• 麻原彰晃の死刑は何故今執行された?
  • 地下鉄サリン事件とは?

麻原彰晃こと松本智津夫ら死刑囚7人の死刑が執行されましたね。

なぜ、今頃になって死刑が執行されたのでしょうか?

 

何で今になって麻原彰晃の死刑が執行されたの?

 

麻原彰晃率いるオウム真理教が

過去に引き起こした事件って?

 

このコラムでは、何で今麻原彰晃の死刑が

今執行されたのかや、

麻原彰晃が過去に起こした事件について

ご紹介していきたいと思います。

 

何故今頃、麻原彰晃の死刑が執行された?

 

麻原彰晃の死刑は

2018年7月6日に執行されました。

 

何故、今頃になって

死刑が執行されたのでしょうか?

 

麻原彰晃が地下鉄サリン事件の

首謀者として、逮捕されたのは

1995年5月16日、そして死刑が

確定したのは2006年です。

 

キャラ

死刑確定から執行まで12年もの歳月が流れています。

 

麻原彰晃に限らず通常死刑執行には通常時間がかかる

ただ、死刑が執行されるのに

時間がかかるのはこの麻原彰晃に

限った話ではありません。

 

死刑が確定しても、その死刑が

執行されるのには手続きが

必要であり、最終的にその時の

法務大臣が承認して書類に

ハンコを押す必要があります。

 

ですが、法務大臣は通常

この死刑執行命令に

ハンコを押すのを嫌がるのです。

 

ハンコを押すことで、

自分が死刑執行を判断した、

殺人者というイメージを

持たれてしまうからです

 

麻原彰晃の死刑執行命令を出した、上川陽子法務大臣のコメントは?

麻原彰晃含む7人の死刑執行命令を

出したのは上川陽子法務大臣です。

 

上川陽子法務大臣は麻原彰晃含む

7人の死刑執行に関して以下のような

コメントを発表しています。

 

「被害者の苦しみは想像を

絶するものがある。

 

慎重にも慎重な検討を

重ねたうえで命令した」

 

年号が変わる前に麻原彰晃の死刑を執行したかった?

 

来年、平成天皇が生前退位をして

年号が変わることが

正式に決定していますよね。

 

ですから、年号が平成から変わる前に

死刑を執行したんじゃないのか?

という説が有力ですね。

 

なぜ、年号が変わる前の

タイミングなのでしょうか?

 

天皇の生前退位という一大イベントととも

に恩赦も予定されています。

 

キャラ

恩赦というのは、国家の刑罰権の全部又は一部を

消滅若しくは軽減させる制度のことです。

 

麻原彰晃やその他の幹部が

そのタイミングに生存していると

恩赦の対象になってしまいます!

 

ですが、麻原彰晃ほどの最低最悪の

凶悪犯罪者を恩赦するのは、

被害者遺族ならずとも

国民感情として許せないでしょう。

 

ですから、それより前に2018年のうちに

死刑を執行しておきたかったという

法務省の事情もあると考えられています。

 

自民党総裁選の前に
麻原彰晃の死刑を
済ませておきたかった?

また、2018年8月に入ると、

政治家は自民党総裁選

の準備に追われて忙しくなってしまいます。

 

総裁選は9月には終わりますが、

もしそのタイミングに法務大臣が

交代されていた場合、引継ぎなどの

業務に追われて、死刑の執行命令書に

ハンコを押すどころでは

なくなってしまうでしょう。

 

キャラ

それに新任の法務大臣の
立場でも、着任早々、

麻原彰晃の死刑執行の

判断なんてしたくないですよね

 

また、前述した通り、平成天皇の生前退位の

一大イベントのタイミングに

死刑を執行するとなると

お祝いムードをぶち壊してしまいますよね。

 

そのような事情を踏まえて、麻原彰晃の

死刑執行のタイミングは

今しかなかったのでは?と考えられています。

 

3月には、麻原彰晃の死刑執行準備は始まっていた?

