ムーア人による占領当時、ムーア人たちは、テージョ川の南、アレンテージョと
アルガルベ地方に住み着いた。 そのあたりの気候は、北アフリカの本国に
似ていた。 ムーア人たちは、かつてのローマ人の支配下にあった広大な土地を
支配し、ローマ人の造った街に住んだ。 征服者たちは、君主としておさまり、
出来るだけ地元の住民に行政や税の徴収を任せた。

イベリア人の中には、イスラム教の信者になる者もいたが、ポルトガル南部の
住民の多くは、ローマ・カトリックのままだった。 他のイスラム圏からやって来た
ユダヤ人は、自分たちの宗教をそのまま続けることが出来た。

fd9833980

ユダヤ人の多くは、貿易商人か、芸術家、学者たちだったが、ムーア人はユダヤ人
たちのそういう職業をこれまで通り認めた。 当時の建築、装飾、その他の
芸術は、ムーアとキリスト双方の伝統の影響を受けている。 ムーア人は教育にも
力を入れ、キリスト、イスラム、ユダヤの各学問が当時は栄えたものである。

ハリハと呼ばれるムーア人統治者たちは、イベリア半島を地元のリーダーに任せて、
指導権争いのためアフリカに帰って行く事が少なくなかった。 ハリハが不在だと、
ムーア人統治が崩れることもあった。 時には、権力のあるハリハ人が、イベリア
半島の防衛体制を強化、ムーア人の権限を一段と大きなものにして行った。

【お勧めの一冊】

>>トップページも戻る



クリックをお願いします☆
にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
にほんブログ村