天白川の源流を探す旅 (前編) 〜針名神社〜 | ヘルシーとジャンキーの間

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おはようございます。

今回と次回は、少し前に別のブログで公開した「天白川の源流を探す旅」という記事を、こちらでも紹介させていただきたいと思います。

地元の氏神様である 針名神社 を参拝してから、針名神社が元々あったという場所を探しに行き、そのまま地元を流れる天白川の源流を見に行くという、かなり行き当たりばったりのポタリングの模様です。 


尚、転載するに当たっては、スマホでも見やすい様に多少の編集は試みましたが、 文章や写真のレイアウトなど、所々に微妙に見づらい箇所があるかもしれませんのでご了承ください。 


また、元のブログでは一つに繋がっている話ですが、かなり長いので、こちらでは前編と後編に分けさせていただきました。


では、どうぞよろしくお願いいたします。


天白川の源流を探す旅 (前編)


 (1) 針名神社由緒 


今回の話は、地元の氏神様である針名神社から始まります。
針名神社は平針にある旧式内社で、正確な住所は 名古屋市天白区天白町大字平針大根ケ越 175
因みに、大根ケ越は "だいこんがごえ" ではなく、"おおねがこし" です。


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 針名神社の西側出入口 

 
こちらが西側にある参道の出入口。

立派な鳥居と狛犬、それに写真には写っていませんが神馬の像もあります。
砂利ですが広い駐車場と、車椅子用の通路が完備されていて、鳥居をくぐると長い参道が続いています。 


参道


参道の右手は御神域の森、左手は木立を透かして広い境内が見えます。

両脇の所々に神社に関するクイズとその答えが書かれた看板が立てられていて、子供たちにも神社に興味を持ってもらうための工夫が見えます。

参道の途中の左側に、お手洗いと手水舎があり、青空が映る綺麗な水面に、竜神様の口から滴る水が静かに落ちていました。


手水舎

以前来た時は水面近くに木枠が嵌め込んであり、何かと思ったらカラスの水浴び防止用でした。確かに手や口を清める為の水でカラスが水浴びしていたら困りますよね。
しかし、今回はそれが無くなっていました。
カラスはどうなったのでしょうか?





 



 



 

そのまま奥に進んで行くと、参道の突き当り左手に木造の立派な門があり、その奥に拝殿が見えます。

参道の入口が西向きなので、拝殿及び本殿は南向きという事になります。


拝殿



こちらが拝殿。

奥の御本殿には御祭神として、尾治針名根連命 (おわりはりなねのむらじのみこと) 、大国主命、少彦名命、合祀されている八幡社の品陀和気命 (応神天皇) が祀られています。
拝殿脇に設置されている木製のパネルに、御本殿の御祭神と御利益、そして針名神社の歴史という文章が掲載されています。

それによると、針名神社は西暦905年に編纂が開始された延喜式神名帳に "従三位針名天神" として記載されている事から、創建は少なくとも1100年以上前と考えられるそうです。

主祭神の尾治針名根連命は、尾張国一宮の真清田神社の祭神、天火明命 (あめのほあかりのみこと) の十四世孫に当たり、父の尻調根命(しずきねのみこと)と共に犬山市の針綱神社 (はりつなじんじゃ) にも祀られていて、古代豪族尾張氏の氏神様と考えられているそうです。


本殿の御祭神と歴史について


 



 



 


それほど知識がある訳ではないので、目の前の由緒書きを丸写しして、"~だそうです" で締めた文章ばかりでスミマセン。

一応、そのパネルの写真を載せておきますが、日当たりが良くて半分見辛いので、別の場所にある石版の由緒書きを後で掲載します。

詳しくないついでにもう一つ。
よく思う事ですが、尾張の国の一宮が熱田神宮ではなく一宮市の真清田神社で、出雲の国の一宮が出雲大社ではなく、松江市の熊野大社。その地方で一番人を集める神社は、敢えて一宮にはしない決まりなのでしょうか?


摂社


 



 



 



 



こちらは拝殿に向かって右手奥にある摂社と末社。

一番右側の大きな祠には神明社、知立 (ちりゅう) 社、山神社、御鍬社、洲原社、金刀比羅社が合祀されていて、それぞれ天照皇大神、鵜葺草葺不合神 (うがやふきあえすのかみ) 、大山祇神(おおやまつみのかみ)、豊受毘売神(とようけひめのかみ)、菊理比売神(くくりひめのかみ)、大物主神が祀られています。


摂社御祭神と御利益


 



 



 



 



 



 

その左隣の針名天神社には、名前の通り、菅原道真、一番左の天王社には、建速 (たけはや) 須佐之男命がそれぞれ祀られています。


実は稲荷神社がその後ろにあるのですが、僕は昔からお稲荷さんとは相性が良くない様なので、写真や紹介は省略させていただき、鳥居の一部だけを画像に入れて場所を示すにとどめさせていただきます。