実は、7月6日の死刑執行は無計画に

突然決まったことではなく、

今年の3月にはその準備が

始まっていたようです。

 

3月まではオウム真理教の死刑囚13人は

東京拘置所にいたのですが、

そのうち7人が地方の拘置所に

移送されたのです。

 

この時にも

「死刑執行の準備を進めているのか?」

という憶測は飛び交っていました。

 

なぜかというと、

共犯事件の死刑囚の死刑執行は

同日に一切に行われるのが

通例となっています。

 

地下鉄サリン事件の共犯者7人を一斉に

死刑執行するためには、

場所を分散して死刑を執行する

刑場を確保したかったのでは?

と言われています。

 

地下鉄サリン事件とは?

 

オウム真理教の起こした事件で
最悪なものとして
有名なのが地下鉄サリン事件です。

 

キャラ

地下鉄サリン事件が
起こったのは1995年3月20です。

 

警視庁による正式名称は
地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件
となっています。

 

この事件は海外でも知れ渡っており、「Tokyo Attack」と呼ばれています。

 

丸ノ内線、日比谷線で各2編成、
千代田線で1編成、計5編成の
地下鉄車内で、化学兵器として使用される
神経ガスサリンが散布されたのです。

 

乗客や駅員ら13人が死亡、約6,300人の

負傷者を出す大惨事となりました。

 

オウム真理教や麻原が恨みを買っていた人

を狙ったわけでもなく、何の関係もない
人たちの命を奪った、
最悪の無差別殺人事件です。

 

キャラ

オウム真理教が起こしたのは他にも、

主なものに坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件などがあります。

 

なぜ、麻原彰晃率いるオウム真理教が無差別殺人に及んだのか?

麻原彰晃率いるオウム真理教は
なぜこのような
無差別に及んだのでしょうか?

 

キャラ

その要因の一つとして考えられているのが、

衆議院選挙での敗北と考えられています。

 

1990年2月に、
麻原彰晃はオウム真理教の信者と
計25人で衆議院選挙に立候補しています。

 

しかし、
結果は惨敗で、麻原彰晃を含む全員が落選しました。

 

得票数も少なかったために、
選挙のために出した供託金も
取り上げられてしまいました。

 

何の政治的基盤もないド素人が
いきなり立候補して
当選できるはずはないので、

当然の結果と思いますよね。

 

しかし、
麻原彰晃はそうは思いませんでした。

 

自分は当然当選すると
自信満々で出馬したようでした。

 

普段、自分を神のように慕う信者に囲まれて
生活しているわけですから、自分が否定される
とは思わなかったようです。

 

このことで、
麻原彰晃は教団で自分をあがめる信者たちと、
それ以外の人で自分をどう見ているかに
いかに温度差があるのかを
思い知らされました。

 

また、この選挙での敗北を機に
オウム真理教を退団した信者も
大勢いたようです。

 

そして、麻原彰晃は信者に対して、
以下のように主張しました。

 

「私は6万票は取れるはずだった。

 

選挙管理委員会絡みの
大きなトリックがあった可能性がある。

 

国家権力による妨害だ」

 

言ってること無茶苦茶ですよね。

 

そして、麻原彰晃は「ハルマゲドン」という
言葉を使うようになります。

 

キャラ

ハルマゲドンというのは、人類最終戦争のことらしいです。

 

これによると、
「1997年にハルマゲドンが起きて、10人中9人が死ぬことになる。

 

生き残るにはオウム真理教に入信するしかない!」
ということだそうです。

 

このハルマゲドンの主張により、
教団は信者を増やして、
強大な組織になってしまったのです。

 

その結果、オウム真理教は武装化を進め、
地下鉄サリン事件のような
凶悪犯罪を起こすに至りました。

 

まとめ

ここまで読んでみていかがでしたでしょうか?

 

色々事情があるにせよ、麻原が逮捕されて
刑務所に入ったのは1995年ですから
23年間もの間、麻原彰晃は刑務所の中で
我々の税金でご飯を食べていた
ということですね。

 

なぜ、お金に困って今日食べる物が
買えない人がたくさんいるのに、

こんな凶悪犯罪者を我々の税金で
養わなくていけなかったのかと
私は憤りを感じます。

 

日本は死刑という刑罰がある
世界でも稀な国です。

 

死刑制度が正しいかどうかという
議論はさておき、
今後日本に麻原彰晃のような
凶悪犯罪者が現れないことを切に願います。