くろちゃんの甲府城つづりⅡ

やまなしの甲府城跡や文化財のようすや活動を、
くろちゃんと仲間たちがなんとなく紹介するため再登場!

甲府城 徳川の三つ葉葵 なぜひとつ

2016年02月09日 | 甲府城日記
江戸の270年間
1600年から1704年は将軍の子らの居城
城代・城番制でしたが尾張藩祖徳川義直や徳川忠長、六代将軍家宣の居城で
1644年には幕府から二万両を得て大規模改修

1704年からは20年弱 武田家旧臣柳沢吉保と吉里の居城
唯一在城した吉里は大規模御殿を作事し、屋根には「花四ツ菱」の家紋瓦

以後、幕末までは旗本による甲府勤番直轄時代

こんな徳川直轄の甲府城江戸時代ですが、なぜか三つ葉葵の瓦は桟瓦一点だけしか見つかっていません
しかも城内稲荷曲輪の表採品で直径10センチ

相当広範囲発掘して なぜ一点だけなんだろう (bu)


図の出典 「甲府城跡」上巻p181 平成16年 山梨県
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