上杉謙信不犯説 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

少し前になりますが。。。
上杉謙信女性説について記事にしまして。。。

その際に
近いうちに謙信の不犯説(だったっけ?)について書きます!
と言ったように記憶しておりますので、今日はそれを記事にしてみます♬

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非常に謎が多く、生涯妻帯せず側女も置かなかったことから「不犯の聖将」とも呼ばれる上杉謙信公

妻帯をして後継をつくることが、とても重要であったこの時代に、不犯は致命的ともいえます。
果たして不犯などということがあるのでしょうか⁇

現に実子を持たなかった謙信は養子を迎えるのですが、このことで謙信の死後に「御館の乱」という内乱を招くことになりました。

考えられる理由として
⚪︎性的に不能だった
⚪︎男色(女性に興味がない)
⚪︎毘沙門天への戦勝祈願(色欲断ち)

まず不能説ですが、これは無いのではないかと思われます。
謙信は若い頃に3人の女性と出会っていますが、その中の1人とは、深い関係ではないものの恋仲と呼べる関係になったことがあるようです。

松憐夜話など一部の軍記物に、その話が残されています

上杉謙信は関東へ遠征を行っているのですが、その際に上野平井城主である千葉采女が降伏し、娘の伊勢姫を人質として送ってきました。

謙信は伊勢姫を目にした瞬間に心を奪われ、伊勢姫の方も何かと気にかけてくれる謙信に惹かれていきました。

ですが重臣の柿崎景家に
「降将の娘を娶るのは傾国の元である」
と諫められ、謙信は思いとどまります

謙信のもとに嫁ぐのは叶わぬことだと悟った伊勢姫は落胆し、青龍寺に入って剃髪しまもなく世を去ってしまいました(一説には自害とも)。
これを知った謙信は深く悲しみ、生涯不犯の思いをより強くしたといわれています。

それと当時の戦国武将は当たり前…むしろ嗜みとされた男色(衆道)。これの記述もあるにはあるのですが、どうも噂話の域を出ないもののようです。

仮に男色であったにしろ、先の伊勢姫のエピソードで、女性にも興味があったわけですから、男色一本ではない、と言えますね。

では戦勝祈願の為だったのか。。。

謙信は曹洞宗の林泉寺で育てられており、幼い頃から曹洞禅に親しむ生活をしてきました。

謙信が27歳の時、出家騒動といわれる出来事が起こります。
 
戦国の世の中に嫌気がさした謙信が、出家すべく高野山を目指すのですが、家臣が追いつき必死に懇願。
謙信は出家を思いとどまったといわれます。
その後は在家のまま厳しい禅宗の中に自身を置くことになるのですが、禅僧は女性を断つことから、禅宗を極めたかった謙信が、女性を遠ざけたのではないかとの説があります。

毘沙門天への戦勝祈願というよりは、こちらの説の方が有力視されているようですね。

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長くなってしまいましたが、最後の説をご紹介。

謙信は兄の晴景から、晴景の子が成長するまでの中継ぎ的な感じで家督を譲られました。
もし自分が妻帯して子どもが生まれてしまったら、兄の子に家督を譲るのが難しくなってしまいます。

しかし晴景は22歳で亡くなり、その子も元服前に早世してしまいます。
ですがすでに謙信は神仏に不犯を誓っていたため、妻帯するわけにもいかず養子をとることになった。。。

いずれは家督を決めようと考えていたと思われますが、謙信が急死したため内乱(御館の乱)が起こることになるのです。。。


いくつかの説をご紹介しましたが、個人としては、不犯の理由は一つではなく、これらのことと上杉家と政治を重要視した謙信の思いが複雑に絡み合った、という風に理解しております(^^)

伊勢姫とのエピソードもせつないものがありますよね

今回は謎多き戦国武将のことをあれこれ想像できて、記事を書いていて本当に楽しかったです

ということで、上杉謙信不犯説についてでした
お付き合いくださりありがとうございました!


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