針名天神社御祭神と御利益

天王社御祭神と御利益


そしてこの針名神社には、南側にもう一つの小さな鳥居があります。


南側参道出入口


 



 



 



 



周辺に住んでいる人しか知らない様な細道に面した小さな出入口ですが、立派な狛犬もちゃんといます。こちらから御神域に入ると、細い石段を伝って下りて行き、先ほどの門のところで左手から来る大きい方の参道と合流します。


石段


 



 



 


(2) 天白川左岸の元郷 

境内




 



 



 



 


とても良く晴れた寒い日の朝、御神域はゆったりと静かに時が流れていました。

僕は神社の境内にいるのがとても好きなのですが、名前が知られている大きな神社よりも、どちらかといえば人気の無い小さな街中神社にブラッと立ち寄る事が多く、御朱印というものも、一度もいただいた事はありませんし、ひどい時には参拝もせずに "只居る" だけの事もしばしばです。

そんな僕が一番興味を惹かれるのが、その神社のいわれ因縁が記された "御由緒書き" といわれるものです。
先ほどの木製パネルにも針名神社の歴史が記されていましたが、ちょうど陽の光が当たって良く読み取れない部分があったと思うので、前出の木造の門の右横に設置されている、石板に記された由緒書きを載せてみたいと思います。
因みに、2つの由緒書きの文面は違いますが、内容は重複しています。


由緒書き


そして、僕が平針に引っ越してきて初めてこの神社に参詣して以来、ずっと気になっていたのがこの部分。
拝殿の木のパネルに書かれている事と合わせて要約すると、針名神社は元々、現在の場所から800m北の天白川左岸の元郷 (もとごう) にあり、慶長年間 (1612年頃) に徳川家康の命により平針宿が成立すると同時期に、そこの部落の人々と共に現在の場所に移って来たというのです。
こういう事を聞くと、元郷とは何処だったのだろう?と思ってしまうのが僕のクセで、何度かそれらしい場所を見に行ってはいるのですが、今のところ全く分かっていません。
一度、社務所にいた巫女さんに聞いてみた事があるのですが、分からないと言われてしまいました。
神社の関係者が知らないのでは、もはやお手上げです。
しかし、そうは思ってみても、また今回も性懲りも無くぶらぶらと自転車でその辺りを訪ねてみました。 


蟠住山 龍渕寺


 



 



 



 



先ず、針名神社から北に800m行くと、そこには龍渕寺 (りょうえんじ) というお寺があります。


こちらについては以前、ブログに書いていますので、興味のある方は こちら (2016年6月9日のアメーバブログの記事) をご覧ください。

日進市赤池町の、町名の由来にもなった池があったと伝えられているお寺ですが、この場所は天白川まではまだ200mほどの距離があります。
ただし、天白川は昔から幾度も氾濫を繰り返して周辺に水害をもたらして来たという歴史があるので、当時とは流域が変わってしまっている可能性が大きいです。
そうなると、最早考古学者でもない限り打つ手はありません。


天地社


 



 



 



 



そして、もう少し現在の天白川に近付いて行くと、コースは多少ずれますが、天地社という神社があります。
こちらも何度か訪ねた事はありますが、こちらの由緒書きを見ても、この地が平針の元郷 (もとごう) であったという事を示すような記述は全く見当たりません。
そういえば、前述の針名神社の巫女さんに、天地社がある場所は違うのでしょうか?と聞いたところ、違いますと言われたのでした。何処かは判らないけれども、天地社は違うらしいです(笑)

こちらの神社についても以前ブログに書いていますので、興味のある方は こちら (2015年8月5日のアメーバブログの記事) をどうぞ。

因みに、この写真の右端に写っている建物内には、元禄2年 (1689) 年に建立された、同社の旧本殿が保存されています。


大正橋から天白川の下流を望む


 



 



 



 



結局また今回も、針名神社が元々鎮座されていたという天白川左岸の元郷を探し当てる冒険は、その辺をブラブラしただけで何の成果も無く終了。
それにしても、いつも思うのですが、神社が建てられる場所というものは、他の場所とは違う何かがあるのではないのでしょうか?
仮にも1100年も前に御神域だった場所が、今は何処だったのか全く判らなくなるものなのでしょうか?

しかしその事とは別に、天白川に架かる大正橋という小さな橋の袂で僕は、かねてから何となく考えていたもう一つの目標を思い出したのです。

それは、天白川の源流を探す事でした。 



天白川の源流を探す旅 (前編) 完




いかがでしたでしょうか?

次回は後編を転載する予定です。

もし、次回まで待てないという方 (笑) は、一括して投稿されている こちら をどうぞ。


では、今回はこの辺で。

また次回もよろしくお願い致します。


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