「草間彌生 - わが永遠の魂」展で新たな発見 | 語学と読解、文化の違いを楽しむ外国「語」人

語学と読解、文化の違いを楽しむ外国「語」人

英語、フランス語、日本語を教え、翻訳をしながら思うこと:
語学力も大事だけど読解力を養わないとね。
15年以上ヨーロッパで暮らし、三か国で子育て。
フランスやベルギーのこと、子育てのこと、文化の違いについて書いています。

5月22日まで新国立美術館で開催中の草間彌生展は、初期の作品から最近の作品まで集めていて、アーティストの様々な面を見せてくれる充実したものです。

と、宣伝口調めいてしまいましたが、草間彌生について詳しくない私にとって、「行ってよかった」と思える展覧会でした。 

まだ開催中なので種明かしをするのは避けますが、最初から最後まで丁寧に見るのがお勧め。

私にとっての新たな発見の一つは、草間彌生は詩人でもある、ということ。
最初に作品を見て、それからタイトルを読んで、また作品を見ると、ぐっとくることがあります。

個人的に特に好きなのは『自己消滅』の連作。
世界に水玉を付けていく行為です。
人間や動物、湖にも水玉を付けていくと、いつしかそれぞれの輪郭が曖昧になっていく。
「自己」という存在も、世界の中に溶けていく。
水玉の丸が物質の分子のようにも見え、固く見える固体も、実は動き回る分子の集まりだと感じられる・・・

『自己消滅』を草間は、パフォーマンスやインスタレーション、そして平面作品で何度も繰り返し表現しています。

 展覧会の終わり近くには、見る人が水玉の世界に入っていけるような仕掛けも用意されています。

新たな発見のもう一つは、1968年、すでに草間は作品を「製品」とするために具体的な行動を起こしていたということです。

何年か前、 ルイヴィトンが草間彌生とのコラボレーションで財布を出したときは驚きましたが、別に驚くようなことではなかったのかもしれません。

芸術作品が商品に使用されると、すぐに堕落だの何だのという反応があります。
でも草間の場合、そこには単なる金儲けではないコンセプトがあるにちがいありません。

草間の世界を纏う、草間の世界の中に棲む・・・気ちがいになることもなく。