今日から“日本三景松島めぐり”の記事となります
訪れたのは先週の8月16日で、なんと5年ぶりになります
最初にご紹介しますのは、松島といったらここ!というほど有名なこちらのお寺さんです
瑞巌寺は元々は平安時代初期の天長5年(828)に慈覚大師円仁により開創され、天台宗延福寺と称したお寺が前身であると伝わります。
鎌倉時代中期に執権北条時頼公が、法身性西和尚(俗名 真壁平四郎)を開山とし、円福寺と改称。臨済宗建長寺派の禅寺に改めました。
その後戦国時代末期に妙心寺派に属します。
江戸時代初期に仙台六十二万石の祖となった伊達政宗公が、師傅虎哉禅師のすすめで現在の大伽藍を完成させました。
瑞巌寺は2008年から“平成の大修理”を行っていて、工事終了は2018年春頃までとのことです。
本堂はすでに修復工事を終え、内部を拝観することができます
大修理中の瑞巌寺を訪れるのも、ある意味レアですね
ご本尊である聖観音菩薩様もいらっしゃいます。
内部を拝観させていただきましたが、ザ・安土桃山といった感じでした
内部は撮影禁止のため、下の写真をご覧ください
庫裡とは禅宗寺院の台所のことです。
☆法身窟ほっしんくつ
☆鎮海・楊柳観音像
瑞巌寺参道の脇には「瑞巌寺洞窟群」
☆宝物館
庫裡の向かい側にあります。
宝物館の見どころはやはり『伊達政宗甲冑倚像』でしょう
この木像は政宗公の17回忌にあたり、正室であった陽徳院が制作させたもので、政宗公27歳の時に朝鮮出兵に赴く雄姿を再現した、等身大の木像です。
お顔も、陽徳院の証言に基づき実物に近く再現されているのだとか。
政宗公の遺言により、隻眼ではなく両眼が備わっています。
鎌倉時代中期に諸国行脚中の北条時頼が、後に臨済宗円福寺の開山となる法身性西(俗に真壁平四郎)と出会った場所と伝わります。
正安2年(1300)、京都嵯峨天龍寺開山の夢窓国師がこちらを訪れた時、無人の窟内から天台止観を講ずる声が聞こえたそうです。
☆延命地蔵
今回はご朱印帳を忘れて帰省したため、瑞巌寺で購入しました
本堂公開記念の限定ご朱印帳「鷹図」を拝受
本堂内の、伊達藩上級武士の控えの間「鷹の間」の襖絵をモチーフにしたもので、平成28年4月から2000部限定で頒布されているそうです
ご朱印帳、忘れてきて良かったです
元々は納骨や供養の為の施設で、造営は鎌倉時代から江戸時代まで続きました。
松島は古来“奥州の高野”と呼ばれ、浄土往生を祈念する神聖な霊場でした。
この洞窟群のあたりはかなり異次元な感じを覚えます
観光地である松島の、また別の一面と言えるかもしれません
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