「パニック・コーチング」 | 馬術稽古研究会

馬術稽古研究会

従来の競技馬術にとらわれない、オルタナティブな乗馬の楽しみ方として、身体の動きそのものに着目した「馬術の稽古法」を研究しています。

ご意見ご要望、御質問など、コメント大歓迎です。

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  乗馬などに限らず、スポーツの練習の際に、

「〇〇しないように意識して」

「△△のようなイメージで」

「××するような感覚で」

などというアドバイスを受けることは、よくあるのではないでしょうか。



  スポーツ指導の現場で、この「意識」「イメージ」「感覚」といった言葉は、聞かない日がないというほどよく使われるものですが、

その区分は今一つ曖昧で、明確な定義というようなものもなく、指導者でもこれらを混同していることも多いのではないかと思います。


 
  そこで、スポーツ指導における「意識」、「イメージ」、「感覚」というものの意味をとりあえず定義してみると、以下のようになるかと思います。



①意識

  理想の状態を実現するための身体各部の使い方を頭の中に想起し、脳からの意図的な指令によって、身体各部の動きを修正、矯正、誘導しようとする試み。

「身体が内を向かないように」というような禁止事項をあれこれと「意識」するあまり、身体が固まってしまうようなことも多いものです。


②イメージ

「〇〇選手のフォームのイメージ」など、憧れの選手や動物、あるいは動きのモデルとなる機械や装置などの動きの全体像を、時には周辺環境も含めて具体的に時系列で頭の中に描写しながら、

それを模倣、あるいは同調することで、「上手くいっている状態」に近づけていこうとする方法です。


局部を意識して動かそうとするのに比べると、身体が自然に連動して動きやすいという特徴があるのですが、同じ動きでも、その解釈は知識や経験によって違うものですから、言葉にして伝えようとしても、他人がやると別物になってしまう可能性があります。


③感覚

  理想的な動作が出来ている時の「いい感じ」の感覚に近づけようとしたり、 あるいは、「〜くらいのつもり」、「〜する時のような感じで」といったアドバイスによって、丁度良い動きに誘導しようとする方法。

過去の成功体験から得た、「七分くらいの力で」「座骨で下に押すような感覚」といった本人にしかわからない視覚、聴覚、触覚、平衡感覚や力感などの感覚を、欲しい時に引き出して使うことが出来れば、とても貴重な財産になります。

  ただしこれも、当人にしかわかり得ないものであるため、情報として共有することが難しいという特徴があります。



  以上を簡単にまとめると、

脳から筋肉に指令を出し、身体を誘導しようとするのが「意識」

脳の中で、一連の運動をリハーサルするのが「イメージ」

脳の中に保存した、運動の記憶が「感覚」

といったところでしょうか。



  これらは、上達のプロセスにおける重要なファクターですが、同時に、使い方によっては逆効果になってしまうこともあるものですから、これらを用いた指導を行う際には、その機序や影響を十分に理解した上で、慎重に行う必要があります。




・「意識」とイジリ

  乗馬では、馬の一歩一歩のごく短い時間の中で起こる、上下、前後、左右同時並列の揺れや慣性力の変化に合わせて、身体各部を同時並列で働かせる、という非常に複雑な身体操作を要求されます。


  レッスンで上手くいかない時に、指導者は、その原因と思われる部分を指摘し、「意識付け」によって乗り方を修正させようとするわけですが、それによって騎乗者がそこの部分ばかりを気にしてしまうことで、全体のリズムや動きのスムーズさに悪影響を及ぼすことがあります。


  同時多発的な『意識付け』コーチングによって、相手を「パニック」という蟻地獄へと追い込んでしまう可能性があるのです。
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  また、そのような「意識」を長期的に使用し続けることによる副作用として、『デフォルメシンドローム(強調しすぎ症候群)』と呼ばれる症状があります。

  初めのうちは問題の部分を意識することで改善されていたのが、その上手くいった意識をだんだん「深める」のではなく、あれもこれもとさらに「積み足して」いってしまい、オーバーモーションになってしまうパターンで、

指導者のいうことをよく聞く真面目な人に多いものです。
  




「意識」というのは、なかなか匙加減が難しいもので、しなければならないけれど、しすぎれば、「イジリ」による技能の喪失に繋がりかねません。

  一つ一つの動きを「意識」によって行なおうとすることは、運動全体のバランスを崩してしまう危険性を孕んでいるのだということを、指導者は常に頭に置いておく必要があるのです。



  その点では、細かい部分を気にせず、憧れの選手などになりきったりして理想の動きをひとまとめに想起する「イメージ」の方が、リズムやバランスを調整しやすいでしょう。

  これによって、何故か複数の問題点が一気に改善してしまう、というようなこともよくあります。

  ただそれだけでは、その時たまたま上手くいっても、動きの問題点を自覚して「意識」的に立て直したわけではないため、次回には「出来たと思ったけど、やっぱり勘違いだった」ということになったり、再びスランプに陥ってしまうことも多いと思います。




  また、過去に上手く乗れたという成功体験を有していれば、その時の「感覚」を思い出しながら身体の動きを調整することで、また同じようなパフォーマンスを発揮出来るかもしれません。

  しかし、過去の成功体験に固執し、縛られてしまうことで「保守的」な思考になり、今よりも高いレベルのパフォーマンスに必要な新しい感覚も「前に上手くいった時と違う」感覚として処理してしまって、上達の妨げになるような場合も出てくる可能性があります。



  「イジリ」や「パニック」につながる可能性のある『意識付け』に、『イメージ』を被せることで全体のリズムや連鎖性を保ちながら、バランスの取れたタイミングの良い動きへと自然に誘導きていくのが、上手なコーチングということになるのでしょう。

  そしてその時生まれた『感覚』によって、そのうち「意識」や「イメージ」の必要もなくなり、何も考えなくても自然に動ける、という「無の境地」へと至れば、

往年の天才的アスリート達のごとく、見る人が「なんでそんなことが出来るの?」と驚くようなパフォーマンスを実現出来るようになるかもしれません。
  

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  まあ、そこまではいかなくとも、指導する側、受ける側の双方が、「意識」や「イメージ」、「感覚」を用いることの意味や副作用について知り、やり過ぎや固執によって全体の整合性が失われないように注意しながら練習を行うことで、

より効果的で、面白いレッスンになるのではないかと思います。