法」といふふうに認識し、それとは別に有権的解釈権者である、裁判所が解釈したところの意味を「手続法」として捉へる、といふやうに二つに分けて考へる思考のことです。)の基盤に存するのは、各個の実体法規には、本来先天的に〝確固不動の真の意味〟が存する、との信念である。しかし、裁判所・行政庁による認定権・解釈権の法的性質を是認しつつ、且つ実定法規の意味は、実定法秩序全体との論理的整合の中においてのみ定まる、との思考を貫徹するならば、実体法の〝唯一の意味〟なるものは、実は常に、有権的認定権者・有権的解釈者の認定・解釈なる行為を解除条件とした、その意味において流動的な内容を持ったものと、ならざるを得ないのではなかろうか。

諸々の実定諸規範につき、その意味内容を統一的に決定せんとする限り、実定法秩序そのものが、実体法規の定める要件充足についての有権的認定権者、乃至実体法規の有権的解釈者を定めているとするならば、実定法秩序は、実は実体法規の内容の決定を、これら有権的認定権者、有権的解釈者の手に授権しているものと言わざるを得ないのではなかろうか。実定法上抗告訴訟制度が存在し、地方裁判所から最高裁判所までの裁判所系列が存在するとするならば、実体法規の内容は、行政処分に対する国民よりの出訴がない限り、行政庁の解釈するところがそれであり、第一審判決に対する上訴がなされぬ限り地方裁判所の示すところがそれであり、そして最終的には最高裁判所の判決こそが実体法規の内容を確定するもの、ということにならざるを得ない。実定法そのものが、裁判所その他の有権的解釈機関を設定しているということは、論理的には実は、実定法秩序そのものが、実体法規の意味内容の、この如き流動性を是認していることを意味するに他ならないのではなかろうか。

(引用をはり)

 

この記述に続いて、しかし柳瀬博士はこのやうな「流動的実体法論」とでもいふべき考へ方を容認すまい、なんとなれば、これでは裁判官に対して「汝が実定法と信ずるところに依りて裁判すべし」との一般的指示をすることになってしまひ、「裁判官の為に、実際の事案の解決に当って適用すべき法を指示する」ことを行政法学の任務と心得、「法治主義」に忠実たらんとする柳瀬博士にとって、それは各実体法規の「確固不動にして真の意味」なる表象を放棄することになってしまふからである、と藤田氏は論を進めます。これのどこが「苦し紛れの説明」であり「学会コンクールを結局勝ち抜け」ずに「頓挫した格好」となった考へ方なのか、よくわかりません。現実の裁判制度についてのごく常識的な認識が述べられてゐるだけだと思はれるのですが。先ほどの※1に続いて尾吹氏は≪ところが、社会科学の分野では、こういう意味でひとの学説を「理解」し、対話を進めてゆくということが、実はなかなかむずかしい。問題意識のすれ違いから生ずる実りのない水掛論・堂々めぐりがどれほど社会科学を非能率的なものにしてきたことか。※2≫と述べてゐます。

 

柳瀬行政法学の蹉跌の原因は結局のところ「学説が真であることは確かにあり得ることである。しかし、権威が法をつくるのであって、真理が法をつくるのではない」(ホッブズ リヴァイアサン 26章)といふことなんだらうと思ひました。学説の役割を、裁判官に対する「単なる助言、提言」と捉へずに、「拘束力を持った指示、命令」と考へたところに、柳瀬氏の苦悩の根源があったものと思はれます。これに対し「正しい解釈は常に一つだけ(自説だけ)」といふ点のはうは、そんなにおほきな悩みの種ではなかったのだらうと思ひました。また、柳瀬行政法学の特色である「法実証主義、論理主義」については、実はある意味では実践的な意図を内に秘めたものだったのかもしれないと思ひました(藤田氏は、柳瀬博士にはそのやうな意図はなかった、とするもののやうですが)。「自説(柳瀬説)が真に正しい唯一の解釈学説であることを、どうやって担保、保証し得るだらうか。第三者に納得してもらふためには解釈論を構成する際には、眼に見え手に触れ得る客観的存在のみを素材として構築せずばなるまい。」と。他者に働きかけるといふ、通常の意味での実践的意図とは違ふ意味での実践的意図といふものがあったのではないか、といふことです。

 

その3に続く